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毒娘カンタレラ、予見者イト・ヨキと出会う

『カンタレラ』が最強の毒といわれるのには、いくつかの理由がある。

一つは致死量。この毒はごく少量で人を死に至らしめる。

だが、そんな毒は他にもある。

一つはその味。この毒は非常に美味で食物に混ぜやすく、特に酒に溶かせば旨味が増し、被害者はつい飲み干してしまうとされた。

一つは作り方。そのおぞましい製法はそれだけで人々を恐れさせた。


だが最大の特徴は、その量を変えることで、死までの時間を調節できることである。

あるものは杯を口にした後一瞬で、またある者は一年後に。

その毒を飲んだ者がいつ死ぬのかは、全て毒殺者の思い通りであった。


最後に、その毒を接種した者の死に方である。

カンタレラには解毒薬は存在せず、ひとたび口にした者には、見るも恐ろしい死に様が待っていた。




カンタレラが『母』に最高傑作と呼ばれたのにも、またいくつかの理由があった。




カンタレラが砂漠の塔を出て三日。

王都に足を踏み入れるまでは、特に問題なくスムーズに進んだ。


カンタレラにとって、何も都に出るのは初めてのことではない。

『毒姫』が嫁ぐ先は王族・貴族がほとんどだが、あまりに世間知らずでも支障が生じる。通常の生活を知るために、街には何度か『母』に連れられて来たものだった。

金の目の従者は最初こそ反対したが、『毒娘』に普通の生活など不可能と頭ではわかっていたのだろう。しぶしぶではあったが『妹』の世話を引き受けてくれた。

金もあった。『母』は金だけはたくさん持っていた。

生前娘たちが入ることを許されなかった部屋からは、先王の名で発行された身分証・通行証の類いがザクザクと見つかった。

問題は、これがいつまで有効かだ。


「早く、東の大陸に渡ってしまわなければならないのだけれど」


駱駝車を降り、砂の舞う王都の門をくぐりながら、カンタレラは手袋を嵌めた手を握りしめた。

言葉はなんとかなるだろう。主要な言語は頭に入っているはずだ。

問題は、王が変わったことで、周辺国との関係がどう変わるか。

これまで東の大陸には港から船が出ていたが、それもいつ変更になるかわからない。

先王の突然の死で、まだ国内の混乱は続いている。このうちになんとか東に向かいたかった。


だが――

首尾良く東に渡ったところで、目指す物にたどり着くことはできるのだろうか。


幸い船はまだ行き来していた。

東へは二日後に出るという。

カンタレラは宿を取り、船旅に必要なものを買揃えた。

その間も、常に心は落ち着かなかった。


準備ができてしまえば、出港までもうすることもない。

会う人もいなければすることもない。

汗にも微量ながら毒が含まれる以上、うろうろするのも望ましくはない。


かくしてカンタレラは、その日の午後、何をするでもなく街の広場に佇むことになった。


汗が周囲につかぬよう、体ができる限り布で覆い手袋を嵌める。

砂漠の国ではそう不自然ではない格好だが、温暖な東ではどうだろう。

不安は尽きなかった。


広場には色とりどりのテントが貼られ、物売りの声が辺りに響く。

カンタレラは日陰の石に腰掛けそれを眺めた。

大きな荷物は宿に置き、今手元にあるのは金銭と、水と着替えと本が一冊。

スラフィス・ランペールの物語のうち、万能の毒消しが登場するものだ。

記述者によれば全て事実という触れ込みで、四年前の出来事だという。

薬に関する記述はごく短く、ドラゴンの吐く毒を受けた英雄に、村の長老が薬を差し出すところだけだ。


「はぁ……」


自然と溜息が漏れた。これだけで、どうやって件の薬を探し出せばよいのだろう。


道行く人々に軽い気持ちで話を振ってみたが、返ってきたのは失笑であった。

英雄の物語など絵空事で、この世にドラゴンもいなければ魔法もなく、万能の薬などあるはずがない。予想の通りの答えであった。


「東にいけば、また違うかもしれないけれど」


今は考えても仕方がない。

あるいは東の大陸では、魔法などごく当たり前のものなのかもしれない。

船が出るまで二日。何も考えずに待てばよいのだ。


しかし、カンタレラは待つのは好きではなかった。

待てば待つほど五月が近付く。本来なら、隣国に嫁いでいたはずのその日が近付くと思うと、腹の中でグルグルと毒が渦巻くように感じられた。


五月が近いのに。自分はなぜここにいるのだろう。

決まっている。薬を見つけるためだ、それが『妹』の望みなのだから。

それを飲んで、カンタレラも『愚か』も普通の人間になるのだ。

普通の……。


では、今までの努力はなんだったのだろう。


まだ『カンタレラ』の名をもらう前、物心ついたとき、塔にはたくさんの『姉妹』がいた。皆死んだ。与えられる毒に耐えられなかった。

ただ二人生き残った。『母』は「誇りだ」と言った。

ドラゴンが例え存在するとして、その毒もお前のものには敵わないと、『母』は嬉しそうに語っていたというのに。

『カンタレラ』の毒は、人を一人殺すのに一匙もいらない。

カンタレラの体内はその毒で満たされて、王都の人間全てを殺しても、きっと余るほどだろう。今目の前にいる者を全て、商人も客も遊ぶ子供も壁を這うトカゲさえ一瞬で全て滅ぼすことができる。


もうすぐ全てが実を結ぶはずだった。

カンタレラは隣国の王を殺し、歴史に名を残す。そのはずだった。


「……考えては、いけない」


目眩を覚えて、カンタレラは小さく自分に言いきかせた。

これ以上このことを考えてはいけないと思った。


薬を見つける。『妹』が喜ぶ。

それが今の生きる目的であり、他のことを考える必要などない。

何度も何度も、カンタレラは己に言い聞かせた。


悲鳴が聞こえたのは、彼女にとってある意味幸運だった。


ふらりと顔を上げると、何事か揉めながら、路地に消えていく人影が見えた。

屈強な男たちに囲まれるように、チラリと見えた小さな頭。

少年か、少女か。

気がつけば、カンタレラは立ち上がり、彼らの後を追っていた。

頭を埋めた嫌な考えが一瞬消えたのは、微かに見えた金の髪が、『妹』に似ていたからかもしれない。


「こ、これだけは勘弁してください!」


砂漠の街の路地は、土造りの建物に日を遮られて、広場に比べるとずいぶんと気温が低い。

怯えたような声を頼りに薄くらい角を曲がると、先ほどの者たちはすぐに見つかった。


いかにもカタギではないといった様子の三人が、小柄な人間を取り囲んでいる。


「この中には、僕の全財産が入っているんです、ですから……」


まるで子ヤギのようにか細い震えた声を受けて、下卑た笑いが一斉に上がった。


「おいおい。親切だねぇ坊ちゃんは」

「自分から金が入ってると教えてどうすんだよ」


男たちは、小柄な人影を壁際に追い詰めてゲラゲラと笑う。

筋肉質のその体の隙間から、かろうじて悲鳴の主が見えた。


少年だった。やはり『妹』と同じ金の髪をしている。

しかし、何よりその格好に驚かされた。

金糸の刺繍が入った豪奢な服は、どう見ても上級貴族のもの。

震える少年の耳元では、宝石付きの耳飾りがキラキラと光る。

こんな格好で街を一人で歩くなど、賊に襲ってくれと言っているようなものだ。


カンタレラは呆れかえった。自分とて世間知らずの自覚はあるつもりだが、それでも質素な服を選ぶ程度の知恵はある。

それをこの少年は、一体何を考えているのだろう。

貴族が従者とはぐれでもしたのか、それともよほど愚かなのか。


いずれにせよ無関係であり、カンタレラには今するべきことがある。

だが――


「おやめなさい」


気がつけば、カンタレラは声をかけていた。


「嫌がっているのでしょう。放しておやりなさい」


鋭い六つの視線が、同時にこちらに向けられる。

一斉に振り返った男たちは、そこにいるのが少女と知ってまた笑い声を立てた。


「なんだ嬢ちゃん。こいつの知り合いか?」


「いえ。見たこともないけれど」


「じゃあ放っときな。それとも嬢ちゃんが代わりに金を払ってくれんのかい」


「そうではないけれど」


「なんだなんだ。今日はずいぶんめでてぇ人間がロウロしてるんだな」


何がそんなにおかしいのか、男たちはまた盛大に笑い、一番真ん中にいた男が、ドンと己の肩を叩いた。


じゅるりと、何かがそこで動く。

少年が声にならない悲鳴を上げた。それと同時に男の肩に砂色の何かが顔を出した。

蛇だ。

頭のまだら模様が、毒蛇だと教えている。


「嬢ちゃん。こいつがなんだかわかるだろ。噛まれたくなきゃ、回れ右して帰んな」


「おれたちは良心的なんだよ。今日はこの坊ちゃんからお駄賃をもらうことになってる。嬢ちゃんのことは見逃してやるからさ」


毒蛇は鎌首を持ち上げ、探るようにカンタレラを見る。

そのつぶらな瞳を見返していると、また笑い声が起った。


「なんだなんだ、足が竦んで動けねぇのかい」


「なら、動けるようにしてやるよ」


今度は革の手袋をした男が、笑いながら腰の革袋に手を突っ込んだ。


「ほぉれ」


ポンとカンタレラの足元に放られたものを見て、少年が息を呑んだ。


大人の拳ほどの大きさの黒光りする生き物。長い尾を持つその生物は、カンタレラの足元でごそごそと動いた。

尾の先には一際黒い針が光る。

その曲がった針先を見て、カンタレラは眉を顰めた。


「毒サソリ」


「うかつに動くなよ。そいつは一刺しで牛一頭殺す。臆病なヤツでな、少しでも動くと襲われると思って刺してくるんだ。死にたくなければ刺される前に走って逃げな」


「牛一頭、一刺しで……?」


「ああ。怖けりゃ動かないのもテだぞ。半日もそこに立ってれば、飽きてどこかに行っちまうさ」


「おいおい、それじゃ嬢ちゃんはションベンもできねぇじゃねぇか」


男たちはカンタレラとはよほど笑いのツボが異なるらしい。

彼女は男たちが何度目かゲラゲラと笑う顔を見て、

それから足元で動くサソリを見た。


「牛一頭」


なんと、なんとまぁ。


……バカバカしいこと。


カンタレラは手袋を外すと身をかがめ、毒サソリを掴んで掌に載せた。

小さく息を呑んだのは、少年だったのか、男たちの一人だったのか。

顔を近づけてよくよく見ると、黒いサソリは存外可愛い顔つきをしていた。

指先でそっと背を撫でる。つやつやとしてなめらかだ。


その瞬間、

毒の尾は煌めいた。


一瞬で振り上げられた黒い尾は、声を上げる間もなくカンタレラの手に突き立てられる。

少年が声にならない悲鳴を上げ、カンタレラは太い針の刺さる痛みに一瞬だけ顔をしかめた。


「お、おい……」


流石にここに死体が転がるのはまずいのか、男たちがうろたえた声を出す。

そんなことを気にするのであれば、最初からサソリなど出さねばよいのに。

カンタレラは呆れたようにそちらを見やり、肩を竦めた。


「……なんだ。牛一頭なんて嘘ばかりね」


この程度では、せいぜい数日腕が腫れるくらいのものだろう。

それも普通の人間の話で、カンタレラにとってはないに等しい。


変化はすぐに現れた。


ぐぼりと不吉な音を立て、まず最初にサソリの尾の先が膨れあがる。

堅いカラはひび割れて、中から風船のように膨らんだ桃白い肉が顔を出した。


『毒娘』の手の上で、動物の体は端からぼこりぼこりと膨れあがり、やがてサソリはビクビクと痙攣する肥大した肉の塊となって、動きを止めた。


誰も、何も言わない。


最初に動いたのは蛇だった。

男の肩の毒蛇は、びくりと体を震わせて、主の後ろへと姿を隠した。


「蛇は賢い生き物だわ。自分より強い毒の持ち主はすぐにわかる」


カンタレラはサソリの死骸をそっと地面に置くと、静かに目をふせてから顔を上げた。


「動物に比べて、人間は頭が悪くて困るのだけれど、あなたたちもこんな死に方はイヤなのではない?」


視線が合った男たちは、端からビクビクと体を硬直させていく。

まるで道化の芝居のようだと、カンタレラは下らないことを考えた。


「私は良心的なの。見逃してあげるから、どこへなりともお逃げなさい」


砂のつもった路地で、男たちが怯えたように後ずさる。

靴底が砂を擦る音が二回、ジリリと響いて、


「ま……魔女だぁ!」


誰かが叫んだその声を皮切りに、男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げだした。


その背中を見送ってから、カンタレラは大きく溜息をついた。


「失敬だわ」


自分の毒は『母』の長年に渡る科学的な研究の成果であって、魔法の類いとは違うというのに。魔女とはなんと屈辱的な言葉か。

顔をしかめながら手を拭い、元通り手袋を嵌めた。


「あの」


振り返ると、少年はまだ土の壁に背を貼り付けたままだった。

てっきり男たちと共に逃げたものと思っていたのに、腰でも抜けたのだろうか。


少し様子がおかしい。少年は何も言わず、じっとカンタレラの方を見ていた。

男たちと同じように怯えているかと思ったが、予想に反し、その瞳に恐れはない。


「ありがとうございます」


静かに頭を下げるその様子に、カンタレラはかえって不安を覚えた。

少年は顔を上げ、またこちらをじっとみる。

何を考えているのだろう。居心地が悪い。


「お礼は、今日の夕方します」


「別に、礼などいらないのだけれど」


少年は、またじぃと顔を見た。

カンタレラは、彼を助けたことを後悔し始めていた。

この少年が身分の高い者ならば、新王と何か繋がりがあるのかもしれない。

先王の毒師が育てた『毒娘』がここにいると知られては、どんな悪影響があるかもわからなかった。

急に不安が大きくなり、カンタレラはそれを気取られぬよう口を開いた。


「礼などよいから、今見たことは黙っていてもらえると助かるのだけれど」


「誰にも言いません。だけどお礼はさせてください。でなければ、僕もあなたも困ってしまいます」


「別に、私は困らないのだけれど」


どうにも妙な少年だった。


「それから、街を独りで歩くならそんな身なりは止めた方がいいと思うのだわ。獅子の群れにウサギが入っていくようなものだもの」


少年は、ほんの少し唇を上げて苦笑した。

笑うと、思いの他幼く見える。そんなところも『妹』に似ていた。


「そういうわけにはいかないんです。今日はこの格好でいるのが僕の運命ですから」


「運命……?」


おかしな少年だった。

何を言いたいのかわからない。


「お礼は今夜、あなたが夕食を終えた店の前でお会いします。あまり不安にならないでください。そのときには、ちゃんと全部返ってきますから」


何か言い返すまもなく、少年はぺこりと頭を下げ、路地の向こうに素早く消えていった。


いったいなんだったのだろう。


「おかしな寄り道をしてしまったものだわ」


自分には他人に関わっている余裕などないのに、まったく何をしているのか。

カンタレラは自嘲しながら広場に戻り――




そこに置いていたはずの荷物が、

ひとつ残らずなくなっていることに気がついた。

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