第一章 scene4 医師の診察と思惑
やがて扉がノックされ、侍女が頭を下げた。
「……先生がお見えです」
エリーゼは微笑み、私は少しだけ横に下がる。
入ってきたのは、穏やかな印象の中年医師だった。
柔らかい物腰、落ち着いた声。けれど私は、その瞳だけがやけに疲れていることに気づく。
「失礼いたします。エリーゼ様、本日のご体調はいかがですかな」
姉は礼儀正しく答えた。
「大丈夫です。少し眠気が強いくらいで……」
「うん、うん。良い傾向ですね。
体が休息を要求しているのですよ。無理をしていた体が、自ら回復しようとしている証です」
優しい声。
整然とした理屈。
一見、安心をくれる“正しい医師の言葉”。
――だというのに。
その言葉が、胸に落ちてこない。
医師は慣れた手つきで姉の脈を測り、瞼を軽く開いて光を当て、喉元を確認する。
そして満足したように小さく頷いた。
「薬もきちんと飲まれているご様子。
このまま続けていけば、必ずよくなります」
「……よくなるなら、それでいいのですけれど」
エリーゼが穏やかに微笑う。医師も同じように微笑み返す。
私は、一歩踏み出した。
「先生」
その瞬間、医師の手がわずかに止まった。
一瞬だけ――呼吸も。そして視線が泳いだ。
「なにか、ございましたかな。マリアナ様」
「姉は……以前より、弱くなっているように見えるのです。薬を飲み始めてから、“起きている時間”が減っていませんか?」
医師は一瞬だけ目を伏せた。
ほんの、呼吸ひとつ分の沈黙。
そして――
丁寧に整えられた口調が戻ってくる。
「そう感じられるのは、家族として当然のことでしょう。ですが、病というものは――
“良くなる途中が、一番不安に見える”ものです」
「でも――」
さらに続けようとした私より早く、医師は言葉を重ねた。
「イリス様も、大変ご心配なさっております。
伯爵様ともご相談の上で、最善の処方をしておりますので……
どうか、ご安心を」
そこで初めて、医師は私を真正面から見た。
優しい。
何一つ、露骨な圧はない。
それでも、その目は――
「これ以上踏み込むな」と言っているように見えた。
私は口を閉じるしかなかった。
診察が終わり、医師は立ち上がる。
「また数日後に様子を見に参ります。
今は――休むことが一番の薬です」
そう言って去っていく背中。
扉が閉まった瞬間、
小さく息を吐く音がした。
私のでも、姉のでもない。
――医師のものだった。
まるで「役目を果たした」と言わんばかりの、安堵とも諦めともつかない息。
私は唇を噛む。
“患者のため”のはずの人が、“何かを守るため”に言葉を選んでいる。
その事実が、なにより怖かった。




