第三章 scene4 母との再会と初めての仲間
母が身を寄せているというその街の外れに、小さな家があった。
貴族の邸宅とは比べものにならないほど質素で、壁の漆喰も少し剥がれているのに窓から漏れる灯りは、懐かしいほど温かかった。
扉を叩く前から、胸が痛い。
逃げてきた娘として。伯爵家の娘として。
そしてただの“子ども”として。
私は、息を吸って、扉を叩いた。
「……はい」
内側から、慎重な問いかけ。
その声を聞いた瞬間、膝が少し震えた。
「――母様」
扉の向こうで、何かが落ちる音がして、布が擦れる音がした。
そして扉が開いた。
灯りがこぼれる。
驚きに目を見開いた母の姿が浮かぶ。
一瞬、時間が止まった。
息もなく、言葉もなく、ただ見つめ合う数秒。
次の瞬間。
「……マリアナ……!」
私の名前が、震えた声で呼ばれた。
身体が勝手に動く。気づけば、抱きしめられていた。
母の腕は、昔のまま暖かくて。
でも、その温度に、たまらなく涙が溢れた。
「こわかったでしょう……よく……よく、ここまで……!」
強く抱かれ、でも震えている。
守ろうとして、必死で必死で、でも壊れそうな母の腕。私は、堪えきれずに泣いた。
「母様こそ……! どうして、なんで何も言わずに……!」
そう言った瞬間、背後から静かな声がした。
「マリアナ。泣くの、ずるいわ。私まで泣きたくなる」振り向けば、母に一緒に抱きしめられたエリーゼがいた。母は二人を抱くようにして、肩を震わせる。
「二人とも……ありがとう……生きていてくれて……!」
――ようやく、家族が“家族”に戻れた。
ほんの短い間でもいい。
この抱擁が、どれほど欲しかったか。
灯りの下、テーブルを囲む。
母は思っていたより痩せていた。でも、目ははっきりと前を向いている。逃げてここまで来たのは、ただの被害者ではなく“守るために戦う人の目” だった。
「大変なことだったのね」
母の声は静かだった。
「伯爵様は“壊れて”しまっている。表面上は普通に見えても、感情が欠けている。間違った方向でも、“決定”だけはできてしまう」
エリーゼが小さく頷く。
「薬……でしょうね。わたし、屋敷を離れてから少しずつ頭が軽くなっていくのを感じたから。母様も同じ。何も逆らえない、言葉がでない状況だったのよ。」
母の手が、テーブルの下でぎゅっと結ばれる。
「それを動かしているのが――
イリス。そして、アイリス。そして……アックス」
名前を出した瞬間、部屋の空気が冷える。
裏切り。
欺瞞。
支配。
「なら、私たちは戦うしかないわね」
エリーゼが静かに言った。
その声は、昔の弱い姉のものじゃなかった。
強くて、真っ直ぐで、揺らがない。
前世の記憶を持つ彼女の目は、“ただ守られる存在”を、とっくに卒業していた。
私は母の手を握る。
「母様。逃げるだけじゃ、ダメよね。このままじゃ伯爵家は完全に奪われる。父も、救えない」
母は目を伏せ――そして、ゆっくり顔を上げた。
「分かっているわ」
その瞬間。
扉が、控えめに叩かれた。
母は少しだけ微笑む。
「――来てくれたのね」
扉が開く。
入ってきたのは――
「お久しぶりでございます。お嬢様たち」
入ってきたその人物に、私たちは同時に目を見開いた。
ただの市井の人間ではない。ただの善意でもない。
この人は――
“イリスが唯一、完全に掌握できなかった存在”
伯爵家と深く関わりがあり、家の内情も知っている人物。そしてルミナが密かに頼った“切り札”。
母が静かに告げる。
「改めて紹介するわ。私たちの、“味方”よ」
温かな灯りの中で、ようやくこの戦いに“私たちはひとりじゃない”という現実が落ちた。
伯爵家の奪還は、もうただの家族の反逆じゃない。
計画になる。
戦いになる。
物語が――動き始める。




