第六章 scene4 混乱
王都は混乱を極めた。
叫び声。
怒号。
泣き声。
祈り。
誰もが呟いていた。
「これは……クーデターなのか?」
「希望なのか?」
「どっちが正しい?」
「王弟? あの女? いったい誰を信じれば――」
街は裂け目の上に立っているようだった。
人々は群れになっては散り、家の扉が閉まり、そしてまた恐怖に耐えきれず開く。
母は子を抱きしめ、
老人は壁に凭れ、
若者は拳を握り締めながら――
誰も前を見ない。
皆が、 ただ“見えない落下”に怯えていた。
暗い地下室。
薄い笑み。
カップがテーブルに置かれる音だけが、やけに澄んで響く。
「いいわ……今よ」
イリスの声は、優しい。
優しいのに――血より冷たい。
薬瓶が並ぶ。
指示が飛ぶ。
街へ配られる。
「恐れる必要はありません」
「これを飲めば楽になります」
「心が軽くなる」
「不安は消える」
「ただ身を委ねていればいい」
“依存という救済”。
混乱ほど、これほど楽に人を縛れる時期はない。
人は強さより、正義より、真実より
「楽でいたい」を選ぶから。
同じ頃――
薄暗い部屋。
静かに寝かされた伯爵。
疲れ切った兵。
薬を研究し続ける薬師。
焦げた声の祈り。
そして――
壁にもたれ、息を整えるエリーゼ。
肩で呼吸しながら、口を結ぶ。
「……このままじゃ……国は、呑まれてしまうわ。ここまできたのに」
マリアナは拳を握る。
「光は掲げた。でも、“届いていない”。
みんな、まだ……ただ怯えてるだけ」
希望はある。
動きもある。
でも――
人の心は、まだ取り残されている。
それが分かるからこそ、苦しい。
そのとき。
扉が静かに開く。
足音。
柔らかな衣擦れ。
温かな空気が、ふっと入り込む。
ルミナが、入ってきた。
微笑っていた。
それは、母の笑顔。
戦場の中心にいてなお、人を抱きしめられる人だけが持つ微笑み。
彼女は静かに外を見る。
揺れる灯火。
逃げ惑う影。
泣く子ども。
戸惑う兵。
そして、苦しそうに空を仰ぐ人々。
「……似ているわね」
静かな声。
マリアナが振り返る。
「何に……?」
ルミナは目を閉じた。
「昔の、教会に」
戦争で親を失った子どもたち。
生活を捨てざるを得なかった人々。
明日が見えず、ただ震えていた人たち。
――あの日、私は歌った。
そして、人が泣いた。
泣いて、泣いて、
顔を上げた。
「……歌で、何かが救えたなんて思っていなかった」
ただ必要だった。
体を起こすための力じゃない。
剣を振るう勇気じゃない。
“立ち尽くしていた心を、前へ歩かせるための一歩”。
ルミナは静かに息を吸う。
エリーゼが気づく。
「……母さま……?」
マリアナが目を見開く。
「まさか……!」
ルミナは微笑む。
「歌いにいきましょう」
街に、歌が流れた。
最初は――誰も気にしなかった。
ただの歌。
ただの声。
だけど違った。
誰かが、足を止めた。
一人。
また一人。
そして、もう一人。
泣いていた子が――泣き止む。
怒鳴っていた男が――拳を下ろす。
震えていた少女が――一緒に歌う。
顔を、上げた。
声が、街を包んだ。
温かかった。
懐かしかった。
そして何より――
人の心を、“人のまま”に戻す歌だった。
その歌は告げる。
「あなたは、あなたのままでいい」
「誰かの鎖に頼らなくていい」
「怖くても、泣いても、それでも――生きて、選んでいい」
歌が薬より先に、人の心へ届いた。
⸻
遠くでそれを聞いたイリスは、
微笑まなかった。
息さえしなかった。
ただ――
瞳の奥だけが、はっきりと揺れた。
⸻
**光と闇の“戦い”ではない。
“どちらの世界を生きたいか”――
国民一人一人が、初めて“選び始めた”。




