第五章 scene5 3人の娘
療養室の空気は、針のように張りつめていた。
マリアナが父の手を握り、エリーゼが静かに薬の状態を確認し、ルミナは椅子から立ち上がらず、その背を支えるようにただ見守っている。
外は夜。
窓から差し込む淡い月光だけが、室内の灯火と混ざり合っていた。
そのときだった。
マリアナが、ふと“視線”を感じて振り向く。
窓の向こう。
闇の中で。
じっとこちらを見つめる影。
細い肩。
震える指。
必死に泣くのを堪える唇。
「――アイリス」
マリアナの声が、部屋に響いた。
全員が振り返る。
エリーゼが、息を止める。
ルミナの瞳が、静かに揺れた。
アイリスは、一歩だけ下がろうとした。
けれど逃げなかった。
いや、逃げられなかった。
マリアナは窓を開け、まるで“帰り道を開く”みたいに、そのまま扉へと回り
「入って」
扉が開かれる。
静かな音。
それは罪を踏み入れる音でもあり、
救いへ踏み込む音でもあった。
アイリスは、一歩。
そしてもう一歩。
部屋に入る。
彼女の視線は、伯爵へ吸い寄せられた。
痩せた頬。
眠り続ける父。
その手を握るルミナ。
その隣で涙を堪えるエリーゼ。
そして――真正面から見据えるマリアナ。
「……こんな顔にさせてしまったのね」
声が震えた。
「母様は、“救った”って言った。
あなたは、“守られている”って言った。
でも……」
近づくことができず、ただ立ち尽くす。
「――これは、“守られた顔”じゃない」
胸に溜まっていた何かが崩れ落ち、アイリスの膝が、わずかに折れた。
マリアナが近づく。
静かに、でも逃がさない目で。
「あなたは知ってたわけじゃない。
あなたも“見ない方が楽な現実”に閉じ込められていただけ」
アイリスは唇を噛む。
「違うわ。私は……知らないフリをしてた。
知りたくなかった。母様が悪になる世界を、見たくなかった」
涙が、落ちる。
エリーゼがその横に静かに来て、しかし抱きしめはしない。
ただ、同じ高さに目線を落とした。
「あなたは逃げなかった」
アイリスは顔を上げた。
その瞳は、震えながらも――
はっきりと家族の光を映していた。
「……お願い。
わたくしに――」
震える唇。
その一言は、もはや“イリスの娘”としての言葉ではなかった。
「“家族”として、ここに居ることを許して」
沈黙。
マリアナは微笑わない。ただ、しっかり見据えたまま言う。
「なら――」
その手を差し出す。
「“共犯者”になって」
アイリスは、息を呑む。
エリーゼも言葉をつなぐ。
「対抗できるのは“わたしたち娘だけ”の領域がある」
ルミナが静かに言葉を置いた。
「あなたには、あなたの罪がある。
でも、選べるのもまたあなたの自由よ。」
アイリスは、その場で泣き崩れた。
「……ええ。えぇ、もう逃げないわ」
マリアナの手を強く、強く握る。
その瞬間。
ベッドの上で。
伯爵の指が――少しだけ、強く握り返した。
三人の娘。
その中央で眠る父。
まだ戦いは終わらない。
むしろこれが――
「本当の家族戦争」の始まり。
そして“母と娘の最終決戦”
その布石は、静かにここで揃った。




