朝陽と、その先―1
春の青空の下、賃貸の独身者向けのアパートのベランダにて、視線を交差する男女ふたり(と猫)。
片方は陽炎の如く揺らめく姿の着物の死人である男性、もう片方は生きている人である大人になったばかりの若い娘。
「ラギ……?」
熱い、そして見るものが砂糖を吐きたくなる熱視線であった。
『朝、陽……』
二人の視線が絡み合う。かたや切ない視線、かたやこがれる視線。
「にゃー、そこ、二人の世界にはいらにゃい!」
柊と朝陽が、はっとなり、我にかえり、視線を互いにそらした。柊はどこか気まずそうに、朝陽はぽぽっと頬を可憐に桜色に染め上げた。
――とてつもなく、漂う空気が甘酸っぱい。青春である。セラは、構えていたにくきゅうパンチを控えてしまったくらいに、お砂糖な桃色の雰囲気だ。
「そうだよねぇ、セラの指摘通りだよねぇ」
いつの間にかベランダに腰掛けていた朱色童子が、きゃらきゃらと笑った。見た目はとても無邪気であるのに、やはりどことなく黒さが漂う。
「ちょっと、若作り。あんた天狗はどうしたのよ」
まだ、ぽやぽやと桃色空気を生産する二人をおいて、セラが朱色童子を皮肉った。
「ああ、天狗?」
クスクスと朱色童子はどす黒い無邪気笑いを浮かべた。幼子の笑みなのに、腹黒お代官のような笑みなのである。
「あれなら、あそこ」
足をばたつかせる朱色童子が、ちいさくふっくらした指をさした先には、空気に現れた裂け目――まるで空間に鋏を入れ、切ったという感じだった――の向こうから現れた大きな“手”が、ぐっと天狗を掴んでいる光景だった。
真っ赤で毛むくじゃらの大きな大きな手。爪は赤黒く、血が滴っている。その手が、ぐったりとした天狗を掴んでいた。
「獄卒鬼のあーちゃんの手だよ」
にぱっと朱色童子は弾けるように笑った。
「……あんた、やっぱえげつないわ」
あっけらかんと“手”を紹介する朱色童子に、セラはドン引きながら呟いた。
獄卒鬼のあーちゃんの手。それは、獄卒鬼の中でも赤鬼の赤達磨と呼ばれる、とてつもなく横にも縦にも巨大な鬼の手、である。
赤達磨は、残忍かつ凄まじく残虐非道な獄卒鬼だ。彼の手に捕らえられ、その後は――御愁傷様、としかいいようがない。
「あはは、だいじょーぶ、死なせない程度に生かすから! 唆した背景にいるやつを吐けなくなったら、意味がないからね♪」
あはは、と朱色童子が屈託なく笑う。屈託なく笑える内容ではないのに、心底楽しいといわんばかりに、笑い続ける。
『……童子、現世に来られたのはそれだけですか』
朱色童子の笑いが止まった。その視線の先には、ゆらゆら揺らめく柊が、朝陽を背に庇う姿があった。
柊は、とてつもなくシュールで非現実な朱色童子を、朝陽に見せたくなかったのだ。
幼くも可愛い見た目の童子が、笑ってはいけない内容をきゃらきゃら笑いながら語る。その様子を見せなくなかったのだ。
「柊? その娘は、いずれ次代を産むんだよ。世間の黒いこと、ひいては地獄のことを見なくてはならないんだよ?」
笑ってはいるけれど、冷めた目で朱色童子は朝陽をさした。
柊は、朱色童子の“まともな”発言に反論をすぐに返せなかった。
――朝陽は、次代の子の母。迫り来る手は、今の天狗だけとは限らない。今回よりももっと危険になるだろう。世の中の汚い部分も見てしまうだろう。次代の子の母の運命とは、そういうことだ。
「あの……」
かすれ、震える声だった。
「次代の子の母とは」
朝陽には、見えていた。
揺らめく陽炎の柊の体の向こう、朱色童子が朝陽を指差していたことを。
そして、聞こえていた。
「教えてください。わたしは、何ですか?」
震える声で、しかし決意に満ちた強い目で、朝陽は言葉を紡いだのだった。




