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毒娘カンタレラ、千里眼リンドン・ティアと出会う

言い訳のしようはいくらもあった。


あのとき急がなければ少年たちを見失っていたかもしれない。

荷物など持っていては悪漢たちはあっさり退かなかったかもしれない。

そもそもカンタレラにとって独りで街を訪れるのは初めての経験であり、先王の死から様々なことが立て続けに起りすぎて、冷静な判断力が失われていてもしかたなかったとも言えるだろう。


言い訳のしようはいくらもあるが、所持金を全て失ったという事実がそれで変わるわけでもなかった。




砂漠の熱い日差しの元で、カンタレラは途方に暮れていた。

周囲に尋ねても、荷物の行方を知っている者は一人もいなかった。


「どうしよう……」


どうするも何もない。船に乗る金も失ってしまったのだから、塔に戻るより他にないだろう。

だが駱駝車を雇う金もなければ、最早宿に泊ることも、食事すらできない。

まさか役人を頼るわけにもいかないだろう。


宿に残した荷物には、着替えと日用品が少々。

僅かとはいえ毒が染みこんでいる可能性を考えると、売って金に換えるという選択も避けたかった。


「……八方塞がりなのだわ」


もう夕方が近い。周囲には変わらず露天商が並び、賑やかに人々が行き交っている。

先ほどまでと変わらぬ光景が、今やひどく腹立たしく思えた。


『占い』と書かれた天幕に惹かれたのは、カンタレラの心がそれだけ弱っていたことの証明だろう。


『母』は占いなど嫌いだった。人間の行動は経験と確かな情報に基づいて先を予測し、リスクを考慮して行われるべきだと考えていたし、カンタレラもそう教えられていた。

だが――


「……占ってほしいのだけれど」


結局、カンタレラは占い師の天幕を訪ねることにした。

他に方法が思い浮かばなかったのだ。


黒い幕の中をおそるおそる覗くと、まず最初に水晶玉が目に入った。

暗い空間の中央には古ぼけた丸テーブルがあり、水晶玉はその中心にぽつんと置かれていた。


「……お入り」


掠れた声が聞こえて初めて、カンタレラはテーブルの向こうに人がいることに気がついた。


「……何を占ってほしいんだい」


水晶玉に手をかざしながら尋ねてきたのが、きっと占い師なのだろう。

狭い天幕は、カンタレラが足を踏み入れればそれだけで一杯になってしまった。


「あの……」


「未来かい? 過去かい?」


小さな椅子に腰掛けるのを待ちもせず、掠れた声が重ねて尋ねる。

老婆だろうか。それとも若い女? ボソボソと呟く声からはどちらと判別がつかない。

紫のフードを深く被った顔はよく見えず、ただ青く縁取られた細い目だけが、不思議な光を湛えてこちらを見ていた。


まるで猫のようだ。魔女とはこのような目をしているものなのだろうか。

辺りに漂う神秘的な雰囲気に、カンタレラはごくりと唾を飲み込んだ。


「私は……」


次の瞬間、背後の幕が勢いよく開かれた。


「呑気に商売やってる場合じゃないよ詐欺師! 表出な!!」


「ええっ!?」


驚いて振り返ったカンタレラと、テーブルの向こうで凝固した占い師と。


眩しい日差しに一瞬わけがわからなくなるが、幕を開けたのはどうやら老婆のようだった。

何者だろう。背が高く、短い髪は全て白髪になっている。

逆光を受けた彫りの深い顔立ちは、どこか猛禽を思わせた。


「リンドン! こっちの商売には口出ししない約束じゃないか!」


占い師がバンとテーブルを叩いて立上がり、カンタレラはまたも驚いて振り返った。

神秘的な雰囲気というものは、こうも一瞬で霧散してしまうものだろうか。

明るい日差しの元で見れば、さっきまでの魔女はどこへやら、そこには厚化粧の中年女がいるばかり。


「悠長なこと言ってる場合じゃないんだ。手入れだよ。グズグズしてたらしょっぴかれるよ!」


「なんだいそりゃ、聞いてないよ!」


「まだ誰も言ってないんだから当たり前じゃないか。新王様のご命令だ。神聖な王都にうさんくさい店は必要ないとさ」


「兄殺しといて神聖もへったくれもあるもんかい!」


「アタシの知ったこっちゃないよ。文句があるなら商売続けりゃいいだろう」


白髪の老婆と中年女は、怒鳴りあいながらもバサバサと天幕を片づけていく。

カンタレラはその真ん中でポカンとしていたが、肩がぶつかってやっと存在を思い出してくれたのか、中年女がこちらを向いた。


「悪いね嬢ちゃん。占いは終いだよ。アンタも逃げな。客ってだけでしょっぴかれちゃ堪んないだろう」


「あの……。でも……」


「リンドンが言うなら間違いないんだ。早くしなきゃいけないよ」


訊き返す間もあればこそ。テーブルと椅子を小脇に抱え、水晶玉は服の中、仕上げに丸めた天幕を頭に乗せると、女はスタコラと駆けていく。

元通りの日差しの下、取り残されたカンタレラは呆然と立ち尽くすことになった。


「…………」


「ま、アンタもよかったじゃないか。詐欺師に余計な金を払わずに済んでさ」


かけられた声にビクリとして顔を上げると、占い師と一緒には逃げなかったのだろうか、白髪の老婆がそこに立っていた。


「あの人は……詐欺師なの?」


「占い師なんているわけないだろ」


「そういうものなの?」


「当たり前だろう。ずいぶんと目出たい嬢ちゃんだねぇ。アンタどこから……」


目が合った。

老婆は薄い紫の目をしていた。髪色の割りに皺は少なく、若い頃は美人だったのだろうと思わせる顔立ちをしていた。


その目が、少し見開かれた。


「驚いた。アンタ『毒娘』かい。本物を見たのは初めてだよ」


「っ!?」


ゾワリと総毛立ち、カンタレラは跳びずさった。

老婆を下から睨めつけるが、相手は微動だにしない。

まるで動じていないようだった。


……何故、知っている?


あの少年か、男たちか、それとも別の者からか。なんという失態だろう。最早冷静を判断力を失っていたからなどと言い訳もできない。

返す返すもあの少年を助けるのではなかった。カンタレラは改めて軽率な行動を悔やんだが、今は後悔に浸っている余裕すらなかった。


今は、

この老婆を、

どうするかだ。


「いきなり『殺す』とは穏やかじゃないね」


呆れたようにそう言われ、カンタレラは驚愕した。

目の前の老婆は涼しい顔のまま、おどけたように首を傾げて見せる。


「別に言いふらしゃしないさ。ただちょっと驚いただけだよ。生まれて初めて本物の『毒娘』を見たもんだからね」


「なぜ……本物だと?」


気がつけば、カンタレラの喉はカラカラに乾いていた。

口から出た声はまるで別人のもののようで、舌は重く内顎に張り付く。


「見ればわかるさ」


「見てわかるものではないのだけれど」


「わかるんだよ。アタシにはね」


この老婆は何を言っているのだろう。

周囲はこれほど明るいというのに、先ほど天幕の中で感じたような、得体のしれない心地がする。

カンタレラは混乱する頭をなんとか落ち着かせながら、もう一度口を開いた。


「貴女も、占い師ということ?」


「金物屋だよ」


「金物屋……」


「占い師ってのは、未来を知ったり、失せ物探し物を見つけたりするもんだろ? アタシにはそういうことはできないさ。ただ見るだけ。だからアンタが探してる薬の場所も知らないよ」


足元で砂が乾いた音を立て、カンタレラは自分が無意識のうちに後ずさっていたことに気がついた。


怖い。そう思った。


何者をも恐れぬよう教育されてきたつもりだったが、目の前の老婆は、ただただ得体が知れなかった。

いったい何なのか、自分は今どうすればよいのか。

どちらもカンタレラにはわからず、正体の見えない恐怖がジワジワと這い上がってくる感覚があった。

老婆の視線が怖い。カンタレラは思わず目を逸らした。

屈辱的なことだった。


老婆はそんな彼女の様子にも構わず、涼しい顔で肩を竦めた。


「ああ、『探してる』んじゃないね。アンタは万能の毒消しなんてこの世にないと思っているんだし」


その一言が、

かえってカンタレラを冷静にさせた。


「そんなことを……なぜ知っているの?」


「アンタの顔を見たからね。考えてることくらいわかる。しかしどうするつもりだい。存在しない薬を探すフリをし続けて、バアさんになったって仕方ないだろう」


「…………」


薬を探しに出たことを知っているのは、『妹』と金の目だけだ。

そして、カンタレラが……本心では薬の存在を信じていないことは、誰にも言っていない。


カンタレラは老婆の目を見返した。


今度は逸らさなかった。


「『千里眼』と呼ばれる人間の話を聞いたことがあるのだわ」


「そいつとも少し違うね。千里も先は見えない。だけどだいたいそんなものだと思っていいよ」


しばらく、無言で見詰め合う時間が続いた。


「私の毒の名前はわかる……?」


「わかるよカンタレラ。綺麗な名前だね」


老婆は、ほんの少し哀れむような瞳をした。


「私の毒が、どれだけの人を殺せるのかわかる?」


「気を悪くしたら申し訳ないが、アンタはまるで化けモンだね。普通『毒娘』ってのは、一人殺せば充分なんだろうに」


「もちろん一人でも殺せるのだわ。私は自分で毒の量を調節できるのだもの」


「たいしたもんだね。そんな『毒娘』はこの世に」


「私一人しかいない」


老婆は少し苦笑した。


「警戒心が解けたね」


「貴女が本当に『千里眼』ならば、警戒したところで無意味だもの」


「そりゃそうだ。アンタけっこう大物だねぇ」


『千里眼』は、はははと声を立てて笑う。

カンタレラは笑わなかった。


「私が薬の存在を信じていないと当てたけれど、それも無意味な話なのだわ。信じたところで薬が出現するわけではないし、信じていなくとも消えるわけでもない。私の考えなど、どうでもよいこと」


「それはそうかもしれないが、下らないとは思わないのかい」


「下らなかったところで、他にすることなどないのだもの」


そうとも。物語の薬など、カンタレラとて信じてなどいない。

けれど今できるのは、ただ探し続けることだけだ。

きっと薬は見つからない。無意味で不毛な行為だとしても、塔で空虚な時を過すよりずっとよい。

認めてしまえば、ずいぶんと気が楽になった。


「なるほどね」


老婆は少し肩を竦めると、もう一度カンタレラの顔を見た。


「アンタ、自分が『毒娘』だってことを少しも気に病んじゃいないんだね」


「当然なのだわ」


今度は大げさに肩を竦められた。


「アンタの役に立ちそうな人間を知ってる。来るかい?」


カンタレラは目を瞬かせた。


「迷うことないじゃないか。一文無しなんだろ? 夕飯くらいは奢ってやるから」


腹の虫が先に返事をしなかったことに感謝しなければならないだろう。

冷静に考えてみれば、昼から何も食べていなかった。





リンドンと名乗った老婆に連れて行かれたのは、この辺りで一番大きな店だった。


まだ日も暮れきっていないというのに、扉を開ければ騒々しい酔客の声に会話もままならない。

カンタレラは一瞬顔をしかめたが、リンドンは構わずズカズカと店内に足を踏み入れた。


「まだ来てないね」


老婆はキョロキョロと辺りを見回すと、慣れた様子で奥の席につく。

促されたカンタレラは、慎ましやかに椅子に腰掛けた。


「毎日ここで夕飯を食べるんだけどね。今日はまだみたいだよ」


「誰が?」


「来ればわかるさ。アンタも名前は知ってるよ。

何を頼む? この店は鶏肉が美味いんだ」


「素手で食べるものは、なるべく避けるようにしているの」


手袋はできるだけ外したはくない。


「不便だねぇ。じゃ、シチューにしときな」


頷くと、リンドンはそれ以上は何も言わずに店員を呼んだ。


「リンドンと一緒にいるのは楽なのだわ。いちいち説明をする必要がないのだもの」


「…………」


薄紫の目が、一瞬パチクリと瞬かれた。


「そんなことを言われたのは初めてだよ」


料理が運ばれてきて程なく、

入口の扉が開く気配に、二人同時に顔を上げた。


「来たよ」


人混みの向こうを伺うと、入って来たのは青年だとわかった。日差しを避ける帽子を深く被っているせいで、表情がわかりにくい。

異国風の服は決して悪い物ではなかったが、ずいぶんと薄汚れていて、腰に差した剣の鞘にも傷が目立つ。


「旅人?」


外した帽子の下の顔は思ったよりも若い。

青銀の髪は、カンタレラが初めて見る色をしていた。


「この街で剣をぶらさげるなんて余所者と決まってるからね。ちょっと前に東の方から来たんだよ」


青年に話しかけようというのだろう、リンドンが立ち上がったので、カンタレラも一緒に席を立った。

だが、二人が数歩と進まない間に、先に彼に声をかけた者があった。


入口近くの席にいた男である。

知り合いなのだろうか。ごく親しげに飲みかけの杯を上げて、件の旅人も楽しそうにそれに応える。

二人はそのまま話し始めてしまい、カンタレラがそちらに向かうのを躊躇している間に、青年に声をかける人物が次々と現れた。

皆、この街の者らしい男たちばかり。揃って酒を飲みながら、親しげに話していた

かと思うと、いつの間にか、青年を中心に小さな宴会が始まってしまった。


「……余所者ではなかったの」


結局近づけなくなってしまったリンドンと一緒に、カンタレラは所在なげに椅子に戻った。


「たまにいるだろ。やたらと他人に好かれる人間がさ」


「……女だったら、良い毒娘になれたかもしれないわね。他人に警戒心を抱かせないのは大切だもの」


「……アンタの考え方は変わってるよね」


己の食事をとりながら、しばらく様子を伺っていたが、青年は一向に独りになる様子がない。

彼を囲む人々は減るどころか、新しく店に入ってきた者にも次から次へと話しかけていて、なんとまぁ楽しそうなことだ。


「彼は何者なの?」


「面倒臭いから当人に訊きな」


「では貴女は何者なの」


「金物屋」


「そうではなくて、なぜ私を助けてくれるのかという話」


リンドンはシチューの匙を匙を皿に置くと、視線を青年に向けたまま呟いた。


「暇なのさ。アタシの店もしばらくは開けない。それから『毒娘』ってのが単純に珍しい」


「それだけ?」


しばらく時間が経ってから、老婆は大きく息を吐き出した。


「同類だと思ったもんでね」


首を傾げる。リンドンは少し目を細めて店の人々を見ていた。


「アタシのこの目は生まれつきなんだが、ガキの頃はずいぶん親を恨んだもんだよ。だけどアンタはそうじゃないみたいだからね。それが不思議でしょうがない」


「リンドンの目は便利だと思うのだけれど」


「そりゃあ便利さ。だけど世の中には見たくないものの方が多いもんでね。

ま、所詮はババアの戯れ言だ。アンタの方が正しいんだとは思うよ」


「よく、わからないのだけれど」


「わかられてたまるもんか。アタシがアンタの何倍生きてるとお思いだい」


リンドンは小さく笑うと。カタンと音を立てて席を立った。


「だいぶ人も減ったみたいだね。さ、行くよ」


「彼に何を話すの?」


「もちろん薬のある場所さ。あそこにいるのは『英雄』スラフィス・ランペールなんだからね」

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