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とあるお姉さんの密かな楽しみ (兄 九歳 / 妹 五歳)



私の家がある地域は、四十年近く前に新興住宅地として再開発された。

当時移り住んできた若夫婦は歳を重ねて老夫婦となり、彼らの子供たちは独立して実家を出てゆき、孫を連れて戻ってくる者はごく僅か。

幼い子供たちが走り回ることなどない、静かな住宅地と化していた。


そんな土地だから、迦我見(かがみ)さんのお家の兄妹のことはよく知られていた。

利発で面倒見のいい兄の優人君と、無邪気で可愛い妹の優奈ちゃん。

二人はご近所のアイドルで、遠くから見ているだけで和ませてくれる存在だった。


近くに同じ年頃の子供がいないせいか、兄妹で仲良く遊んでいることが多い。

彼らが自宅の前の道路や庭で遊ぶ姿を、近所に住む私たちは優しく見守っていた。

幼い子供が他に居ない地域だからこそ…と、有志を募り周辺のパトロールを強化して、不審者を近づけない運動も盛んだった。




私が迦我見家の兄妹と個人的な知り合いとなったのは、(うら)らかな春の昼下がり。

我が家の愛犬・桃次郎の散歩の途中だった。

(初代が桃太郎という名前だったため、二代目は桃次郎と命名した)


桃次郎、愛称はももじ。

真っ白でフワフワでモフモフな毛並と、いつも笑っているような口元。

家族の欲目から見ても、大きいぬいぐるみのような可愛いわんこである。


いつものお散歩コースの土手を歩いていたところ、ももじが急に川原に降りて、橋の下へとぐいぐい私を引っ張って行った。


「ももじ、どうしたの?

…何か居るの?」


「わん!」


ももじが得意げに答えたので、私は好きなように歩かせてみることにした。

橋の下の近くの草の匂いを嗅いでいたかと思うと、ももじは手綱から逃れてひょいっと繁みに飛び込む。

その瞬間、ちいさな悲鳴が聞こえた。


「ちょっ、ももじ?」


慌てて私も繁みに分け入ると、そこにはちいさな女の子が隠れるように座っていた。

そしてウチのももじに顔を舐められている。


「ひゃぅ!

くしゅぐったいよ」


女の子は笑いながらちいさな手でももじを撫で回す。

自分の身体よりも大きい犬にのしかかられても泣き出さない豪胆さに感心しつつ、私も女の子の近くに歩み寄った。


癖のない艶やかな黒髪に赤いリボンの髪留めがよく映えていた。

透き通るような白い肌の上に、大きな黒曜石の瞳と薄紅色の小さな唇が奇跡のように配置され、お人形と見間違えそうなほど可愛い。


「あなた…もしかして、優奈ちゃん?」


私が名前を呼ぶと、彼女は不思議そうな顔をしてコテンっと首を傾げた。


「ゆぅなは、ゆぅなだよ?

ねぇちゃは、だぁれ?」


「あ…ああ、そうね、ごめんなさい。

初めまして、優奈ちゃん。

私の名前は藤本愛(ふじもとめぐみ)

この()は桃次郎、ももじって呼んであげて。

お姉さんね、優奈ちゃんのお家のご近所に住んでいるの。

今まで遠目にしか優奈ちゃんのことを見たことなくて、それでちょっと自信なくて、お名前を確認させてもらったのよ」


慌てて自己紹介しながら弁明しているうちに、自分でも何を言っているのか解らなくなってきた。

まずは、怪しい人じゃないって事だけ伝えられれば良しとしよう。


私は素早く仲良くなるための段取りを頭の中で組み立てる。


自己紹介は済ませたし、次は何かをして一緒に遊ぶのがいいわよね。

そして打ち解けた頃合いを見計らって、携帯のカメラで写真を撮らせてもらおう。


美幼女とウチのももじのツーショット。

待ち受けに設定して毎日眺めたい。


私が優奈ちゃんと友好を深めるための行動に出ようとしたとき、第三者の声が割り込んだ。


「――優奈?」


「あ、にぃちゃ……見ちゅかっちゃった」


優奈ちゃんよりも更に整った少年の顔立ちを間近で見て、私は心の中で快哉(かいさい)を叫んだ。


神様、ありがとう!

VIVA(ビバ)、外国の血!

クォーターって凄いなぁ……私もハーフの婿殿を探すべきかしら?


「うちの妹に、何か?

…あなたは確か、藤本さんのお家の方ですよね」


優人君の問いかけでハッと我に返った。


「あら、私のことを知ってるの?」


私を見知っていたことに驚いて問い返すと、彼はこくりと頷いた。


「はい。

何度か遠くからお見かけしたことがあります。

藤本さんのお家のお姉さんは才媛(さいえん)だという評判を、ご近所の方々からよく聞いていますし」


「まぁ、本当に?

褒めて頂けるのは嬉しいけど、それほどでもないのよ」


長年に渡る聖ラファエラのお嬢様教育は、危急の事態にも脊髄反射で滲み出る。

私は上品かつ人好きのする笑顔を浮かべて見せた。


そして同時に人物評価を改める。

『才媛』なんて言葉をサラッと使いこなす小学一年生は普通じゃない。

この子が賢いという話は聞いていたけれど、これは間違いなく噂以上だわ…。


気を引き締めながら優人君に話しかける。


「改めて自己紹介するわね。

優人君と優奈ちゃんのお家のご近所に住んでいる、藤本愛です。

用があるというわけではないのだけど、うちの犬…桃次郎が優奈ちゃんに懐いてしまって。

二人で『隠れんぼ』をして遊んでいたのかしら?

邪魔してしまったのなら、ごめんなさいね」


「いえ、それはいいんですが…」


優人君は戸惑った表情を隠さずに、優奈ちゃんとももじを見ている。

二人は…一人と一匹は、私たちのことを忘れたかのように遊びに熱中していた。


優奈ちゃんが尻尾をつかもうとして追うと、ももじはスッと避ける。

ももじはよろけた彼女が転ばないように自分の身体で支え、くるっと回転して鼻先で迎え撃ち、すかさず彼女の顔を舐め回す…等々、多彩な攻防を繰り広げて遊んでいる。


ももじと(たわむ)れる優奈ちゃんの楽しそうな笑い声と笑顔をわたしは心のアルバムに収めた。

今日のことはいつまでも覚えておきたい。


隣で複雑そうな顔をしている優人君に視線を投げると、彼はすぐに気がついた。


「…?」


彼の問いかけるような眼差しに応えて私は訊いてみた。


「君も一緒に遊ばないの?

ももじは子供好きだから、噛んだりしないわよ?」


「僕は…」


彼は少し考えてから、自分の心の奥を探るようにして答えた。


「動物は嫌いじゃないし、可愛いと思います。

でも、あんまり近づきたくない…近づいちゃいけない気がする。

特別に大切な存在だと思うほど、好きになりたくはない…のかもしれません」


その答えの根底に何かもっと深い理由があるような様子だった。

ただの勘だけど、何故かすごく気になって仕方がない。


独学で児童心理学を学び、将来の職は教師を目指しているのだもの。

精神的外傷(トラウマ)の片鱗を発見して、見過ごす訳にはいかないわ。


「――優人君がそう思うのはどうして?」


「…わかりません。

ただなんとなく、です」


「そう、解らないんだ。

…でも、優人君には『特別に大切な存在』、たくさんいるよね?

妹さんとご両親、おじい様、それに学校のお友達」


「……はい」


「優人君は、ご家族や友達も、あまり好きになりたくはない?」


「いいえ、そんなことはないです」


「そうなんだ。

人間(ヒト)を好きになることには抵抗がないんだね。

じゃあ、人は良くて動物は駄目だと思う…その違いはどこにあるのかな?」


私の問いに、優人君は伏し目がちだった瞳を見開いた。


「……寿命」


ぽつりと零れ落ちた呟きに、彼自身が酷く驚いている。


「そうね。

動物は人よりずっと寿命が短いから、お別れする時は辛いわね」


私は彼の言葉に頷きながら、先月彼らのおばあ様が亡くなられたことを思い出していた。

大切な人との死別が、彼に別れを恐れる気持ちを芽生えさせたのかしら?


もう一歩踏み込むべきか悩んでいると、優奈ちゃんが笑いながらこちらへ駆け戻ってきた。


今度はももじが追いかけっこの鬼らしい。

優奈ちゃんは兄の背中の後ろに回り込んだ。


「にぃちゃ、ゆぅなをかくして、かくして」


「え?

それは無理…うわっ」


ももじは勢いよくジャンプして優人君に飛びかかった。

そのまま彼を押し倒して、べろんべろん顔を舐め回す。


「桃次郎、ちょ、やめっ。

くすぐったいよ」


優人君に止められると、ももじは彼の傍にちょこんっと座った。

ぶんぶんと振られているしっぽを見て、彼は笑いながらももじに手を伸ばす。


「…遊んで欲しいの?」


彼がももじの頭を撫でながらそう訊くと、ももじは元気よく返事を返した。


「わん!」


そのやりとりを聞いて、優奈ちゃんはまた逆方向へと走り出した。


「じゃあ、こんどはにぃちゃがオニね。

ももじ、にげようっ」


優人君は駆けてゆく優奈ちゃんとももじの姿を眩しそうに目を細めて見送っている。

私はそんな彼の背中をパンっと叩いた。


「鬼さん、行ってらっしゃい」


彼は私の言葉にはみかみながら頷くと、放たれた矢のように一直線に駆け出して行った。


――二人と一匹がたっぷりと遊んだ後の帰り道、優奈ちゃんがももじと離れたくないと言って泣いてしまったり、優人君は彼女をなだめつつもヤキモチを焼いて拗ねてしまったり……ひと騒動あったけれど、私にとっても楽しい時間だった。


この日以降、私は優人君と優奈ちゃんの姉代わりを自認するようになった。


皆から良くできた子だと褒められ続けることの重荷を私はよく知っていたし、彼を普通の子供として扱う人間が傍にいてやるべきだと思った。

百合子おばあ様を亡くしたばかりで余裕がない迦我見(かがみ)家の方々の代わりに、少しだけでも私が手助けできることがあれば嬉しかった。


週末の午後のひととき、私は二人を預かって面倒を見るようになった。

一緒にももじのお散歩へ行ったり、私の家の居間でのんびりと過ごす。

優奈ちゃんに絵本を読み聞かせている間、優人君はわたしたちの傍で学校の宿題をする。

彼女がお昼寝している間に優人君に勉強を教えたり、彼の子供らしさを引き出すためにわざとからかって遊んだりした。


そんな至福の習慣が根付いた頃、あの事件が起こった。



――事件の内容は、ご近所に瞬く間に知れ渡った。

あんなに小さい優奈ちゃんをジャングルジムの上へ置き去りにしたこと。

犯人の子供たちが悪びれずに『子守りばかりをして遊んでくれなかった優人君が悪い』と言ったこと。


二人はご近所の皆に(いつく)しまれていたから、犯人の子供たちとその親への憤りは燃え広がる火のように熱く伝播(でんぱ)した。


高いところから落ちれば怪我をする。

七歳にもなれば、そんなことは解っている筈なのに。

邪魔なモノを排除して自分の望みを叶えようとし、バレても自分は悪くないと主張するなんて…と、子供たちだけでなく親への非難も高まった。


噂は犯人の子供たちが住む地域まで広がり、その頃になってようやく犯人の五人の内…二人の男の子とその両親が迦我見家に謝罪に訪れた。


彼らが菓子折りを持って家を出たという一報がご近所ネットワークから入ると、第三者が立ち会ったほうがいいだろうという声が上がり、自治会長さんや地区長さん、それに事の推移を見守りたいご近所の方々も迦我見家の玄関先に集まったのだそうだ。


二組の両親は憔悴(しょうすい)した面持ちで、土下座こそしなかったものの、優奈ちゃんに怪我をさせてしまったこと、すぐに謝りにこなかったことを詫びた。


彼らは首謀者である女生徒の両親に『謝罪をすればこちらが悪いと認めたことになる』『うちの子まで犯罪者に仕立てるつもりか』等と恫喝(どうかつ)され、どうしたら良いのか思い悩んでいるうちに時間が経ってしまったのだ…と説明したらしい。


その場に立ち会っていたうちの母(いわ)く、この()に及んでもまだ他者に罪をなすりつけ、少しでも自分たちの罪を軽くしようとする彼らの訴えを、優人君とおじい様は黙って聞き続けた。

十分も経つと同じような内容の()(ごと)となった為、おじい様が話を切り上げたのだと云う。


おじい様は彼らが自己弁護を繰り返していることを指摘し「謝罪をしたから許してもらえると思うのはそちらの勝手だが、こちらとしてはあんた達の謝罪を受け入れる気はない。

万が一うちの孫娘がこのまま死んだり、身体に障害が残るようなことにでもなれば、しかるべき場所に訴えるから覚悟しておけ」…と底冷えするような怒気を(はら)んだ口調で彼らを追い返したのだそうだ。


その数日後、謝罪に来なかった女子生徒たちの両親の醜聞(しゅうぶん)が相次いで発覚し、世間を騒がせることになった。

ほぼ同時に彼女たちが学校でクラスメイトに陰湿なイジメを繰り返していたことが解り、緊急の保護者会や学校説明会等が開かれた。


女子生徒たちは学校に姿を現さないまま不登校となり、次々と夜逃げ同然に市外へ引っ越していったらしい。



病院へ入院している優奈ちゃんの容態が安定し、集中治療室から一般の病室へ移された頃、私は花束と手作りのお菓子を持ってお見舞いに行った。


そして周りに誰もいない時を見計らって、優人君にこっそり訊いてみた。

「――彼らに何かしたの?」と。

個人名や具体的な内容は何一つ付け加えずに訊いた質問に、彼は迷うことなく頷く。


「ええ、もちろん。

本当は全員殺してやりたいと思ってたんだけど、優奈が何もしなくていいって言うから。

かなり手加減をして、奴らを社会的に抹殺する方向でやってみました」


婆さまが生きていればもっといろいろできた筈なのに…と言って残念がっている彼の横顔を、私は複雑な想いで見つめていた。


具体的に何をしたのか訊き出して、どんな理由があっても人を(おとしい)れてはいけないと教えるべきだ…と、私の理性が訴える。

でも、冤罪でなければ問題はない…と思う自分も確かに居て。

因果応報、彼らの自業自得だと(わら)いたい程、自分がこの兄妹に肩入れしていることを自覚した。


私は暫く考えてから、彼に「転校をしてみる気はない?」と提案した。


あなたの周囲に友達がたくさん集まることは、あなた自身にも制御できない。

今後も似たようなことが起きる可能性はある。

優奈ちゃんが同じ小学校に通うようになったら、尚更。


それを防ぐためには、違う学校に通えばいい。

遠くの学校を選べば、同級生が放課後に家へ押しかけてくることはないだろう。


家に来なければ、優奈ちゃんと出会うこともない。

嫉妬されたり、嫌がらせを受けることもない。


私の話を聞いた後、彼はおもむろに口を開いた。


「――僕も、そのことについては考えてました。

まだ両親には相談していませんけど、私立の男子校へ通おうと思っています。

今回の件は僕が……自分が恋着されていることに気づいていたのに、何の対処もしなかったのが原因ですから」


「優人君、それは…」


違う、と言ってあげたかった。

クラスメイトからの遊びの誘いを断ることが、自分の妹を危険に晒すことに繋がるなんて、賢いとはいえ七歳の子供が想定できる事ではない。


彼は私の言葉を遮るようにして訊いた。


「愛さんの通っている聖ラファエラは、どんな学校ですか?

僕がハッキリと拒絶の意志を示すだけじゃ足りない場合のことを考えると、優奈も公立ではなくてしっかりとした私立へ入れたほうがいいと思うんです」




――祭囃子(まつりばやし)の音が遠くから聞こえていた。


私は迦我見家の縁側でラムネを飲みながら二人の着替えが終わるのを待っていた。

一人で待っている間、二人との出会いから二年経っていることをぼんやりと思い出す。


ラムネを飲み干すと、瓶の中のビー玉がカランっと鳴った。

一抹(いつまつ)の淋しさを感じながら瓶を置いたとき、背後から声をかけられた。


「愛さん、お待たせ」


振り向くとそこには浴衣に着替えた優人君が立っていた。

上は白く下にゆくほど濃い青色のグラデーションの生地に白抜きの流水柄。

見た目にはとても涼やかそうに見える。


背が伸びて大人っぽくなってきた弟分の浴衣姿を眺め、私はにっこりと笑った。


「うん、お待ちしておりました。

浴衣、よく似合ってるわ。

あとで写真撮らせてね」


「それは構わないけど…本当に浴衣(コレ)貰っちゃっていいの?

布地だけでも結構高いって、学校の先生が言ってたよ」


子供らしからぬ心配を口にする優人君の髪の毛を、私はくしゃりと撫でまわした。


「いいの、いいの。

うちの母さんが是非二人に着てほしいって言って、作ったんだもの。

二人が着てくれると、いい宣伝にもなるし、一石二鳥だからって」


「…本当に?」


「和裁なんて、今時流行らないと思うけどね。

あなた達が『手作りの可愛い浴衣』を着ている姿を、ご近所の奥様方に見てもらったら、自分も孫に作ってあげたいわ…なんて思う人が集まるかもしれないって、期待しているみたいよ」


趣味も兼ねて自宅で和裁教室を開いている母の企みを話すと、優人君は一瞬目を丸くしてくすっと笑った。


「僕と優奈は宣伝係?」


「そうそう。

ギャラは現物支給、前払いでね」


お互いの顔を見合わせて悪人風にニヤニヤ笑っていると、軽やかな足音と共に優奈ちゃんが現れた。


「めぐみおねえちゃん、みてみて~」


優奈ちゃんの浴衣は白い生地に流水と淡いピンクの撫子柄。

彼女が身動きする度に、鮮やかなピンクの兵児帯がふわふわゆらゆら揺れている。


「うわぁ、可愛い!

優奈ちゃん、すっごく良く似合ってるわ」


心の中で「母さんGJ!」と叫びながら、私は優奈ちゃんの愛らしい浴衣姿を()でた。


「うん、よく似合ってる。

きっと、今日お祭りに来る他の誰よりも、優奈が一番可愛いよ。

その金魚帯も、大きなリボンみたいで素敵だね」


私たちが褒めると、優奈ちゃんは頬を赤らめて恥らった。


「…あ、そうだ。

おねえちゃん、ママがね『おさきにどうぞ』って、ゆってたの。

これからおきがえするから、じかんかかるんだって」



朱音(あやね)さんからの伝言を聞くと、私たちは三人で先に神社へ向かった。

地元の小さなお祭りだから、境内の中を探せばすぐに合流できる。


優奈ちゃんの足の速さにあわせて、三人で他愛のない話をしながら歩いた。


「ももじはいっしょじゃないの?」と訊く優奈ちゃんに、人ごみの中には連れて行けないこと、犬が苦手な人もいることを説明すると、理解はしてくれたものの目に見えてしょんぼりしてしまった。


「優奈、ももじとはまた次の機会に一緒に遊べばいいだろう?」


「…。」


「帰ったら、僕の作った『ももじ人形』を貸してあげるから」


「ほんとう?」


「うん、本当。

今夜は『ももじ人形』と一緒に寝ていいから、今はお祭りを楽しむことを考えよう?」


「はぁい」


優奈ちゃんは明るく返事をして再び元気よく歩き始めた。

私は車道側を歩きながら左隣の優人君に質問する。


「『ももじ人形』って、何?」


「僕が作った、二分の一スケールのももじのぬいぐるみ。

今年の夏休みの自由課題として作ったもので、優奈のお気にりなんだ。

学校に提出した後、返却されたら優奈にあげる予定」


優人君は複雑そうな表情を浮かべながら、口ごもった声で答えた。

私はわざと明るい口調でからかう。


「なぁに?

自分の作った人形にまでヤキモチ焼いてるの?」


「…そうかも」


「あら、珍しくあっさり認めちゃうのね。

そんなに素直だと、からかって遊べなくなっちゃうじゃない。

お姉ちゃんつまらないわ」


「…。」


「それにしても、ぬいぐるみまで作れるなんて、優人君は本当に器用ね。

手縫いで作ったの?」


「うん、そうだよ。

材料は母さんが揃えてくれたんだ。

本当は優奈とそっくりな人形を作りたかったんだけど…怖いからいらないって言われちゃって、仕方なくももじのぬいぐるみに変えたんだ」


「怖いって…どうして?」


「このあいだ父さんと一緒に、怪奇現象を特集したTVを観たらしくて。

その番組の中で、髪が伸びる日本人形が紹介されてたんだってさ。

それ以来人形が怖くなったみたいで、着せ替え遊びも全然しなくなった」


彼の心底残念そうな口調と語られている内容の落差が可笑しくて、私は大爆笑してしまった。


「ちょっ、愛さん?

……そんなに笑うことじゃないと思うんだけど?」


その不満げな表情と口調に更に笑いを誘われて、私は暫くの間クスクスと笑い続けた。


この子は優奈ちゃんの事となると、途端に子供っぽい面を見せる。

未だに変わらないその傾向が、可笑しくて(いと)おしかった。


「おにいちゃん、おねえちゃん、はやくはやくー」


いつの間にか先に行っていた優奈ちゃんが、曲がり角のところで立ち止まって私たちを呼んでいる。

私と優人君は急いで優奈ちゃんに追いつき、一緒に神社の鳥居をくぐった。



夕闇が東の空から忍び寄り、宵宮祭の赤い提灯が境内の中を明るく照らす頃、私たちは遊ぶのを止めて食べることに夢中になっていた。


甘いモノとしょっぱいモノが交互になるよう気をつけながら、屋台で食べたいものを購入し、社務所の隣に設営された飲食スペースに座って食べる。

一人前を三人で分けて食べると、あっという間に食べ物が胃袋へ消えてゆく。


「――それじゃあ、次は何を食べたい?」


わたしが訊くと、優奈ちゃんは右手を挙げて元気よく答えた。


「たこやき!」


「じゃあ、次は粉モノにしましょうか。

私が先にたこ焼きを買いに行くわね。

私が戻ってきたら、優人君がお好み焼きを買いに行く…ってことでいい?」


「うん、わかった」


優奈ちゃんの傍に優人君を残して、美味しいたこ焼き屋さんの屋台を探す。

大きいタコを入れて作ってくれる馴染みのおじさんの屋台を見つけ、六個入りのものを一つ購入して二人のもとへと戻る。


焼きたてのたこ焼きが入った舟形の入れ物をテーブルの上に置くと、それを見た優奈ちゃんが歓声を上げた。


「おねえちゃん、かつおぶしがおどってるよ」


「うふふ、そうね、出来立てのアツアツだから」


私が優奈ちゃんの隣に座ると、優人君は「先に食べていていいよ」と言って席を立ち、お好み焼きを買いに行った。


優奈ちゃん目を輝かせて鰹節のダンスを眺めている。

私は爪楊枝を刺してたこ焼きを持ち上げると、鰹節を吹き飛ばさないように気をつけながら冷ました。


「おねえちゃん、どうしてふぅふぅしてるの?」


「熱すぎるとお口の中が火傷してしまうから、少し冷ましているのよ。

…もう大丈夫かな?」


私は下に手を添え、優奈ちゃんの口元へたこ焼きを移動させた。


「はい、優奈ちゃん、アーンして」


素直に従ってくれた彼女の口の中にたこ焼きを入れた途端、ちいさな悲鳴が上がった。


「…あちゅっ」


「中はまだアツアツだから、気をつけて食べてね」


優奈ちゃんは私の言葉に頷きつつ、はふはふしながらたこ焼きを頬張っている。

その間に二個目を冷ましておき、口の中が空になった頃合いを見計らってまたたこ焼きを食べさせてあげた。

私を信頼して口を開けてくれる優奈ちゃんを見ていると、親鳥になったような気分が味わえてとても楽しい。


私がにまにましながらたこ焼きを食べる優奈ちゃんの姿を愛でていると、お好み焼きを買って戻ってきた優人君が冷たい眼差しで私を見た。


ふふふっ、口惜(くや)しがっても遅いわよ。

優奈ちゃんの分のたこ焼きは、私が全部食べさせちゃったもの。


無言のまま高笑いをする仕草をして勝ち誇って見せると、彼はがっくりと肩を落として椅子に座りこんだ。


――あら、そんなにショックだったのかしら?

私は勝者の笑みを口元に(たた)えたまま、優奈ちゃんに声をかけた。


「優奈ちゃん、たこ焼き美味しかった?」


「うん、とっても!」


「そう、良かったわね。

それじゃあ、今度は優奈ちゃんがお兄ちゃんに食べさせてあげてくれる?」


「…え?」


「はぁい」


優奈ちゃんは驚いている兄の様子に全く気がつかずに、爪楊枝が刺さったたこ焼きを慎重に持ち上げている。


「はい、おにいちゃん、アーンして?」


優奈ちゃんは私がさっき言った台詞をそのまま口にした。

優人君は思いっきり動揺して固まっている。


たこ焼きを持ったままの優奈ちゃんの腕がぷるぷるしはじめたので、私は横からパクッとたこ焼きを頂いた。


「「あ」」


二人の声が重なる。

私はお行儀よく口の中のたこ焼きを食べ終えてから感想を述べた。


「んー、美味しいっ。

優奈ちゃんみたいな可愛い子に食べさせてもらうと、余計に美味しく感じるのかもしれないわね」


「おねえちゃん、もうひとつたべる?」


「うん、食べる食べる」


「はい、おねえちゃん、アーン」


私が二個目のたこ焼きを食べさせてもらった直後、携帯電話が鳴った。

私は着信画面で相手を確認し、口の中のものを嚥下(えんか)してからすぐに電話に出た。


「優奈、次は僕に…」


妹におねだりしている優人君を横目で見ながら会話をする。


「はい、今、三人で社務所の隣に居ます。

左側の手前のテーブルです。

…あ、こちらからは見えました」


手を振って見せ、お互い笑いながら通話を終えた。

そして、爪楊枝をたこ焼きを刺して持ち上げようとしている優奈ちゃんに声をかける。


「優奈ちゃん、お母さんとお父さんが来たわよ」


「ママとパパが?」


ぽとり。

優奈ちゃんの手から爪楊枝が離れ、たこ焼きと共に容器の上に落下した。


「…あ、ほんとだ。

ママー、パパー!」


優人君はご両親のもとへ駈け出してゆく優奈ちゃんの後ろ姿を呆然と見送っている。

私は彼の肩をポンっと叩いて慰めた。


「折角チャンスを作ってあげたのに、残念だったわね」


「…わざとでしょう?」


「何のこと?」


「絶対に、解った上でやったんでしょう?

あと一分…いや三十秒待ってくれたらっ」


「チャンスの神様は気が短いの。

いい勉強になったわね」


にこにこ、にっこり。

私が完璧な笑顔を作ってそう言うと、優人君はテーブルの上に突っ伏した。


「ああ…もう、愛さんには(もてあそ)ばれてばっかりだ」


「あら、これは愛の(ムチ)、言わば教育的指導よ?

もちろん遊び心もふんだんに盛り込んでいるけどね」


楽しすぎて笑いが止まらない。

彼はにまにましている私の顔を見上げて苦笑した。


「そんなに楽しい?」


「ええ、もちろん。

あなたは他人にやりこめられる体験を学ぶべきだし、私は弟分を(いじ)って楽しく遊べるし、一石二鳥でしょう?」


「…。」


優人君が何か言う前に、優奈ちゃんが私たちを呼んだ。


「おにいちゃん、おねえちゃん、みこまいがはじまるってー」


優人君は妹の呼び声を聞くと素早く立ち上がり、未開封のままのお好み焼きとたこ焼きの容器をビニール袋に入れて手に持った。

朱音さんたちと合流し、五人で舞の舞台となる場所へ移動する。


「もう神子舞が始まる時間なんですね。

楽しい時間ほどあっという間に過ぎてゆきます」


透さんの右手は優奈ちゃんと、左手は優人君と繋がっている。

その背中を追いながら、私は朱音さんに話しかけた。


「まぁ、愛ちゃんったら……まだまだこれからよ?

歳を重ねるごとに、より一層月日が経つのが早く感じられるようになるわ」


朱音さんのおっとりした口調には、過ぎ去ってゆく季節を惜しむような寂寥感がほんの少しだけ混じっていた。


「――愛ちゃんは教育学部に進んだと聞いたけれど、学校の先生になりたいの?」


「はい。

大学で教職員免許を取って、母校の教員採用試験を受けたいと考えてます」


「愛ちゃん、子供好きだものね。

ウチの子たちの面倒も良く見てくれて、本当に助かっているわ。

いつもありがとう」


「いえ、こちらこそ…信頼して預けて頂いてありがとうございます。

いろいろと勉強になりますし、優奈ちゃんと優人君を見ていると、とても楽しいんです」


朱音さんの邪気のない笑顔につられて私も笑う。


会場が近づくにつれて、人の歩みの流れが緩やかになってゆく。

父親と手を繋いで歩く二人の頭上、遥か彼方の夜空の星を見上げて祈った。


――どうか優奈ちゃんと優人君をお守り下さい。


優人君の人より優れた才能と抜きんでた美貌は、(わざわい)をも招きよせる。

それが自分だけを傷つけるものなら、彼はきっと気にしない。

だけど、家族がまた巻き込まれることになったら、成長してできることが増えてゆく分だけ、仕返しもより苛烈になってゆくことが容易に想像できる。


それは誰にとっても…良くない未来だと思う。


「完璧で冷酷なスーパーヒーローより、カッコイイけどちょっとヘタレで優しいヒーローのほうがいいし、シリアスよりコメディのほうが観ていて楽しいから…」


我知らず呟いた煩悩まみれの言葉に、朱音さんが首を傾げた。


「…あら、何の話?」


「いいえ、何でもありません」


私は笑って誤魔化しながら、心の中で自分を戒める。



可愛い子供たちを自分の好みに育つよう画策(かくさく)するのは、私の密かな楽しみだから……誰にも内緒♪




※ 本編の続きがまだ書きあがっていないため、

本日の更新は後夜祭分になります ※


うち兄一周年記念祭☆第三弾(後夜祭)

オオカミ様のリクエスト「妹の浴衣、たこ焼き」と、

TATOE様のリクエスト「妹、近所のお姉さんとお友達になる。兄、お姉さんにあしらわれる」を

組み合わせて書かせて頂きました。


時間軸が飛び飛びになっています(スミマセン

途中で解らなくなった方は下記ご参照下さい。

兄妹との出会い(事件前)→ 兄へ転校を提案する(事件後、ぷらす第一話より前)→ 夏祭り(現在=事件から二年後)


十時先生の祈りは、微妙に叶ったような、叶わなかったような…?

まぁ、西洋人形より動物のぬいぐるみの方がマシでしょう(多分


ふと気が付けば、両方とも教職員視点の話になっていました。

対の番外編だから、まぁ、いいか。


兄はチャンス(?)を逃し続け、少しづつ臆面が無くなってゆきます。

…で、成長後の現在はあんな感じに(ぉ


兄が裏で何をしたのか、という話は本編で出るかも? ← 決めてないw

前夜祭と後夜祭あわせて兄側の話は結構出したので、書かないかもしれません。



藤本(めぐみ) … 聖ラファエラ高等部三年 → 大学二年

      迦我見のご近所さん、もふもふと可愛いものが大好き。

      (三代目の犬の名前は多分栗太郎、四代目はきっと柿之介)

       大学卒業後、母校の初等部教諭となる。

      優奈のクラスの副担任に就任、彼女の写真を兄との裏取引の材料にして遊んだ。


桃次郎 … サエモド犬。温和で社交的な犬種。

     茶目っ気あり。子守りも得意だが番犬には適さない。



■2016.01.03

番外編(過去編)の次話の追加は、本編完結後になりそうなので、此方は完結済みとさせて頂きます。

本編完結後、此方のお話は全て本編末尾に転載する予定です。

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