塞の河原にて
――灰色の世界で、朝陽は声にならない叫びをあげ、かたまった。
そんな朝陽の顔には、「何で!?」とはっきり書かれている。何で目の前の小鬼の口からラギ――セラがいっていたラギの名前が出てくるのか。
「ねえちゃん……柊の旦那のコレ?」
小鬼は首をかしげながら、ぴんっと小指をたてた。尖った鋭利な小刀のような小指を立て、コレ? と朝陽に問うた。
「……ぅえ?、えええっ?!」
小鬼と同じように首をかしげ、小指を立ててのコレの意味に? だった朝陽は、しばらくして悲鳴をあげた。小指を立てての意味がわかってしまった朝陽の顔は、瞬時に真っ赤になり、今にも湯気が立ち上りそうなほどだった。
「〆△→→∪゛ヾ‐/“/\っ!」
しばらく言葉にならない言葉を発しながら、両腕をぐりんぐりん回し始めた朝陽に、小鬼は無言で、どこからともなく座布団を差し出した。朝陽は素早い動作で座布団を手にし、座布団をべしべしと叩き始めた。
しばらくの間、小鬼は朝陽が落ち着くまで彼女を見守ったのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「……落ち着いたかぃ?」
小鬼の問いかけに、どうにか落ち着いた朝陽は頷いた。朝陽は穴があったら入ってしばらく転げ回りたい心境だった。
「…………なんとか………」
穴がなかったら掘ったらどうだろう――少し混乱が残っている朝陽は、頭の隅っこて考えつつ、そろっと顔をあげた。
そして朝陽はまだ火照る顔で、会話を再開するために口を開いた。
「さいのかわらって、どこですか……?」
朱色の小柄な鬼は、朝陽の先ほどの「ここはどこですか」の問いに「さいのかわら」と答えた。朝陽には、「さいのかわら」がどのような字を当てるかもわからないし、想像もできない。
「えー……っと、そっからかぃ……うーん、と」
鋭い爪で頬をポリポリかきながら、小柄な鬼は大きな目の視線を泳がせた。
「嬢ちゃん、地獄ってェ信じるけぃ?」
朝陽は首をかしげて連想し始めた。
――ジゴク、じごく、自極、次国、地獄。
「地獄………」
――地獄、あの世、閻魔大王、舌を抜かれる。
「舌は抜かないでー!」
「……嬢ちゃん、舌は抜かれねぇから」
その後、朝陽は連想による頓珍漢な会話を挟みつつ、いま自身がいる場所をようやく把握した。
――次代の母とは何かを問えば、朱色童子に落とされたここは、地獄の入り口・塞の河原。彼岸(地獄)と此岸(現世)の境目であり、小鬼を始め閻魔大王の元で働くものたちがいる場所。そして、此岸から彼岸へ渡るものたちが通る場所。
そんな場所で、朝陽は小鬼に保護されたというわけだった。朝陽は本来ここにいてはならない生きている命であり、ここにとっては異物。塞の河原にも、朝陽にもどんな影響があるかわからないため、はやくこの場所から離れて此岸へ戻った方がいいという。
「てっきり、ラギの旦那の匂いをまとってたからなァ……ラギの旦那に会いに来たコレかと思っちまった」
再びのコレ発言に固まった朝陽に、小鬼はいう。どうやらコレ発言に悪意というか、悪戯心は込められていないらしかった。本当に心からそう思い、残念がっている。
「……恋人じゃねぇかったンだなァ……、ラギの旦那の想い人で守る対象なんだな」
――固まっていた朝陽はその言葉に解凍した。
いま、何といった? いま、何といった?
「見たとこ、たげぇに想いつつ想われつつの両想いじゃねぇの。腹ぐれェ上官もいるこった……嬢ちゃん、確か次代サマのオフクロだろ? 柊の旦那が次代の母についてたって最近知ってなァ……」
小鬼はいう。最近柊が……ラギがこちらへ戻った際に、朱色童子との会話を聞いたのだと。
朝陽はさらに小鬼の言葉に敏感に反応した。
――いま、さらに何といった?
朝陽の思い過ごしだろうか、聞き間違いだろうか。凄く朝陽が元気になりそうな言葉が、小鬼の口からでてきたような。
「なら、腹ぐれェ上官に対処できるヤツがいたらいいんだよなァ………?」
小鬼は、実に「鬼らしく」笑ってみせた。
「次代サマのオフクロの先代に会わせてやるサ、ナァに、すぐそこにいらぁ」
――脱衣婆、と小鬼は呟いた。
「あぁン? 誰だい、ワシを呼んだのは。ワシは忙しいんだよ。六文銭も持たずに渡ってきなすった輩の服を剥ぎ取るのにねぇ!」
朝陽は開いた口がふさがらなかった。
一瞬生暖かな風が吹き付けたと思えば、そこには……長い灰色の髪を背にたらし、頭部を手拭いで覆い、首からじゃらじゃらと銭ね首飾りを垂らした老婆がいたのだから。
「ァ? ……柊の坊主臭いね、あんた! オンヤァ?」
ねっとりした黄ばんだ瞳で、老婆は朝陽を見て、欠けた歯を見せて高らかに笑ってみせた。
「あんた! 次代の母かぃ、うちの息子も年を取ったもんだね!」




