第三章 scene2 フラッシュバック
――視界が、揺れる。
広間の空気が遠ざかり、足元の大地がふっと消える。
代わりに、胸の奥でずっと鍵をかけていた記憶が――
静かに、でも確実に、扉を叩いた。
開けたくない。
でも。
開いてしまう。
白い天井。
冷たい蛍光灯の光。
どこか安っぽい木のテーブル。
あ。
思い出した。
ここは、日本の大学の研究室だった。
コーヒーの紙カップ。
片方だけ外されたイヤホン。
机の下には、疲れた足で脱ぎ散らかしたスニーカー。
“マリアナになる前の私”。
私はただの人間だった。
どこにでもいる女子大学生。
朝の満員電車で押しつぶされて、レポートに追われ、奨学金の返済の不安にため息をついて、
それでも――
何気ない日常を、大切に握って生きていた。
友達と笑って。少し恋をして。家族の心配をして。
「生きること」を、いつも真剣に考えていた。
完璧じゃなかった。強くもなかった。
でも――自分の人生を、自分のものとして守りたいと思っていた。それだけは、誇りだった。
最後の記憶。
夜の自転車。
雨のにおい。
濡れたアスファルトに反射する街灯。
ブレーキ音。
強い光。
倒れる感覚。
そして――闇。
(……終わったのか、私の人生は)
そこまでが、私の“前の世界”。
⸻
暗闇の中で、私は願ったのだ。
「次の場所があるなら、今度こそ失わない人生がいい」って。
誰かに奪われる人生じゃなくて。何かの都合に飲み込まれる人生じゃなくて。“自分の意志で選べる人生”が欲しかった。
だから生まれ変わった。
この家に。
この世界に。
マリアナとして。
⸻
広間のざわめきが戻る。
アックスの背中。
父の沈む瞳。
イリスの静かな企み。
全部が現実で、全部が残酷で、全部が避けられない流れのように見えて――
胸の奥で、前世の私がはっきりと叫ぶ。
「誰かの都合で、私の人生を奪わせるな」
私はただの女の子だった。
ただの学生で。
ただの一人の人間で。
でも――
だからこそ、分かる。
人生は“誰かに仕組まれるもの”じゃない。
従うためにあるんじゃない。
生き抜くためにあるんだ。
震える手を握りしめる。息を吸う。
心の中の、もうひとりの“私”が静かに背中を押す。
「前の私が守れなかった“生きる権利”を、今の私は絶対に手放さない」
ここからは、ただ飲み込まれるだけの私じゃない。
抗う。
奪わせない。
踏みにじられない。
――命を懸ける価値のある「今」を、守るために




