誰に一番大きいのをあげるの? (兄 八歳 / 妹 四歳)
――底冷えがする日が続く二月中旬。
迦我見家の居間では男たちが炬燵に足を入れて、台所から漂ってくる甘いチョコレートの匂いを嗅ぎながら、まったりとお茶を飲んでいた。
「朱音は今年もザッハトルテを作るんだろう?
優奈はソレを手伝ってるのか?」
透は自分の師匠であり、義理の父親でもある龍一の問いに笑顔で答えた。
「優奈が『自分で配る分は自分で作りたい』と言ったんです。
簡単なチョコレートクッキーを娘と一緒に作るわ…と、彼女は昨日の夜から張り切って準備していましたよ」
「クッキーか…。
クッキー型は尖った形のものが多いから、危ねぇんじゃないか?
優奈が怪我しないか心配だな」
腰を浮かしかけた祖父を、優人が引き止める。
「大丈夫だよ、爺さま。
『型抜きのクッキー』じゃなくて、『ドロップクッキー』を教えるって、母さんが言ってたし」
不思議そうな顔をした祖父に、優人は母から聞いた説明をそのまま伝える。
「スプーンを両手に持って、片方のスプーンでクッキーの生地をすくい上げ、もう片方のスプーンを使って天板に落として作るクッキーを『ドロップクッキー』って言うんだって。
生地を均一な厚さに伸ばしたり、型で抜いたりする必要がない、一番簡単な作り方だそうから…心配ないと思うよ」
「そうか、それなら大丈夫か。
…いや、オーブンで火傷するかもしれねぇ」
再びソワソワし出した義父の肩を、透はポンポンっと軽く叩いた。
「朱音がちゃんと優奈を見守ってますから大丈夫ですよ。
今朝『出来上がるまで台所に入ってきちゃダメ』と言われたでしょう?
僕らは黙って待ちましょう」
「そうだよ、爺さま。
『おやつの時間に間に合うように作るから』って母さんが言ってたし……あともう少しだよ」
義理の息子と孫息子に諭されて、龍一は渋々腰を下ろした。
時計の針は十四時五十五分を刺している。
時間通りならば、あと五分で娘と孫娘がチョコレート菓子を持って出てくる筈だった。
ボーン、ボーン、ボーン…。
年代ものの古時計が十五時を告げる鐘を鳴らす。
その音とほぼ同時に、台所と居間を仕切る引き戸が開けられた。
「じゃじゃーん♪
お母さんからのザッハトルテと、優奈からのチョコレートクッキーができましたよ~」
「できましたよ~♪」
母と娘はお揃いのエプロンを身に着けたまま、笑顔で居間に入って来た。
朱音は綺麗に切り分けたザッハトルテをお盆に乗せ、優奈は籐のバスケットを抱えている。
「あなた、このケーキとフォークをテーブルに並べてくれる?
私は飲み物を用意して持ってくるから」
「僕がそっちをやろうか?」
「ううん、平気。
お父さんもコーヒーで良い?」
「ああ、砂糖は無しで頼む」
慌しく動き始めた大人たちを尻目に、優人は妹に話しかけた。
「優奈は僕のとなりにおいで」
「うん」
優人が妹のために炬燵の布団をめくってあげると、優奈はその隙間へ猫のようにするりと滑り込んだ。
「おにいちゃん、おこた、あったかいね」
妹の言葉に、兄はとろけるような笑顔で頷く。
そんな二人のテーブルの前に、マグカップが二つ置かれた。
「はい、優人と優奈はホットミルクね」
母は飲み物の配膳を終えると父のとなりに座り、家族全員の顔を見渡してからにっこりと笑った。
「…お待たせ、さぁどうぞ召し上がれ」
「「「「いただきます」」」」
家族全員で母の作ったオーストリア発祥のチョコレートケーキを食べた。
濃厚なチョコレートの味を程よい酸味のある柑橘類のジャムが引き立てている。
ふんわりと泡立てられた生クリームを一緒に食べると、味に変化が出てとても美味しい。
母からのバレンタインの贈り物を食べ終わる頃には、優奈の作ったクッキーに話題が移っていた。
「優奈は何人分作ったんだ?
爺ちゃんの分もあるのか?」
「うん、おじいちゃんのもあるよ。
ええとね、おじいちゃんとパパとおにいちゃんと…。
あおいちゃんでしょ、かずくんとりょーくんにもあげるの。
それからね…」
優奈は指折り人数を数えつつ、籠の中から可愛くラッピングされた包みを取出してゆく。
その中に、明らかに大きさが違うものが一つだけあり、迦我見家の男たちの目を惹いた。
「「「…。」」」
男たちは無言のまま、互いの表情を盗み見る。
祖父である龍一は、興味のないフリをしてすぐに視線を逸らした。
父である透は、ゴクリと息を飲んだ。
兄である優人は、一番大きなプレゼントを見つめて、その『差』がどれくらいあるのか測っている。
透はわざとらしく咳払いをして、娘に直接問いただした。
「あー……コホンっ。
優奈、ひとつだけすごーく大きなのがあるけど…余ったクッキーをコレに全部入れちゃったのかな?」
「ちがうもん、ソレは『とくべつ』なの」
優奈はぷぅっと頬を膨らませて、配分ミスではないと答えた。
…ということは、意図的に『差』をつけたということ。
では、その『特別』なバレンタインのプレゼントを、誰にあげるつもりなんだ?
「優奈が特別にたくさんあげたい人って…誰かな?
葵ちゃんかい?」
父の質問に、優奈はふるふると頭を振った。
「ううん、ちがう。
あおいちゃんじゃない」
…じゃあ、誰なんだ?!
どんどん落ち着きを失くしてゆく男性陣の様子を、朱音は生ぬるい目で見守っている。
優奈はそんな男たちの様子の変化に気がつきもせずに、『一番大きなバレンタインのプレゼント』を持って立ち上がり、お目当ての相手へとお礼の言葉と一緒にそっと差し出した。
「――ママ、いつもありがと~」
「「「…。」」」
予想外の伏兵の勝利に、男たちは全員絶句している。
そんな彼らの前で、母はおっとりと笑った。
「あら、優奈の『特別』は私にくれるの?」
「うん、いつもおいしいごはんとおやつをくれるから。
かんしゃのきもち、たくさんいれたよ」
「まぁ、そうなの?
お母さん、とっても嬉しいわ」
母は娘をぎゅっと抱きしめて頬をすり寄せた。
「もうっ、この子ったら可愛いんだから…」
「ママ、くるしいよ」
「あらあら、ごめんなさい。
うふふ、優奈、今夜の晩ごはん何がいい?」
「…ええとね、めだまやきがのった、はんばぁぐがいいな」
「そう?
じゃあお母さん、腕によりをかけて、美味しいのつくってあげるわね」
「うん♪」
母と娘が醸し出す和気藹々とした雰囲気に包まれながら、迦我見家の男たちは自らの敗北に心の中で涙した。
その後、優人が母に「僕も料理が作れるようになりたい」と願い、毎日母の手伝いをしながら料理を覚えていったのは…また別のお話。
兄は妹を餌付けするために料理修行を始めました……の巻。
かずくん = 葵の親戚。 優奈&葵と同じ年で、優奈が入院していた病院の跡取り息子。
りょーくん = 七瀬家に代々仕えている水沢家の嫡男。 ちびズのお目付け役兼遊び相手。
優人とは非常に仲が悪い。