第一章 Scene4 エリーゼの体悪悪化
姉エリーゼの部屋は、昔と同じ位置にあるのに、扉の前に立つたび、胸が少しだけ痛むようになった。
ノックをすると、柔らかい声が返ってくる。
「……マリアナ? 入っていいわよ」
扉を開けた瞬間、ふわりと薬草の匂いがした。
窓は開いているのに、空気は少し重たい。
ベッドの上。
薄い毛布の上に座るエリーゼが、微笑んでこちらを見た。
相変わらず、優しい笑顔だった。けれど
――痩せた。
顔色も、少し白すぎる。
私が近づくと、エリーゼは手を伸ばしてくる。
私はその手を握った。
細い。
指先が少し冷たい。
「あら、そんな顔をしないの。
ただの体質よ、昔から弱いのは変わらないわ」
冗談めかして言うその声は穏やかで、昔のままなのに。息の合間に小さく途切れる音が混ざるのが、どうしても胸に引っかかる。
「でも……前より明らかに頻度、増えてるよね」
私が言うと、姉は少しだけ視線を逸らした。
「……そう、かもしれないわね。でも医師の方も来てくださっているし、イリス様も気遣ってくださるもの」
その名前が出た瞬間、胸の奥がわずかにざわめいた。
「薬も、毎日ちゃんと飲んでるわ」
小さな瓶がテーブルに置かれている。透明な液体と、もう一つは淡い色の丸薬。
「それ、効いてるの?」
私が思わず問いかけると、エリーゼは少し驚いた顔で笑った。
「マリアナ……あなたまでそんな顔をするのね。
大丈夫よ。本当に。ただ、少し眠くなるだけ」
“眠くなるだけ”
――その言葉が引っかかる。
ただの薬なら。ただの体質なら。
こんなふうに――
姉の瞼が、話している途中で重たそうに揺れるはずはない。
「ねえ、エリーゼ」
思わず、子どもの頃みたいに名前を呼んだ。
「……なに?」
「もし――もしも、誰かが悪いことをしていたら。
それでもあなたは、きっと『仕方ない』って言うんでしょ?」
姉は一瞬だけ黙った。
それから、少し困ったように微笑む。
「そういうところ、変わらないわね。あなたは」
優しい手が、私の髪を撫でる。子どもの頃と同じ動き。
でも今、その手は少し震えていた。
「大丈夫。私は、あなたが幸せならそれでいいの。この家が壊れなければ、それで」
――違う。
そんなことでいいはずない。
「私は、あなたに幸せでいてほしいの」
気づいたら言葉が出ていた。
エリーゼは目を丸くして、それから笑う。
「……本当に、強くなったわね。でも、まだ少しだけ、危なっかしい」
そう言って、姉の瞼がまたゆっくり落ちる。
薬の瓶。
静かな部屋。
眠りに落ちていく姉。
その様子を見つめながら、胸の奥が冷たい。
――これは、“ただの体質”なんかじゃない。
頭のどこかで、乾いた声がそう告げていた。
私はそっと姉の手を握り直す。
昔、姉が守ってくれたように。
今度は、私が守らなきゃいけない。
たとえまだ武器もない。
確証もない。
ただの違和感しかないとしても――
それでも。
この眠りは、何かを奪っていく眠りだ。
私は、静かにそう確信した。




