第三章 scene5 調査開始 沈む家の“見えない穴”
夜の帳が降りた街の片隅。
薄暗いランプの光の下で、机の上に書類が広げられる。
侯爵が静かに言った。
「――では、見せよう」
紙の束が机に置かれるたび、私の胸に冷たいものが積み上がっていく。
元執事が低く告げる。
「これは、伯爵家の財務記録と、近年の商取引の一覧でございます」
そこには――
•不自然な寄付
•意味不明の“対価不明契約”
•妙に高額な医薬費
•領民支援費の削減
•代わりに急増する“私的費”
どれも、帳簿上は“綺麗”に整えられている。
だが、侯爵は静かに指を滑らせた。
「綺麗すぎる帳簿は……一番汚い」
その声音が、背筋に冷たいものを走らせた。
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◆ 「伯爵家は、静かに売られている」
侯爵は赤いペンで数箇所を円で囲んだ。
「見なさい、マリアナ嬢」
彼は淡々と語る。
「数年前まで伯爵家は、“堅実で、無理をしない家” だった」
•領民の生活投資
•安定した軍備
•慎重な外交支出
だが今は
「“短期で大きな利を得る取引” が激増している」
元執事が悔しそうに口を結ぶ。
「最初は……家を立て直すための賭けだと、皆が思っておりました」
だが違う。
侯爵は言う。
「これは【賭け】ではない。【仕掛け】だ」
すべての契約には――同じ人物の署名がある。
「……イリス」
口からその名を吐いた瞬間、
部屋の空気がわずかに重くなった。
◆ 危険な商取引 ――「薬と戦」
侯爵は別の書類を机に並べる。
「――見覚えがあるだろう?」
私は息を呑んだ。
そこにあったのは、
•例の“薬”
•それを扱う商団
•そして、その資金元の取引先
ただの商隊ではない。
ただの薬の売買でもない。
「……軍需商」
言葉が喉で凍る。
侯爵は静かに頷いた。
「武器商人と繋がっている」
ただの偶然ではない。
薬は――戦場で使われている。
•兵士の痛覚を奪い
•恐怖を鈍らせ
•心を従順にさせる
「戦を長く続けさせる“道具”だ」
侯爵の声は低く落ちた。
「その特性を――イリス嬢は民間へ“転用”した」
“優しい目的”に見せかけて。
“救済”という包装紙を被せて。
「伯爵家は……知らぬ間に、
“戦を延命する勢力”に組み込まれていた」
私の手が震える。
(……家が……人の命の代わりに、使われてる)
伯爵家は“誰かを救う家”じゃなかったの?
◆ そして――資産の行方
侯爵は最後の書類をゆっくりと広げた。
「これが――最も重い現実だ」
資産移動記録
伯爵家の財産の多くが「イリスの名義の基金」に移されている。
正当な手続き。法的にも一応は問題ない。
けれど。「これは もう伯爵家の財産ではない」
静かに突きつけられた事実。
•家の金
•領地の蓄え
•“未来のための資産”
それらはすでに――
「イリスとその連合の“権力の弾丸”」に変わった。
執事が苦しげに言う。
「……気づいた時には、もう止められませんでした」
侯爵が補足する。
「イリス嬢は、“壊してから奪った”のではない」
「“奪ってから壊した” のだ」
だから――誰も抵抗できない。
伯爵も。
騎士も。
使用人も。
そして。家族さえも。
私は唇を噛み締めた。
(奪われただけじゃない。“利用”されてる……)
◆ 侯爵の“講義”「信用を取り戻すための方法」
侯爵は姿勢を正し、私たちを見た。
「ここからは戦術の話だ」
彼は、まるで講義室に立つ教授のようだった。
まず、“事実”ではなく“概念”を叩き壊す
「世間は“イリス=救済者”と思っている」
だから、ただ事実を暴いても無意味。
「証拠だけでは人は動かない。“信用”を揺るがす必要がある」
次に味方を作る ――しかし“慎重に”
侯爵は指を折る。
•医療関係者
•賢い貴族
•領民代表
•そして――
“イリスに依存していない人”
「正義ではなく、“自分の判断を持つ者”を集めろ」
攻撃は、必ず“三方向同時”に
侯爵の目が鋭くなる。
金・評判・社会的位置
「一つだけ奪っても、イリス嬢は崩れない。
だが――三つ同時なら、崩壊する」
そして最後に侯爵は静かに言った。
「これは政治戦だ。だから――“勝った方が正義”になる」
私の胸に、その言葉が刺さる。
(優しいだけじゃ、勝てない)
(泣いてるだけじゃ、守れない)
(“奪い返す覚悟”を持たなきゃダメなんだ)
私は――少し震えながら頷いた。
私は顔を上げる。「……やる」
声は震えていない。
「証拠を集める。味方を作る。“この家は奪わせない”って証明する」
エリーゼも、母も、父も。そして――私自身も。
侯爵が微笑んだ。
「いい目になった」
執事が目を伏せ、涙を堪える。
「“娘”ではなく“後継者”になられましたね」
私は拳を握る。
イリスが言った「家族より、家を守らなくてはならない」
――いいわ。
だったら私はこう言う。
「家族を差し出さない“家の守り方”を、私が証明する」
戦いは、ここから本格的に幕を開ける。




