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第一章 Scene2 伯爵家の現在― 静かで冷たい家

同じ屋敷。今は音がない。


廊下を歩くたびに、足音だけがやけに響く。

それを消そうとして、私は自然と歩幅を小さくする。

まるで――自分が何か悪いことをしているみたいに。


壁にかかる絵も、窓辺のカーテンも、家具の配置も、昔と大きくは変わっていない。

けれど、そこに流れる空気だけはまるで別物だった。


低く押し殺した声が、遠くで交わされている。


「……今日も医師がいらっしゃるそうで」

「ええ。エリーゼ様のご容態もありますから」

「それに、イリス様も……」


言い終わる前に、ふっと声が細る。

誰かが廊下を通る気配を察して、会話を飲み込んだのだろう。


私が角を曲がると、近くにいた侍女が一瞬だけ体を強張らせた。

すぐに笑顔を作る。

けれど、その笑顔は作り物の仮面みたいに、皮膚の上に貼り付けただけのものだ。


「マリアナ様」


丁寧で、礼儀正しい。

でも、どこか距離がある。


昔はもっと自然だったはずだ。

名前を呼ばれた時に、暖かい響きがあった気がする。

今はただ、役割として呼ばれているみたいだ。


廊下のあちこちで、視線を感じる。

見られているというより、観察されている。


私がどこへ行き、誰と会い、何を話すのか。

それを確かめるように、目線が追いかけてくる。


胸の奥が、冷たい指でなぞられたみたいに寒くなる。


私は何もしていない。

悪さも、失敗も、騒ぎも起こしていない。

ただ居るだけなのに、屋敷が私を「問題になり得る存在」として扱っている。


そう――

ここは私の家なのに。


扉の奥から、柔らかくも威圧感のある声がした。


「……ええ、もちろんお任せしますわ。伯爵も、今はお疲れですもの」


イリスの声だ。

彼女は優しそうに笑っているのだろう。

いつものことだ。


優しい。

礼儀正しい。

献身的。


――だから、誰も逆らわない。


ため息をつく代わりに、私は静かに視線を伏せた。

俯いた床は磨かれていて、昔よりも綺麗なはずなのに、そこに自分の居場所は映っていないように感じた。


あの頃笑い声で満たされていた家は、

今はただ、静かで、重くて、冷たい。


この屋敷はもう、“私の帰る場所”ではない――

そんな感覚が、胸の奥でひどく現実味を帯びていく。


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