混乱 3.
「待ってくださいッ!!!」
気弱なはずの男が、声を張り上げた。この小さな体のどこから、と思えるほど大きな声だった。各地で潮騒のようにざわついていた無数の声も驚いてなりをひそめ、大声の発信源であるところの制服に胡乱な視線を投げかける。
「な、なによ突然。ビックリするじゃないのよ…」
「ね、ねぇ遠藤さん、覚えてる?」
「覚えてるって、なにをよ。いいからあんたは黙ってなさいよ、どうせなんの役にも立たないんだから」
「覚えてないの? ベンチに座ってた時、一緒にサンドイッチを食べてた時だよ。…あ、あの時、ボクらの後ろに誰かが立って、――――ナ、ナイフで、遠藤さんのくびを掻っ切ったじゃないか」
形容しがたい沈黙がただよった。
「あ、あまりのことにボクもびっくりして、でも、でも遠藤さん首からどくどく血を流してるし、そいつは真っ赤なナイフを掲げてたし、だからボクはがむしゃらにそいつに襲いかかって、後ろの芝生に倒れて、もつれて、しばらくナイフの奪い合いをしてたんだけど、――――……そうしたら、ボクはここにいたんだよ」
「……は、…ははははッ。あんた大丈夫? イカれた? いえ、ごめん。ひさしぶりのデートにはしゃいで散々いろんな所に連れまわしたあたしも悪かったわ。そうよね、疲れるもんね」
「違う!」
「だったらどうしてあたしは今! ここにいんのよッ!!!」
「そんなことボクが知るわけないだろう!?」
「知りもしないのに知ったかしてんじゃないわよ!! たとえ妄想の中ででもあたしを勝手に殺すなんて失礼でしょうが!!」
「でもっ! 事実だ!!」
「…………ッ。……先生、こんな奴のこと、聞かなくていいですから、降りる準備をお願いしていいですか」
突然話を振られて我に返ったのか、凶暴な怒鳴り合いに息を殺していた先生はふぅと溜息を吐き出した。
「あ、ああ。すぐにそうするよ。まずは女性、子供からかな。やれやれ、数が数だけに全員下りるまでには時間がかかりs――」
「聞いてください! “先生”っ」
「やめなさいってば、恥ずかしい――っ」
「“先生”、言いましたよね。ど、どんな情報も価値があるって。ボクはこの情報が、多分、なによりも価値を持っていると思うんです。」
真摯な瞳には、確かな確信が宿っていた。
それは先生にも分かったのだろう。
「……わかった。詳しく聞こう」
と言った。
「先生、そんなことしてる暇なんて――」
「遠藤さん、ボクが信じられないの!?」
「信じてないからこんなこといってんじゃないのよッ! もう…………いい加減にしてよ」
竜頭蛇尾。言葉尻でさがったギャルの勢いは、そのまま沈んだままになった。
気弱な高校生はそれまでしがみついていた鉄骨から離れ、何かを決意したようにギャルの元へと近付いて行った。
恐怖で足元がおぼついてないが、一応は安定しているようだ。
そのまま彼女の元へ辿り着き、彼は優しく愛おしそうに彼女を背中から抱き込んだ。
「本当は、遠藤さんも気付いてるんじゃない? あれは夢とか幻とかじゃないって。認めたくないけど、確かに現実に起こった事だって」
そうか。
とおれは合点がいった。
だからこそ頑なに拒否したんだ。自分が殺されたかもしれないなんて信じたくなくて。認めたくなくて。それも、いま、首元にかすり傷一つ見当たらなければ、逆に恐ろしさも跳ね上がるというものだろう。
「でも大丈夫。大丈夫だよ遠藤さん。あなたがどこへいったって、ボクは必ずその後ろをついて行くから。どんなに険しくてもついて行って、必ずあなたを守るから。遠藤さんがもし、万が一死んでしまっていて、もしここが天国の一つの形だとしても、ボクはここにいる。ボクも死んでるんだ。だから安心して。ボクたちはいつまでも、どこまでも一緒だからね」
ん?
なにやら不穏な発言が気にかかった。
ここが天国だとしたら? だとしたらどうなる。
おれも死んでるってことになるのか? まさか、なんでさ?
普通にベッドに潜り込んで寝ただけだろうが。死ぬわけがないだろう。
そしたら死因はなんだよ。布団の重さによる圧迫死かよ。
ふざけろ。
……あれ、待て。
いや、おれはそもそもベッドで寝たか?
いや、それ以前に、家に帰ったか? 無事に帰ったか? 本当に?
その前に何か、有ったんじゃないのか?
「遠藤さん、きこえてる?」
彼は腕の中のぬくもりを確かめるように抱きしめ、囁く。
「怖がらなくていい。ボクらは一蓮托生だ。子供の頃からそうだったよね。いつも二人で。気持ち悪いくらいだってさ。はは。……ボクなんかがおこがましいとは思うけど、でも、それでも二人でいれば最強だと思うんだ。だから、ね?」
なんと清い愛だろうか。正直、正視に耐えない。
あんな睦言を臆面もなく吐き続ける彼も、そうとうに傑物だなあとおれは感心した。
すると。
「ね。じゃないわよッ」
顔を上げたギャルはいやいやをするように首をふり、
バシン。
と。
差しのべられている手を、はらった。
「えっ?」
彼はやにわに体勢を崩し、そして、そのまま落ちていった。
口を開いたまま、手を伸ばしたまま、闇の中へ。
「あっ、……あああっ」
先生は人間らしい言葉をなくし、口を開いたまま凍りつく。
おれも似たようなものだ。あまりの事に頭がついて行かなかった。
そんな中、
「だいたいあんた、まるであたしが死んでるみたいに言うけど、あたしは生きたいのよ。こんな若くてピチピチのまま死ねるかってんですか。あんたもそうでしょ? ……なによ、黙ってないで…………。
…………―――――――――――え?」
「い、いま……あなたが手をはらって、それで、彼は……」
やっとのことで口が動いたおれは説明しようとして、しかし喉がカラカラで思うように話せない。
「……えっ?――――どこに行ったの?」
途端、
「うわあああああぁぁぁぁああああああああああぁぁぁああああああああああああっっ!!!」
先生の絶叫が轟いた。
「えっ? えっ? なに、うそでしょ?」
言いつつ、ギャルも下を覗き込んでは困惑を顔面に張り付けている。
いま目の前で、人が一人死んだ。
特に理由もなく、殺意もなく、断末魔もなく、
ただ、一人の人間の、全てが消え去った。全ての未来が奪われた。
「えっ? なんで? ねぇ、なんで?」
愛する彼氏を失ったギャルの、呟きのような哀願だけが、おれの耳にはよく届いた。
――絶望の窯は、開けられた――




