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朝陽と骸骨  作者: 山藍摺
4/33

朝陽と骸骨―4


 七歳のあの日から共にいた。いつも、一緒だった。何故一緒にいてくれるかは聞かなかった。

 聞いてしまえば、あなたが消えてしまいそうだったから。もう二度と、大切なひとを喪いたくはなかったから。

 なのに。

 あなたは、いない。

 側にいてと願ったあなたはいない。


『わたしは あなたのそばに います いつまでも 』


 ……嘘つき。


『わたしは あなたの側を離れないと 約束しましたから 』


 なら、何であなたはいないの―――嘘つき……。


『だから あんしんして 』


 ばか、あなたがいないと安心できないよ、わたし……ねぇ、ラギ……?

 どこにいるの?



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「………ラギじゃない」


 朝陽の目の先にいたのは、黒猫だった。しかも普通の黒猫ではない。黒猫が鳴くと、鳴き声が耳に入るのと同時に、ひとの声が脳内に響くという「何だそれ」な黒猫である。

 また、戸締まりをしっかりした部屋にいつの間にかいたのだから、その点からも普通の黒猫とはいえないだろう。

 現在朝陽が置かれているこの状況、朝陽が黒猫に対して自然と距離をとっても無理がなかった。

 なのに、朝陽が距離をとれば、黒猫はその分だけ距離をつめてくるのだ。小さく短い四本の足で、とてとてと進み、距離をつめたら座って朝陽を見上げる。何か言葉を待つかのように、大きくうるんだ青い目で朝陽を見上げる。

 その何かを待つ強い懇願の視線から朝陽は目を逸らさずに言葉を紡ぐ。

 けれどもそれは黒猫が猫の待っていたものではなく。


「あなたは、何?」


 朝陽の至極当然な問いに、黒猫は首を傾げた。ちりん、と首輪の鈴がなる。朝顔はこのとき初めて首輪の存在に気付いた。濃淡が違う赤の紐を編んで作られた紐だった。その紐の編み方は、骸骨の腰紐に風情が似ていた。


『わたくしは、セラといいます』


 黒猫がにゃんと鳴く。やはり、ひとの声が朝陽の脳内に響く。声は可愛らしい幼子のそれで、舌足らずな口調からあまり大きくないと想像できた。四歳か五歳くらいか。

 こんなときでなければ、可愛い可愛いと撫で回したくなる愛らしい雰囲気を醸し出す黒猫。しかしひとの声がだぶって聞こえると何とも怪しさだけしか感じられない。


『ラギじゃないと、駄目ですか?』


 うにゃん……と寂しそうに鳴く声、そして今にも泣き出しそうな子供の幼い声。それらは単独で聞けば、朝陽の母性本能をくすぐったろう。

 しかし今この状態ではとてつもなく不自然で、不可解なものにしか見えない――得体が知れず、朝陽は警戒心を解かなかった。

 黒猫がどれだけ可哀想と思える動作をしても、朝陽は心臓が激しく脈打ち、脂汗がにじむ恐怖しか感じない。

 何故、怖いのか。得体が知れない、それだけではない何かで感じとる恐怖。朝陽はそれをうまく表現する言葉を見つけられないが、確かにそれを恐怖と感じる感覚は、まさしく防衛本能に間違いなかった。

 命を狩られる側の草食性の小動物が、命を狩る側の肉食性の大きな動物に感じる恐怖に近かった。

 要するに、油断したらふとした隙に殺られると感じる動物の本能の恐怖。


「ラギじゃないと、とかじゃない」


 朝陽は精一杯力を込め、黒猫を睨み付けた。


「あなたは、何?」


 骸骨と初めて出会ったあの日、朝陽は骸骨を見ても怖くはなかった。

 寂しい、とにかく寂しいから誰か側にいてほしいという感情もあるにはあった。

 しかし、朝陽が骸骨を怖がらずに受け入れたのは、それだけが理由ではなかった。


『わたしは ほねです 』


 あのとき、骸骨は平仮名で書いた。自然と迷わずに、平仮名で。それは裏返せば、人を気遣える証。

 そして何より――骸骨は、朝陽がたくさん会ってきたひとの中でも一番優しい雰囲気を持っていた。相手を安心させる、相手を気遣える優しさ。だから朝陽は怖くなかったのだ――骸骨が、骸骨であっても。朝陽は骸骨だけを内面を見ていたから。

 だから、朝陽は外身を一切気にしない。外身がどうであれ、格好がどうであれ、いでだちがどうであれ、朝陽は中身、内面しか評価しない。

 だからこそ。 朝陽は、気付いたのだろう………黒猫の異質さに。だからこそ、警戒できたのだろう、黒猫を。


『………』


 黒猫は、朝陽を見上げ、口を開いた。


「あっははは!!」


 黒猫の口から出たのは、にゃんとかの可愛い猫の鳴き声でもなく、はたまた愛らしい幼子の高い声でもなかった。低めのアルト、明らかに成人している――間違えようもない、大人の若い女性の声だった。


「………え」


 てっきり――何となくだが、狂気に満ちた咆哮だとか、狂女の高笑いだとか、おどろおどろした聞くも恐ろしい声だとかを想像していた朝陽には拍子抜けの声だった。まさしく、肩透かしだった。


「あぁ、可笑しい! あぁ、愉快!」


 あははは、と――何が可笑しくて愉快なのかわからないが――黒猫は笑いだした。

 見た目は保護欲をそそられる小さく愛らしい子猫が、大人の女性の声で笑うのは何ともシュールだった。しかも人間でいえば腹を抱えて笑う様のように見えてならない。


「……………」


 朝陽はそんな黒猫を前にして、先ほど感じた得体の知れない恐怖が、あっさりといずこかへ消えたことに驚きながら――体から力が抜けていくのを感じた思ったより力の入っていた朝陽の体は、力が抜けた途端にへなへなと木偶の坊のようになった。

 先ほどまで張り詰めていた重々しい空気も、馬鹿馬鹿しいほどに消え去っていた。もちろん、黒猫が放っていた異質さも。今の黒猫はただ、見た目と声と話し方があまりにもギャップが激しいと感じるだけだった。


「何なの………?」


 笑い続ける黒猫を前に、朝陽はようやく声を出した。極度の緊張から解放された喉は、まだちゃんと動かずに乾いたままだった。


「何って、黒猫よ」


 それが何、といわんばかりに黒猫は答えた。あっけらかんとした答えに、朝陽はさらにぽかんと口を開け――脱力感を味わうはめになった。何だろう、この脱力感満載の存在感は、と朝陽は思う。

 朝陽が先ほどまで感じていた寂しさ、悲しさ、そして緊張、恐怖が嘘のように消えていた。


「あたしは、カウンセラー。先ほどのあれはジョークよ。あなたがあまりにも純粋でからかいたくなったの。度が過ぎたかしら、ごめんなさいね?」


 黒猫が尻尾を左右に振りながら朝陽の側による。今度は逃げない朝陽を前に、黒猫は上機嫌に鳴いた。朝陽の脳内に女性の声は響かなかった。女性の声と、猫の声とを使い分けているらしい。


「わたしのことはセラとでも呼んでちょうだい。骨の彼も通称しか名乗らなかったでしょ」

「通称……?」


 疑問に感じた朝陽が問えば、黒猫は首をかしげ、当たり前のように答えた。


「だって、ラギは骨の彼のまことの名ではないわ。呼び名よ」

「…………」


 朝陽は愕然とした。


 ――『ラギと』


 骸骨が迷ったように書いた名はラギだった。

 なぜ、迷った? 迷う必要があった? なぜ、呼び名を名乗った?

 黒猫は固まってしまった朝陽を上目遣いで見上げ、しまったというような雰囲気をした。人間ならば、あっちゃーやっちゃったと片手で顔を覆ってしまっているような。


「わたし、ちゃんと信用されてなかったの?」


 ぽろぽろと、再び朝陽の頬に涙が滴った。

 朝陽は、骸骨であるラギに依存していた。

 いつも一緒にいてくれたから。

 いつも側にいてくれたから。

 みずからの時間も惜しまず、いつも同じ時間を過ごしてくれた。


(わたしは、ラギがいないと何もできない)


 絶対の信頼を向けていた存在が、名をきちんと名乗ってくれなかった。何か事情があったのかもしれない。

 それでも。

 朝陽は、確実に疎外感を感じていた。胸にぽっかり穴が開いたような気分だった。


(特別だと、自惚れてたんだね、わたし)


 だから、何も言わずに姿を消されたのだろうか。だから、愛想をつかれた……そもそも、相手にされていたのか。

 朝陽は知らない。

 それを世間では恋情と呼ぶことを。

 そして、朝陽は引きこもった。




『やっちゃった……』


 セラをベランダに出して、朝陽は引きこもった。それは、ゴールデンウィーク前の連休の話だった。


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