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第三章 scene0 堕ちたアックス

アックスには、昔から刺さって抜けない事実があった。


――自分は、三男だ。


家は兄たちが継ぐ。領地も爵位も、名誉も、“責任”ですら。


残る自分の人生は――


「どこかの家に仕え、“居させてもらう場所”を探すだけ」

それが現実だった。

(俺には……“帰る場所”がない)


そう笑って言えた時期もあった。だが本当は、笑えなかった。


だから、伯爵家の騎士になれたとき。マリアナの婚約者として「選ばれた」と告げられたとき。


初めて胸の奥で、何かがほどけた。

(やっと……“ここにいていい”って言われた気がしたんだ)


それが、今、崩れかけている。


伯爵家は揺れ、屋敷の空気は常に不安で満ちている。

伯爵は疲れ果て、母ルミナは泣き腫らした目で微笑い、エリーゼは眠りへ沈んだ。


そして――

マリアナは真っ直ぐで、正直で、優しすぎて。だからこそ、怖かった。


(この家が崩れたら――

俺はまた、“何も持たない男”に戻るのか?)


その恐怖が、背骨に絡みつく。


そんなアックスの前に静かに手を差し出したのが、イリスだった。


イリスの言葉は「甘い」ものじゃないからこそ刺さる

「あなたは、“この家に必要な人”ですわ」


軽い賛美ではない。

甘やかしでもない。


――“役割の宣告”。


イリスの声は現実的で、淡々としていて、それでいて優しい。

「領地を安定させるために、まず“余計な不安要素”を排除しなくてはなりません」


“余計な不安要素”。


それが誰を指すのか、言われなくても分かる。

胸が、ずきりと痛む。

イリスは、迷いなく言葉を重ねる。

「弱く、不安定な者を中心に据えれば、家そのものが沈みます。ルミナ様と、エリーゼ様を“静かな療養先”へ送りましょう」


追放とは言わない。「守るために遠ざける」。

言い換えただけで、罪悪感が姿を変える。


“裏切り”が“責任”に。

(そうだ……これなら俺は、“守る側”でいられる)

アックスは、縋った。


そしてもう一歩、深い場所へ踏み込むことになる。


「楽にして差し上げる」「伯爵様は強すぎるのです」

イリスの声は静かだ。

「“責任”という鎖で、自らを縛り続けておられる」


だったら少しだけ、楽にして差し上げればいい。

「毒ではありません。ただ少し、心の重荷を軽くするだけのもの。その証拠に……最近、伯爵様は穏やかでしょう?」

それは笑顔なんかじゃない。

ただ、“痛みを感じなくなっただけ”なのに。

それでも、アックスはもう気づかない。


(これは悪じゃない。救済だ。俺たちは、この家を――守っている)


そう思わなければ、彼自身が壊れるから。


夜。罪悪感に潰れそうになるたびに必ず、アイリスが現れる。

「大丈夫ですわ、アックス様」

ただそれだけで、呼吸ができる。


「あなたは間違ってなんていません。伯爵家を守れるのはあなただけ」

甘い声ではない。理性的で、冷静で、そして揺るぎない“肯定”。


「わたくしは、あなたの選択を“正解にする側”です。

だから、わたくしを信じてくださいね」


触れない距離。でも、逃げられない距離。

優しさという名の、静かな檻。


その夜、アックスは悟る。

これは恋じゃない。

憧れでもない。

欲望でもない。


これは――“生き残るための拠り所”だ。

アイリスがいなければ、自分の罪悪感が、自分を殺してしまう。


だから、


だから、


だから。


彼はより深く彼女へ縋るしかなかった。


「……俺は、この家が欲しいわけじゃない。

ただ……ここしか、ないんだ。もう君しかいない。」


弱すぎる吐露。


アイリスは優しく抱きしめるような笑みで受け止めた。


「なら一緒に、手に入れましょう」


その一言で。


アックスの未来は、決まった。


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