第四章 scene3 最初の気づきと対立の炎
それは、派手な事件でも、劇的な悲劇でもなかった。
ただの「判断」だった。
犠牲になったのは、地方を治める中堅のレーヴァント子爵家。
○ 温厚で民と距離が近い人物
○ 領地経営より「人」を優先する男
○ 多少の無駄はあっても、温度のある政治をしてきた
だから、イリスにとっては最も“切りやすい理想主義”だった。
ある日、王都に広まる噂。
「レーヴァント領、財政問題で崩壊寸前」
「領民の生活を守るための浪費だと? 甘さだ」
「能力不足だな」
事実の一部は本当。しかし、“手を加えられた真実”だった。問題の本質は 伯爵家が供給を止めた“ある薬品”と財源の歪み。だが公表されたのは違った。
「感情優先の領主が、時代に置いていかれた」
それは、冷静そうで正しい響きを持った処刑宣告だった。
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大広間。
イリスは柔らかく、アックスは静かに立っていた。
レーヴァント子爵は声を荒げない。
ただ静かに、自分の領民を想うように言う。
「私は……守りたかっただけだ。
領民たちの書類に載らない暮らしを、声にならない生活を。それが間違いだというのなら私は、もっと学ぶ努力をしよう」
イリスは優しく首を振る。
「あなたは決して悪人ではありません。
ただ“時代に合わなくなった”だけですわ」
優しい“死刑宣告”。
アックスが静かに告げる。
「あなたには温かさがあった。だからこそ、『構造』を守る役目は、別の者が担うべきだ」
――決まった。
レーヴァント子爵は失脚し、領地運営は“より効率的な”別家へと移された。
民は泣かなかった。
混乱も暴動も起きない。
むしろ、
「仕方ない」
「冷静な判断だった」
「家を守るためなら正しい」
そんな声さえ、出始めた。
混乱も悲鳴もない“平和的処刑”。
それはイリスの勝利であり同時に、世界が一段階沈んだ瞬間だった。
⸻
その夜。
侯爵の私室。
厚い扉の向こうで、ひとりの男が拳を握っていた。
侯爵。
マリアナたちの協力者となる男。
沈黙を愛し、軽々しく言葉を放たない男。
彼の前に立つ護衛副隊長が、低く報告する。
「……確認しました。レーヴァント領が崩れた直接の理由は、あくまで“供給されなくなったもの”が原因です」
侯爵は眉をひそめる。
「――薬か?」
「ええ。伯爵家が仲介するはずの安全な流通ルートが、数か月前から“別の管理”に移されていました」
沈黙。
副隊長は続ける。
「しかも、移行書類が……異常に整いすぎている。
“最初から、このために”用意されたみたいに」
侯爵は目を閉じる。
(……これは自然崩壊ではない。誰かが、“崩れるように整えた”)
そして何より侯爵を怖くさせたのは、
レーヴァントが“感謝されながら処刑された”こと。
悪人にされない。
責められない。
ただ、「冷静な判断」と呼ばれ消された。
社会が、“痛みを覚えないまま、ひとりを失った”。
侯爵は静かに呟く。
「……“感情を切り捨てる社会”は、崩壊より恐ろしい」
そして思い出す。
婚約破棄の少女。
泣きも喚きもせず、それでも必死に“人間の温度”を掴もうとした娘。
(――マリアナ。君が……やはり、必要だ)
その瞬間。世界で初めて。
イリスの築く世界に“異議を唱える視線”が生まれた。
これはまだ、小さな火種。
けれど確かに、燃え始めた火だった。




