第六章 scene5 子どもになれなかった男
静寂――
だが、それは一瞬だけだった。
ドォンッ!!
扉が弾け飛ぶように開く。
兵が止める暇さえなかった。
そこにはアックスが、血の気のない顔で立っていた。
乱れた息。
焦点の合わない瞳。
手は震え、拳には血。
彼は――“もう限界”だった。
イリスが目を細める。
「……アックス?」
優しい声。
いつもと変わらぬ母の音色。
それが彼を完全に壊した。
「母上様――」
次の瞬間。
アックスは膝から崩れ落ちた。
床に額を押し付けるように、必死に縋る。
声が、震えるどころか壊れていた。
「母上……母上……!!」
「もう無理なんだ……!」
「私は……私は……!」
言葉が喉で溺れる。
彼は叫ぶ。
「私はあなたの望む“人を救う王”にはなれない!!」
「…貴族としても失格!!」
「……男としても!!」
「………ただの裸の騎士だ。…もう、何も望まないで。わたしに薬を飲ませてくれ」
マリアナが息を呑む。
アイリスが目を伏せる。
エリーゼが拳を握る。
アックスは、ゆっくり顔を上げた。
涙で濡れた目が、イリスだけを見ていた。
「母上……」
「わたしはあなたの言う“正しい世界”を信じた」
「あなたの選ぶ道が正義だと思った」
「あなたが幸せになるなら、それでいいと思った」
「あなたが唯一の母だと思った」
震える息。
「でも――」
「僕は、何一つ、救えなかった」
「誰も、“僕自身さえ”救えなかった」
そして、吐くように――囁く。
「ねぇ……母上」
「一緒に――堕ちましょう」
イリスのまつ毛が、わずかに動く。
「世界なんて、要らない」
「王座なんて、いらない」
「称賛も、正義も、未来も――」
「何もかも……燃やしてしまえばいい」
世界に絶望した男の声だった。
「僕を、あなたの地獄に連れていってくれ」
「母上の檻でいい」
「母上の嘘でいい」
「母上の作る“偽物の幸福”でいい!」
叫び。
「だから――!」
「僕を捨てないで!!」
空気が裂けた。
イリスは――笑わない。
泣かない。
ただ、静かにアックスを見下ろす。
そして、ゆっくり歩み寄る。
母親のような足取り。
愛おしいものへ触れるような仕草。
アックスは震えながら、伸ばしかけた手を――
そっと母に向けた。
しかし――
イリスの声は、美しいまま冷たかった。
「駄目よ、アックス」
「わたしはあなたの母ではないわ」
「“私と地獄に堕ちる価値”すら、ないのよ」
その瞬間。
アックスの瞳から、完全に色が消えた――




