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『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)  作者: 一条陽菜子


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『第十七話・3 : 甘党勇者との午後』

老婆が去ったあと、リリアはしばし足を止めていた。

胸の奥でまだざらつくように残る声。


(……なんだよ今の婆さん。市場のど真ん中でホラー仕掛けてくんじゃねぇよ……! 心臓に悪すぎるだろ!)

(……ホラー婆さんに遭遇した直後に甘い匂いかよ。ギャップで死ぬわ……)


バッグの中のワン太は、さっきから微動だにしない。

まるで「俺は何も知りません」って顔で黙り込んでいるようで、余計に不気味だった。


(おいコラ! お前が一番の原因なんじゃねーのか!? 無言でシラ切ってんじゃねぇぞ!)


ふと、通りを抜けた風が髪を揺らした。

昼の匂いに紛れて、ほんの一瞬――夜の冷たさが戻ってきた気がした。

リリアは肩をすくめ、そっと首を振る。


そして、落ち着かない空気を、無理やり振り払うように歩き出した。


次の瞬間、背後から聞き慣れた声が降ってきた。

(うわっ……! この声は……!)


「……また怪しい人に絡まれてたでしょ?」


振り返れば、セラフィーが腕を組んで仁王立ちしていた。

白い修道服に外套を羽織り、額には汗がにじんでいる。

その瞳は呆れ半分、心配半分――まるで小言を言う姉のようだ。


(お、おう……ホラー婆さんからの説教シスター。胃が休まる暇がねぇ!)


「い、いや……ちょっと道を聞かれただけだよ」


「ふーん? で、その“道”はどう答えたの?」


「……市場の奥に、たぶんスイーツ屋があるって……」


「完全に遊んでるわね」

「あなた、この街に来たばっかりでしょ!? スイーツ屋の場所なんか知ってるわけないじゃない!」


セラフィーがずかずかと近づいてくる。

リリアの籠をひょいと奪い取り、中を覗いた。


「……やっぱり。野菜より菓子パンの方が多いじゃない! これは補給じゃなくて嗜好品の山よ!」


「戦場帰りは糖分が必要なんだって」


「理由が雑すぎるわ!!」

「あなたね……ほんと、命の危機よりも糖分切れの時の方が怖い顔してるわ」


リリアは気にも留めず、肩の革バッグを軽く叩く。

中のワン太も合わせて、小さく首をかしげた。

まるで「言い訳なら俺も聞いたことあるぞ」とでも言いたげに。

その仕草が、なぜか人間の“返事”のように見えて――セラフィーは一瞬、言葉を止めた。


「ほら、こいつも甘いのが欲しいって言ってる」


「いやいや、ぬいぐるみが首をかしげてるだけでしょ!? なんで欲望を代弁させてるのよ!」


「見てよ。今“うんうん”って頷いたぞ」


「見えない! 幻覚見てるでしょあなた!!」


(……いや俺、“元から”甘党なんだよ! ケーキもパンも甘いもん大歓迎だわ! ただし“勇士リリアとモフモフ=甘党コンビ”って公認されるのだけは勘弁してくれ!!)


ちょうどそのとき、屋台の兄ちゃんが威勢よく声を張った。

「おっ、勇者さま! 今日は苺のタルト、焼きたてだぜ!」


甘い香りが風に乗って、鼻先をくすぐる。

リリアの瞳が一瞬で輝きを増す。

「ちょうどいい! 二つ包んで」


「ちょっと! なんで自然に二つ買うのよ!」


「……一つはワン太用」


「食べないでしょぬいぐるみは! ていうか私の分は!?」


「じゃあ三つ」


「最初からそう言いなさいよ!!」


焼き菓子の香りに誘われて、子どもたちが笑いながら走り抜けた。

その後ろで、猫がパン屑を狙って尾を揺らしている。


セラフィーの声が市場に響き、周囲の客や店主がどっと笑う。

屋台の兄ちゃんは肩をすくめ、「勇士さまも大変だな」と言いながら、丁寧にタルトを包んだ。


(……ん? そういえば、ワン太、こないだドーナツ食べてなかったか? 気のせい……だよな?)


そこへ薬草屋の婆さんが余計な声を飛ばす。

「勇士さま! 砂糖の取りすぎは毒だぞ!」


「勇士さまはパン党だろ! タルトに浮気すんな!」とパン屋の主人まで参戦し、


「いやいや肉こそ正義だ!」と肉屋のオヤジまで加わった。


(ちょっと待て!? なんで市場全体で俺の食生活討論会が始まってんだよ! ……てか俺ほんとに甘党だから否定できねえのが一番ツラい!!)


笑い声が通りを満たし、焼きたての匂いが風に溶けていく。


リリアは口元を緩めて袋を受け取る。

セラフィーはぷんぷんしているが、どこか楽しげでもある。

バッグの中でワン太は、得意ムーブの“ぱたぱた”に加えて、小さく“くいっ”と手を曲げた。

まるで「俺の分、忘れるなよ」とでも言いたげに。


「……はぁ。やっぱり一人にしておけないわね」

セラフィーは肩を落としつつも、しっかりリリアの隣に並んだ。


「今度は、私も一緒に行くわ。放っておいたら、スライムにやられる前に、糖分と変なトラブルで命を落としかねないんだから」


「え、いや別にそこまで心配しなくても……」


「するの! これはもう修道女としてじゃなく、友人としての決定!」


リリアは困惑しつつも、口元に小さな笑みを浮かべた。

セラフィーが隣にいるだけで、不思議と市場のざわめきが柔らかく聞こえる。


昼下がりの風が二人の間を抜け、焼きたての匂いと笑い声が通りを満たしていく。

遠くの屋根で風鈴が鳴り、午後の光がパン屑の上で金色に跳ねた。

戦の気配は、もう風に溶けて遠ざかっていた。


(……結局、俺って“パンとタルトとモフモフを愛する甘党英雄”なんだな……)


……けれど胸の奥では、あの老婆の声が、薄い棘のように沈み、風の底でひそかに疼きつづけていた。

どこか遠くで、鐘がひとつ、遅れて鳴った。

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