漫画のコマちゃん
「お母さん虫取りしていい?」
「気味の悪いことを言わないで、拓也! お母さん虫なんて耐えられない!」
「じゃあ、モモンガ……インコでいいから飼ってもいい?」
「あのね……命は玩具じゃないのよ。それにそう言ってお母さんが結局は世話をするのでしょう?」
お母さんはそう言ってペットを飼わせてくれない。
「あーあ、もういっそこのこの漫画が生きていたらペットにするのに」
そう呟く。でもありえない。
「…………」
バサッ。
あ、漫画が落ちたと拾おうとすると、本はジタバタする。
僕は周囲を見渡した。
ファンなんて回してない……なのになんで?
そう漫画から目を逸らすと、バサバサと急に風が吹いた。何だと振り返れば漫画が空を一生懸命かいて飛んでいる。
「…………」
僕は両手を広げる。
「おいで……」
すると漫画がビュンと飛んできてバシンと顔に直撃し、僕は床を転げ回った。
そんな僕を漫画が降りてきて心配そうに見ている。いや、お前だ。
「顔はやめて、手に乗って!」
すると今度はよろよろしながら何とか手に降りる。
開くと“むむむー”と鳴く。
「……嫌なの?」
「むむむー!」
いや、どっち?
「よ〜し……五六ページを開け!」
すると漫画はもたついてページを行ったり来たりペラペラ……ペラペラペラと捲りしながら『あ、ここだ!』とばかりに急にべべと五六ページを開いた。
「おお〜!? もう芸が出来るのか、すごいじゃないか!」
僕はそう言いながら本の表紙をなでる。
するとまた、むむむー! と鳴く漫画。うーん……たぶん喜んでいる?
「…………」
あれ、急に静かになったぞ? どうしたのかと不審がっていると、漫画はまたページを捲りだした。
現れたのは主人公が仲間と宴会するシーン。次に肉を頬張るシーン。ヒロインからお菓子をもらうシーン。
「もしかして……お腹減ってる?」
正解! とばかりに、本がパララララと全ページをなびかせた。
「え、えー何たべるの?」
すると漫画はまたジタバタと飛び始め、僕の勉強机に降りる。それからじっとノートを……たぶん見ている??
「もしかして……文字を食べるとか?」
試しにノートに“おはよう”と書いてみる。
すると漫画がぴょぴょっと跳ねてノートの前に座り、小さな手を伸ばし文字だけペリリと取り出しむしゃむしゃしだした。
……あれ? 腕生えてない?
おまけに、さらなる発見があった。
「あれ……このページのセリフが変わってる」
バトルシーンに唐突に現れる“おはよう”の文字。
「ま、漫画の系統が変わっちゃうよーっ!?」
思わずガーンとなる。
いけない……食べさせる文字は厳選しないと……!
「『究極にして最大にしてエレクトラにしてバーサーカーレボリューション!!』……よし、かっこいいからコレにしよう!」
しかし、漫画はこのご飯がお気に召さず、プイッとそっぽを向く。
「かっこいいのに何でだよー!?」
あれ? でも漫画は文字だけで出来ているわけじゃないような……。
僕は定規を取り出しノートにシャッシャッ……シャッと小さな四角を描いた。
すると漫画がまた手を伸ばし、ペリペリと剥がしてむしゃむしゃ食べ始める。
ドキドキしていると、なんとそのページに新たなコマが出現した!
「すごい……ってことは、絵も食べるのかな!?」
僕はこのページにヒロインを登場させることにした。絵なんて図工以外かかないけど、自分の絵が本になると思うとワクワクする。
「よし! 描きあげた」
ドキドキしながら見守ていると、漫画は腕を伸ばした。やったー!
……しかし、むしゃむしゃしたのは比較的うまく描けたヒロインのリボンだけだった。
バトルシーンがどんどんシュールなファンタジーになっていく。
「くっそー! 絵や字の上手さがものを言うのかー? あ、えーなら、習字やっていて初めて良かったかも!?」
小学校一年生から五年イヤイヤやっていたが、人生とはわからないものだ。
「あれ……でも、これ……頑張ってエッチな格好のヒロインを描いていけば……買わずにエッチな漫画が読めるかも!?」
それから僕は絵の特訓を始めた。
カリカリ、カリカリ、カリカリカリカリ。
――が、化け物が大量生産されて……気付けば夕飯の時間になっている。
「ご、ごめんねー……僕が不甲斐ないばかりに!」
何故か一瞬、むむーっ……と漫画が僕を可哀想なものを見るような目で見たような気がした。
たぶん気のせいだけど。
そうして、僕はかっこいいセリフや決め台詞を考え、定規で線を引き、絵の練習をして漫画……コマ割りから『コマちゃん』を育て始めた。
それと同時に絵やコマ割りの練習の意味を込めてコマちゃん観察の漫画を描き始める。
観察してわかったのはコマちゃんの腕は出し入れ式で、必要な時に出ること。
コマやセリフや絵が影響するのは開いて食べるページの部分のみ。
「コマちゃん、コマちゃん! こっちのページでお願い」
『むむむー!』
だけど、コマちゃんは自分の気分や体調で開くページを変えていて……無理やり別のページを開こうとすると、バササーッと飛んで逃げてしまう。
『むむむー!』
飛ぶのがすっかり慣れたコマちゃんは、時に本棚の上とかに逃げ込むし、怒るとなかなか降りてこない。
『むむ。むむ!』
「ごめーんコマちゃーん……もうしないから」
『む……!』
何故か意思疎通の会話も出来ている。
「コマちゃん……実は今度、学級新聞の漫画を描くことになったんだよ! まさか僕が漫画をこんな普通に描けるようになるなんて……これもコマちゃんのおかげだね!」
『むむー、むむむー!』
コマちゃんが嬉しそうにページをパララララとはためかせる。
ふふ……誰にも言ってないけど、コマちゃんは世界一かわいいの僕のペットだ。
「でも本当は……誰かにコマちゃんを見せたいな。……お母さんは怒られるから無理だし、お兄ちゃんやお父さんにも言えないけど」
『むむー?』
だってきっとコマちゃんが見つかったら、きっと何とかっていう秘密の組織とかそこら辺に研究対象にされてしまう。
そんなの絶対に駄目だ!
「コマちゃんは……僕が守るんだ」
『むむむー!』
だけど、そうだな……よっちゃん。
親友のよっちゃんにだけなら、コマちゃんを会わせてもいいかもしれない!
「……コマちゃんも外に出てみたい?」
『むむっ?』
コマちゃんは外の世界を知らないから、そのことにあまりピンと来ていないみたいだ。
「人があんまり来ていないところなら、公園の広い所で飛んでも目立たないかもしれない! きっと気持ちいいよコマちゃん!」
『むむむー!』
コマちゃんが僕の顔に飛んできて、嬉しそうにスリスリと頬ずりする。
「もう……ダメだよコマちゃんったら。ページが折れちゃうよ!」
『むむむ。むむむ』
たく、僕のことが大好きなんだからなコマちゃんは!
「じゃあリュックに入ってさっそく出発だよ!」
『むむむー!』
それが全ての間違いだった。
「拓ちゃん大丈夫! ケガはない!?」
そう、親友のよっちゃんが心配して駆けつける。
……ちっとも、大丈夫なんかじゃない。
午前中の雨で道がまだ濡れていて、クロックスで走り回った僕はうっかり滑って転んだ。
リュックはコマちゃんが息が出来るようにチャックが開いていて……中には僕の宝物のコマちゃんがいた。
僕が滑ったと同時にその中身を派手にぶちまける。
目の前には大きな水たまり。
その水たまりに財布やおやつと共に……コマちゃんがそのなかへと飛んでいく。
「コマちゃん――――!」
水飛沫が上がる。
まるでスローモーションの様にゆっくりとその映像が流れた。
僕は急いで立ち上がり拾いあげたが……ページが複数折れ、中身も完全に濡れている。
どう見ても複雑骨折の大怪我だ。
「ごめん、よっちゃん。僕、帰る……」
「え、え? って、拓ちゃんの財布が! って、膝もすごい血だらけだよ!?」
僕のケガなんてどうでもいいんだよっ!?
コマちゃんを助けなきゃ!
僕はコマちゃんを胸に抱いて、家まで泣きながら走った。
死なないで死なないで死なないで死なないで……。
(神様……コマちゃんを助けで下ざい゙!!)
涙と鼻水をに構っていられなかった。手で拭ったらコマちゃんが余計に濡れてしまう。
ガチャンッバタバタバタと家に駆け込む。
「こら、拓也!? 濡れた靴下で……って血が出てるじゃない!」
「…………どいて」
僕は脱衣所に行ってドライヤーを引ったくると部屋に鍵をしてこもった。
丁寧にページを一枚一枚剥がし、ドライヤーを丁寧にかける。
「“むむむー!”って鳴いて……コマちゃん……」
僕はたぶんその時、世界中の誰よりもずっとずっと祈っていた。
だけど、コマちゃんはそれ以来――。
動くことも、むむむ。と鳴くこともなく……。
静かなボロボロになった漫画本だけが横たわっている。
そして、僕のペットとの日々は終わりを告げた。
◇◇
『第百十七回栄えある漫画新人大賞に選ばれたのは……『バーサーカーR』の渡辺拓也さんです!』
あれから僕はコマちゃんがいないのに、コマちゃんのご飯をくる日もくる日も作り続けた。
そうして季節が何回も巡り……。
手が痛くてペンが持てなくなったり……まだ学生でありながら座りすぎて腰をやられたりしながら……僕はそれでも描く手を止められなかった。
長年そんなことをしていたから、おかげで今ならコマちゃんがどれを食べても満足するくらいには、上達したんじゃないかと思う。
それで、気付けばこんな晴れやかな場で僕は漫画賞を貰っている。
(そう……これが今度、連載で巻頭カラーで載るんだ。だけどみんな……コマちゃんのご飯なんだよ?)
正直、幻だったんじゃないか……イマジナリーフレンドだったんじゃないかと何度も思った。
だって他の誰もコマちゃんの存在を知らないし……と。
……だけど、自由帳に描いた『コマちゃん観察漫画』を開くと、まざまざと当時の記憶が蘇り……勝手にボロボロと涙がこぼれてくる。
違う。コマちゃんは確かにそこいたんだ。
……僕の身体がそう脳ミソを熱し、直に訴えてくる。
カサカサとした紙の質感。
生えた腕の変な冷たさ。
飛んだ時に頬をなでる風……。
あれが嘘なもんかと。
「渡辺さん……この受賞を誰に一番に報せたいと思われますか?」
インタビュアーがそう僕に尋ねる。
……普通はここで、担当編集さんや、手伝ってくれた友達やアシスタント。
支えてくれた両親や読者にまずは感謝するべきなんだろう。
だけど僕はいつもたった一匹……たった一冊のためにひたすら漫画を描いてきた。
「僕の初めて飼ったペット……漫画の『コマちゃん』にこの受賞を捧げたいです」
「……は、はい?」
インタビュアーがものすごく変な顔をしている。
だけどその一瞬だけ、僕の耳にむむむー! とあのずっと聞きたかったコマちゃんの声が……脳に直接、響く。
「コマちゃん……ありがとう」
君に出会えて本当に良かった。




