第一章 scene1 昔は暖かかった家
子どもの頃の記憶。最初に思い出すのは――寒さではなく、あたたかさだった。
夕暮れ前、柔らかな灯りが部屋を照らし、窓の外は淡い金色に染まっていた。
母の声が、静かに響く。
昔、教会の歌い手だったというその声は、ただ綺麗なだけではなくて、胸の奥を優しく撫でるような温度を持っていた。
私は、その隣で小さな声を重ねる。
少し音程を外してしまって、思わず恥ずかしくなって母の顔を見上げると――
母は笑った。
叱りもせず、直そうともしない。
ただ「いいわ」と言うみたいに、私の頭をそっと撫でる。
ソファに腰掛ける父が、その様子を静かに穏やかに見守っている。
口元が緩み、目尻に柔らかな皺が寄っていた。
ベッドに凭れながら、姉のエリーゼが拍手をする。
体は弱くても、笑うと誰より優しい顔になる人だった。
少し息が上がっているのに、それでも無理をして手を叩いてくれる。
「マリアナ、すごく上手だわ」
そう言われて、私は誇らしくて、嬉しくて、胸の中がぱんぱんに膨らんだ。
暖炉の火がぱちりと弾ける。
笑い声が重なる。
誰も急いでいなくて、誰も競っていなくて、ただ、“家族”でいるだけでよかった時間。
――そう。
この家は、もともと幸せだったのだ。
疑いようもなく、間違いなく、ここは私の“居場所”だった。




