混乱 2.
東京タワーの上。
果たしてそれは、事実だった。
眼下にはにぎやかな首都の煌めき。
覗きこむように足元を確認すれば、そこには展望台らしきでっぱりがあった。
「……おれ、石川県民なんスけど」
「知らないよそんなこと。ぼくなんて四国からここまで飛ばされたんだ。信じられるかい? 海まで跨いでるんだから自分の正気を疑った方がまだ賢そうってもんだ」
「はぁ…」
でも。
気付いたら瞬間移動して、あわや死地。――なんてことがあるだろうか。
いや、現実に起こり得ているんだから信じるしかないんだが。
それでもこれは無いだろう。
目が覚めたら東京タワーの、それも命綱もなしに鉄骨の上て……。
いくらなんでもふざけん――
「ふざけないでよッ!!!」
金切り声がした。
声がした方を見やれば、なんとこちらには女子高生がいるじゃないか。それも今風で、金髪ピアスにけばけばしい化粧、明らかに校則を無視したひざ丈の短いふりふりスカート。典型的な、いわずもがなな感じのギャル校生だった。
その隣には男子高校生だ。こちらはいかにもキョドってて、背も低くて制服のサイズがあっていない。見るからに気弱そうで、クラスで一人読書に勤しんでそうな、そんな朴訥そうな学生だった。
その二人がケンカ――といっても一方的――を憚りなく繰り広げていた。
「イミわかんない! なによこれ、どうすんのよこれ、アンタふざけんじゃないわよッ!!」
「ボクだってわからないよ。さっきまで公園にいたのに、どど、どうしてこんな…高いところに……」
「そもそもあんたがデートになんか誘うからでしょうよ! あんたさえいなければ、あたしだって今頃こんな危ない目に遭ってないわッ」
へぇ。
なかなかに意外な組み合わせといえた。どうやらあれはカップルらしい。それもおどおどした男の方から誘ったというんだからなお意外だ。
美女と野獣の表裏みてえだな。
さらに見渡せば、そこかしこの鉄骨にちらほらと人影が見て取れた。
男女を問わず、老若を問わず、老人ホームから抜け出してきたようなよぼよぼバアサンもいれば、黄色キャップで泣き叫んでいる小学ボウズまでいる。
このバラエティはなんだ。まるで日本人ってくくりから無作為に数十人を抽出した、って感じにも思える。
そう、まるでこの人選が人為的であるような。
人々はみな一様に困惑していて、混乱している。
とにかくただ生存本能に従って、寒風ふきすさぶ中、必死にかたわらの鉄骨をがむしゃらに掴んでいるだけだ。
ざっと見た限りでも、この奇異な状況を説明してくれそうな顔はいなかった。
もちろん、同じ一本の鉄骨を共有している背広の青年も同様だ。なにがなんだかといった顔で首をふりふり頭を抱えていた。
と。
「あれ。先生じゃないですか?」
さっきのギャルがこちらを見て、黄色い歓声を上げた。
背広も顔を上げて自分を呼ぶ声を見上げ、破顔した。
「えんどう……遠藤じゃないか! おお、久しぶりだなあ。……卒業以来か?」
「はい。そうです! 中学の頃は、ホントに色々とお世話になりました。先生がいなかったらあたし、まともに高校にも行けなかったかもしれないし」
デート相手に向ける態度とは打って変わって、ギャルは喜色満面あかるく朗らかになり、しかもまるで品行方正に整ってしまった。言葉遣いがまるで違う。
「知り合いですか?」
「ん? あ、ああ。ぼくはこう見えても教育のほうの仕事をしていてね、その関係で彼女と知り合ったんだ。もう二年になるのかなあ」
含みのある言い方に気が付いて、思わず訊いてしまった。
「教師と生徒、ではなかったんですか?」
「あぁ…きみ察しがいいね。でも察せるならば敢えてぼくは言わないよ。遠藤さんの名誉にも関わるし」
「そうですね。そうかもしれない」
いわゆる夜回りってやつを聞いたことがある。不良な少年少女を正しい道に戻したり、あらゆる問題を調停したり、あるいはただ話を聞いてあげたりする、……とか。
となると立派な人格者だ。そうだろう?
なんだか無性に、目の前の青年がカッコよく見えてきたぞ。
しばらくすると、元不良の現ギャルはこちらの足場まで渡ってきた。やはり清々しい笑顔で、こちらに子犬のように手を振っている。
後ろには、慌てて追いすがって来ただろう学生があわあわと目を回しながら鉄骨をはしごして付いて来ていた。
「先生にも分かりませんか? これ。この状況。あたしたちは公園で遊んでたんですけど、……えっと、それからなんか有ったような気がするんですよねぇ――でも思い出せないな――で、気が付いたらここにいて、危うく落ちるところだったんです」
「ごめんね。ぼくも大体おんなじようなもんだ。納得のいく説明はできそうにもないかな。後ろのきみは心当たりはないかな? なんでもいいよ、どんな些細なことでも今は貴重な情報源だからね」
息を切らし、ようやく追いついた男は抱きしめるように鉄骨を両腕に抱えて、首だけこちらに回した。
「あ、あ、あの……実は――」
「先生、こいつがなんか知ってるわけありませんよ。グズで、のろまで、うちで飼ってる陸ガメよりもとろいんだから。子供の頃からそうでしたよ。いつもなよなよしてて、小学生の時なんか、いじめられてるこいつを間違って憐れに思ったあたしが助け舟を出してしまったくらいですから」
しかし――似合わない。
やまんばみたいなメイクで流暢な敬語を使われると、そのギャップが妙に気色悪いもんだな。
お世話になった恩師に敬語を使う。
そんな当たり前のことをしているだけのはずなのに、目の前のギャルの性根が実はめちゃくちゃ良い奴なんじゃないかと疑いたくなってくる。
まったく、末恐ろしいぜ。
本当はまったく、ぜんぜんそんなことは無いかもしれないのに。
「そうかそうか。小さい頃からきみは世話焼きだったんだね。これからも守ってあげるんだよ」
「まぁ、こいつはあたしがいないと何もできませんしね。ハハ。」
そういって少女は笑う。屈託なく笑う。
「形はどうあれ、かつての生徒と思いがけず再会できるっていうのは良いもんだ。とても嬉しいし、心強いな。まだ他の人たちは恐怖と混乱で動けていないみたいだから、ぼくたちで先導してあげようよ。ゆっくり、一本ずつ慎重に降りていけば、そう、あの展望台の上部らへんまで下りられればそこから大声を出して人を呼ぶこともできるかもしれない」
「なるほど、わかりました。じゃああたしもお手伝いしますね。……あの人たちを――何人いるのかな、二十人くらいかな、――声かけて鼓舞してきますね」
「ありがとう、助かるよ」
正直、おれも助かったような気持ちだった。
取りあえずこの“先生”は信頼できそうだし、見通しも立った。
そうだ。理由なんて後から考えればいいんだ。救われて、地に足付けてからそれからのことを考えよう。
服は寝間着じゃないし、さっき確認したら携帯も財布もあった。バイトの金を引き下ろしたのが昨日でよかった。有り金ぜんぶ叩けば金沢まで夜行バスでもなんでも出てンだろ。
帰って、事情を説明して、今度こそはゆっくり布団にくるまって寝よう。
そうしよう。
そう――完全に三人の気持ちが前へと固まった時、
「待ってくださいッ!!!」




