第1話 入学!
春の風が制服の裾を揺らした。 俺は、土御門学園の門の前で立ち止まり、深く息を吸い込んだ。 この瞬間を、ずっと待っていた気がする。新しい生活。新しい人間関係。高校生活を、楽しいものにする。
そう決めたんだ。
俺の名前は月見 普。この学園に入学した外部生のうちの一人。 学年でたった二十人しかいない外部枠に滑り込んだ俺は、ある意味で“異物”だ。
周囲は内部進学組ばかり。中学校からこの学園に通っている連中がほとんどで、空気も文化も、未知のものばかりだった。
でも、怖くはなかった。むしろ、ワクワクしていた。この場所で、俺は何かを掴む気がしていた。それが友情なのか、恋なのか、あるいはもっと得体の知れない何かなのかは、まだわからないけれど。
クラス分けの掲示板の前は、すでに人だかりができていた。 俺は背伸びして、自分の名前を探す。
「一年A組……アマネ、あった」
よし。まずは第一関門突破だ。何かの間違いで入学、という最悪の事態は免れることができたらしい。
そのときだった。
「雪音って、あの雪音?」
誰かがそう呟いた瞬間、耳が勝手にその名前を拾った。
「あぁ。今日告白したやつだけで10人ぎりだってよ…」
「すげぇよな…先輩も全滅したらしいぞ?」
雪音。その名前を聞いた途端、空気が変わった気がした。無意識にその方向へ目を向けた。
そこに、彼女はいた。人混みの向こう、少し離れた場所に立っていたその人は、まるで周囲の空気を支配しているかのようだった。ウルフヘアのシルエットが風に揺れ、大きな瞳が周囲を見渡している。顔は小さく、整った輪郭に儚げな表情。その容姿は、まるで“女性も好きになる女性”という言葉の具現化だった。
息を呑んだ。その存在感は、圧倒的だった。周囲のざわめきが遠くに感じるほど、俺の意識は彼女に吸い寄せられていた。
そして、次の瞬間。 雪音と目が合った。
心臓が跳ね、その場に釘付けになる。彼女の大きな瞳が、こっちを見ている。それだけで、世界が一瞬止まったような気がした。
何かが始まる。そんな予感が、胸の奥で静かに鳴った。まだ目は逸らすことができずにいた。雪音は、何も言わずに微笑んだ。その笑みは、冷たくもなく、暖かくもなく、ただ“意味深”だった。
「関わりたい」
そう思った。この人と、何かを共有したい。言葉でも、時間でも、感情でもいい。俺の高校生活に、彼女がいてほしい。そんな願望が、胸の奥から湧き上がってきた。でも、気がつくと、雪音は視界にはいなかった。
そのまま、仕方なく掲示板を離れ、教室へ向かった。 A組の教室の扉の前に立ち、深呼吸をする。
「よし、青春を始めよう」
俺は心の中でそう呟き、扉に手をかけた。
甘酸っぱい青春。憧れの人との出会い。友達との笑い合い。そんな日々が、ここから始まるんだ!その希望とともに、夢見心地で扉を開けた。まだ胸の奥で何かが燻っていたからだ。この学園で、何かが始まる。そんな予感が、まだ消えずに残っていた。
でも、現実は容赦なく俺を引き戻した。
「康太こっちこっち〜!」
「写真撮ろうよ〜!」
教室の中央にいたのは、女生徒たちに囲まれた一人の男子だった。その中心で、爽やかな笑顔を浮かべているのは、高身長のイケメン男。
俺は思わず舌打ちした。周囲の男子たちも、同じように舌打ちをしていた。その空気は、“殺意”のごとく教室中に漂っていた。
康太。その名前を聞いた瞬間、俺の中で何かがざわついた。 あいつは、俺の幼馴染だった。でも、今の康太は、俺の知っている康太じゃなかった。
「……なんだよ、あのリア充オーラ」
気がつくと、そのセリフが口から溢れていた。そのとき、背後から声がかかった。
「アマネじゃん!お前もA組かよ!」
振り返ると、そこには室がいた。小学校で同じ学校だった友人との再会。3年ぶりだけど、見慣れた顔に少しだけ安心した。
「よかった……ぼっち回避」
思わず口に出してしまった言葉に、室が笑った。
「なんだよ〜!ぼっちになんかさせねぇよ!」
そう言って笑う室に、本当に安心していた。室が、康太を見ながら俺に耳打ちしてくれた。
「康太、サッカーの特待生とモデル枠で入ったらしいぜ」
室がそう言った瞬間、俺の中で康太への敵意が確定した。
「は?特待生?モデル?」
思わず眉をひそめた。確かに運動神経は良かったけど、あいつがそんなに評価されるほどだったか?
そのときだった。 康太が、女生徒たちの輪から抜け出して、俺の方へ歩いてきた。
「普……だよね?」
その声は、懐かしくて、少しだけ優しかった。
「……康太」
俺は思わず言葉を詰まらせた。
「うわ、マジで久しぶり!七年ぶりだね!」
康太は、満面の笑みで俺の肩を叩いた。その瞬間、俺の中の敵意が少しだけ溶けた。 あの頃の康太が、少しだけ顔を覗かせた気がした。
「変わってないね!相変わらず細いし」
「うるせぇよ…お前こそ、モテるようになってんじゃねぇか!」
そんな軽口を交わしながら、俺たちは少しずつ距離を縮めていった。室も加わって、教室の隅で談笑する。
康太の話術は健在で、俺たちは気づけば笑い合っていた。
「なあ康太〜女子紹介してくれよ〜。このままじゃ童貞のまま俺死ぬ自信がある…」
冗談1割、本気9割でそう言った。プライドなんて持ってもいいことないからね。
「任せろし。僕の高校生活の目標は、普に僕が認めた彼女を作ることだからねっ」
康太はそう言って笑った。その笑顔は、昔と変わらなかった。この学園で、俺は一人じゃない。そう思えたことが、何より嬉しかった。
そして中休みには、3人で中庭に出て、ベンチに座って話すことにした。康太は、相変わらず女生徒たちに囲まれていたけど、俺の隣に座ってくれた。隣の室が般若みたいな顔をしてたけど、それは見なかったことにしよう。
「この学園、すげぇよな。なんか、空気が違う」
「だろ?なんか歴史めっちゃあるらしいし、施設も豪華なんだぜ?」
康太と室とそんな会話を交わしながら、ふと中央の銅像に目を向けた。正確には、その銅像で何かしようとしている女生徒だ。俺たちの視界に異様な光景が飛び込んできた。
白衣を着た女学生が、何かを準備していた。手には導火線。足元には小型の打ち上げ花火。
「……は?」
俺は思わず声を漏らした。
次の瞬間、火花が走り、花火が空へと打ち上がった。 昼間の空に、赤と青の閃光が咲いた。
窓からも生徒たちが驚いたように顔を覗かせていた。
「おいおい、なんだよあれ……」
康太も驚いたように目を見開いた。
その白衣の少女は、満足げに空を見上げていた。しかし、すぐに体育教師が駆け寄り、彼女の腕を掴んだ。
「こらぁぁぁあああ!!!」
怒声が響き渡り、少女は連行されていった。俺たちは、その光景を呆然と見つめていた。
その表情を見たのか、室がまた教えてくれた。
「あー…あれは学園イチの変人だよ」
「変人?」
「まぁ、何人かいるけどさ…あぁいう人…」
室はなぜか俺と目を合わせない。気まずい空気がその場を支配する。でも、青春を謳歌するために、俺は新たな決意を胸の中で追加した。
「……こういう奴らとだけは、関わるまい」
心の中で、そう固く、固く誓った。
この学園には、普通じゃない奴がいる。それは、雪音のような“美しさ”とは違う、もっと“異質”な存在だ。
俺は、平穏な高校生活を望んでいる。甘酸っぱい青春を、普通に過ごしたいだけだ。だから、ああいう“爆発系”の人間とは、絶対に関わらない。そう決めた。
でも、その爆発系少女は、俺の青春の導火線にすでに迫っていた。