再会、そして―3
天狗を捕獲した後、当事者たちを包む空気はピリピリしていた。今にも、雲ひとつと見当たらない空は青いというのに、雷が落ちそうである。
「いい年して、ほっぺを膨らまして口先尖らせて――気味悪いわ」
見た目は可愛らしい猫のセラが、とてつもなく毒の込められた言葉を吐き捨てた。
あまりにも見た目と中身のギャップが激しく、もし他の者が見聞きしていれば、夢だと現実逃避したに違いない。
――そもそも、猫の姿をしているセラを見ることができる人間は滅多にいないだろう。よほど霊力の強い者か、朝陽のように守護対象でなければ。
柊はひとりと一匹のこの毒舌の応酬に慣れているため、また始まったと天を仰ぎ見た。
魂が実体化する地獄とは違い、地上では実体のない身体に疲労が蓄積しているのを柊は感じた。明らかに気疲れだろう、きっと。
柊の口から、はー、と溜め息が自然に漏れ出ていくが、そこは致し方ないことなのだ。
何しろ、しばらく彼らのやり取りは続くのだ。止めに入れば、(過去の経験上)流れ弾をくうために、柊は我関せずである。触らぬ何とやらに祟りなし、だ。
「それは君だって、ね? 人間の西暦で言えば三桁の時代から生きてるおばさん?」
くすくすと朱色童子が笑う。見た目は幼い子供の屈託のない笑みだが、よく見れば、にじみ出る黒い何かのせいで、たいへん見た目を裏切っていた。幼い子供が放っていてはいけない、どろどろした何かを放っていた。
こちらも――セラ以上だろうか――内外のギャップが激しい。
そんな黒い何かを向けられたセラは、しっぽをベランダの床へべしべしと叩きつけ、せせら笑った。明らかに馬鹿にしている態度である。
「あたしがババアだったらあんたはジジイよ、ジジイよりさらに上よ。四桁はゆうに越すんでしょう?」
それより、とセラは目を細めた。
きらきらとした大きな猫の眼が半眼になり、朱色童子を射抜くようだった視線の威圧さが強くなった。金目銀目のため、視線の強さの凄みがより増した。
柊はおや、と思った。珍しくも、セラから毒舌の応酬に幕をおろしたらしい――それも、無理やりに。もちろん、毒は含んだまま。
「――ねぇ、あんたは何をしに来たのかしら? それを捕まえに来たのでしょ?」
セラの示す“それ”は、天狗のことだ。今も半眼の金目銀目には、血塗れの負傷した天狗が映っている。天狗は、まだ気を失ったままだ。
「はやく獄卒鬼に引き渡しなさいよ、それ。次代の子の母を襲撃せんとした犯人よ、どうせ黒幕でなく、ただの実行犯でしょうけど。……捕縛は部下の仕事だってのに、捕まえてすぐに部下に引き渡さずに滞らせるなんて、最低な上司よね」
セラの言葉には、とことん毒が込められていた。どこまで嫌いあっているんだ、と柊が心中で呆れるくらいに。
ひとりと一匹の仲があまり良くないのは、地獄ではわりと有名だ。しかし、多くの地獄の住民たちは、彼らの仲違いの理由は知らない。柊も、もちろん知らない。それに、知りたいとも思わない。上司と同僚の仲違いの理由なんて知りたくないのだ――誰も火中に飛び込みたくはない。
「おや、君も一応部下だよねー?」
くすっと、さりげなく皮肉をもらす朱色童子と、しっぽで床を先ほどよりも強く、べしぃっと鞭のように叩くセラの間に、見えない火花が散る。しっぽの動きにとてつもなく怒りがにじみ出ている。
――どうやら、話は毒舌の応酬に逆戻りしたらしい。
「――せっかく、柊の腰の野蛮な刀を見て、すぐにあんたが来ることを察して、わざわざカモフラージュを仕掛けやったのに。閻魔さまのお手を煩わせる気?」
お互いに腹に一物を持つ一人と一匹がさらに睨みあう。
ピリピリとした空気がさらに張りつめる中、がらがらという音が大きく響いた。それは皆の意識を向けるのに十分であった。
朱色童子、セラ、そして柊の視線が、ベランダのガラスの引き戸に集中する。
「あのー……?」
重苦しい空気の中、遠慮がちにガラスの引き戸を開け、顔を覗かせたのは――何を隠そう、渦中にいる“次代の子”の母と予言された朝陽だった。
朝陽の戸惑いを浮かべた目が泳ぐ。
ちらちら、ちらちらと忙しなく、視点が定まらない。
空を見て、ベランダの床を見て、セラを見て、空を見て、柊の足元を見て、セラを見て、空を見て、柊を見て――視線はあっち行き、こっち行きをしばし繰り返した。特に、柊を見るときだけ一瞬で他へと移る。
朝陽以外の者たちといえば、反応は様々だった。
空に浮かぶ朱色童子はにやにやとした笑みを浮かべ、セラはあたふたとし、柊にいたっては、我ここにあらずといった呆け顔。
混乱の色が濃い朝陽は、さ迷う視点がようやく定まったかと思えば――目をかっと見開いて、
「あ゛にゃー!!」
――猫の悲鳴が周囲を劈いた。
「無事だった、無事だった、無事だった?!」
朝陽は素早い身のこなしで、セラを懐へと抱き込み、暴れるセラに頬擦りの嵐を敢行。
ここへきて初めて、セラは“守護者は守護対象と接触が可能”という掟に泣きたくなった。守護対象以外には見えない触れないけれども守護対象からは見放題触り放題。つまり、自由がない。
「はーなーしーてー!」
にくきゅうで猫パンチをお見舞いするが、まったくもって意味がない。にくきゅうパンチは、攻撃力0のようである。
「天狗に何もされてない? 大丈夫? 大丈夫?! わたしが閉めこんじゃったから……!」
ぎゅうう、と朝陽はセラを抱きしめた。セラは死んだ魚のような目でぐったりとしていた。
どうしましょう、と朝陽の視線が再度、空中にさ迷う。
その時――混乱し、珍妙な行動をとる朝陽と、彼女を心配そうに見つめる柊の視線が重なった。
戸惑い、困惑する朝陽、焦がれた熱い感情がにじみ出る柊。
ようやく、朝陽と骸骨二人は再会した。