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第三章 scene5 作戦会議

「これは、伯爵家ひとつの問題ではありません」


簡素な宿の一室。

古い木の机。

椅子は三つ。


侯爵。

元執事。

そして私。


エリーゼは別の部屋で休んでいる。母は祈るように窓の外を見ていた。


静かな空気のなか、最初に口を開いたのは侯爵ではなく、元執事だった。


彼は背筋を伸ばしたまま、深く息を吸う。


「マリアナ様……お伝えしなくてはなりません。これは“伯爵家の問題”だけではございません」


私の心臓が跳ねた。


「……どういう、意味?」


執事は短く目を伏せ、その黒い瞳に、長年積み上げた忠誠と後悔を宿しながら言った。


「イリス様の狙いは、“一つの家の支配”ではございません狙いは――」


言葉を噛み締めて。


「『統治の形そのもの』の奪取です」


空気が沈んだ。


侯爵が指先で机を軽く叩く。肯定の合図だ。


「説明してあげなさい」


執事は静かに頷き、語り始めた。

「最初は、“家を整える”という名目でございました」

•経費削減

•役割の整理

•生活の効率化

•“家族”より“家柄”を優先する空気の流布


それらは綺麗で、整っていて、反論しにくい“正しさ”の仮面を被っている。


「しかし……本当に恐ろしいのは、その先でございます」


彼は拳を握る。


「イリス様は、“依存”を作るのです」

•心が疲れた者に、“救済の言葉”を与える

•正しさを迷う者に、“責任という名の免罪符”を与える

•自分の罪を受け入れられない者に、“役割という鎖”を与える


「その結果……」


声が震える。


「伯爵家の多くの者は、すでに“自分の判断では立てない体”に変えられております」


私は息を呑んだ。


洗脳。

でも、優しさの顔をした洗脳。


侯爵が続ける。


「最初に違和感を覚えたのは、伯爵の判断の鈍化だ」

以前なら一瞬で決断していた政治判断が遅れる

提案をすべてイリス経由にするようになった

王都との会議でも、伯爵は“発言をしなくなった”


「代わりに、喋るのは――イリス嬢とアイリス嬢だ」


侯爵は静かに言う。


「伯爵の名を使って、

伯爵の権威を使って、

伯爵の判断として――」


既成事実を積み上げ始めている。


私は寒気を覚えた。


「それって……もう……」


「ええ」


侯爵の声は低い。


「すでに伯爵家は、“実質的にはイリスの管理下”だ」


執事は震える手を組み直した。


「イリス様はこう仰いました」


“壊れた家を守れない人間に、国は守れませんわよね”


その言葉と共に動き始めた布石。

•医師の囲い込み

•製薬商との繋がり

•他家の若手官僚や騎士隊への「相談役」

•「理性的で賢い救済」という評判作り


「……あの人は、“救済の象徴”になろうとしている」


私の喉が、乾いた。


イリスは悪役にならない。

憎まれる位置に立たない。

嫌われることを選ばない。


だからこそ、怖い。


侯爵が静かに言う。


「イリスは、“弱った貴族社会”を丸ごと掌に乗せるつもりだ」


「伯爵家はただの実験台で――」

息を飲んだ私の代わりに、執事が言った。

「――“始まりのモデルケース”なのです」


侯爵は目を伏せ、一度言葉を飲み込んだ。


そして、我慢できずに吐き出す。

「もう一つ――見過ごせない事実がある」

私は息を止める。


「伯爵に与えられている“飲み物”だ」

胸が強く締め付けられた。


(やっぱり……!)


侯爵は低く言う。


「“精神を麻痺させ、従順にし、感情を削ぎ、判断を“委ねさせる”配合。”――禁制薬だ」


執事は机に額がつきそうなほど頭を下げる。


「止められず……申し訳ありませんでした」


私は拳を握った。怒りで、震えた。


伯爵を壊したのは――

私の家族を奪ったのは――


ただの偶然じゃない。

「……奪われたんだ」


声が震えた。


「“父”も、“家族”も、“家”も……全部、“正しさ”の名で」


侯爵は静かに、しかし戦場に剣を置く将軍の目で言った。


「だから――これはもう“家族の喧嘩”じゃない」


「“戦争”だよ、マリアナ嬢」


静寂。


やがて私は息を吸った。


震えを飲み込んで、涙を殺して、声を整えた。


「――分かった」


私は椅子から背を離し、前へ身体を乗り出した。


「戦おう」


弱々しい決意じゃない。

泣きながらの願いでもない。


“覚悟” だった。


侯爵が微笑む。

執事が震えた手を胸に寄せる。


私は続けた。


「まず――裏を取る」

•医師の素性

•薬の出どころ

•イリスが会っている人物

•アイリスの接触先

•アックスの動向

•王都で広がる“噂”


「証拠がいる。感情じゃ倒せないなら“理性で”潰す」


この瞬間。


私は初めて、“受け身の娘”をやめた。


侯爵が静かに笑う。


「――それでいい」


執事が深く頭を下げる。


「“お嬢様”としてではなく、“戦うお方”として、お仕えいたします」


風が窓を揺らした。

私は掌を握る。


――ここから始まる。


奪われた家族を取り戻す戦い。

優しさに偽装された支配に挑む戦い。

正しさという名の檻に、抗う戦い。


まだ震えている。

でも――もう、逃げない。


私は静かに呟いた。


「……必ず取り返すから」

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