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『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)  作者: 一条陽菜子


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『第十五話・3: 祈りの残響 ― Requiem for the Living World ― 』


足元の泥が、微かに震えた。

呼吸ではない。何かが“形を思い出そう”としている。

霧の底に眠っていた残滓が、ゆっくりと揺れ始めた。

リリアは息を呑み、剣先をわずかに下げる。


(……まさか……霊核が、自分で……?)


灰色の靄が再び集まり始める。

空気の粒子が逆流し、時間の縫い目がほどけていく。

崩れかけた鎧の断片が、音もなく浮かび、ゆっくりと元の形を模していく。

だが、それは“再生”ではなかった。

死が拒絶されている。

世界が、祈りの形を無理に保持しようとしている――そんな光景だった。

――それは、世界がまだ“生きたい”と叫んでいるようにも見えた。


「……ガルヴェイン?」


呼びかける声に、応える者はいない。

けれど、鎧の胸部――霊核のあった場所に、淡い光の粒が一つ、静かに浮かぶ。

それは炎でも魔力でもなく、記憶そのものの残響だった。


光の粒が、風もないのに揺れた。

そのたびに、胸の奥で何かが共鳴する。


鼓動のリズムが、外の世界とずれていく。

奇妙な浮遊感。

霧が消えたはずの空間に、音のない波紋が幾重にも広がっていった。

まるで、世界の記憶をなぞるように。


リリアは胸に手を当てた。

その鼓動が、もう自分のものかどうか――わからなかった。


(……これは……心の中に……?)


「――リリア。」


声がした。

耳ではなく、心臓の奥に直接触れるような響き。


その声は、かつてセラフィーが“師”と呼んだ英雄――

その人の記憶が、今も祈りの底で呼吸しているようだった。


「ガルヴェイン……?」


名を呼んだ瞬間、空気がふっとほどけた。

灰色の世界が淡い光に満たされ、音が遠のいていく。

時間そのものが息を止め、光だけがゆっくりと流れていく。


そこに、鎧を脱いだガルヴェインが立っていた。

その姿は、霧の中に溶ける幻のようでありながら、確かに“生きていた”。

現実と記憶の境目が、ゆっくりとほどけていく。


「……すまなかった。

こんな形で、“未来を担う者”に剣を向けることになるとはな。」


「そんなこと……! 私、ただ……!」


言葉が喉の奥でほどけ、声にならない。

ガルヴェインは、静かに微笑んだ。

その笑みには、悲しみでも後悔でもない――ただ“誇り”があった。


「いい。お前は、見事だったよ。

セラフィーが共に歩むと決めた理由が、今ならわかる。」


「最初にお前の話を聞いた時は――とんでもねぇ奴だと思ったが、

その眼差しは、かつてのわしよりもずっと真っ直ぐだ。」


霧の底で、リリアの瞳が滲む。

涙ではなく、魔力の共鳴。

魂が触れ合うたび、世界が微かに音を立てて鳴る。

光が弦のように震え、ふたりの間を結んでいた。


「わしはもう、この世界の理には触れられない。

肉体も魂も、すでに“記録”の彼方だ。」


「……生き返ることはできん。」


「だが――祈りなら、まだ届く。

リリア。お前が抱いた“願い”を手放すな。」


「……聞け。魔王は、すでに復活した。」


「わしらが命を賭して封じたあの“闇”が、

再びこの大地を蝕み始めている。

世界律は乱れ、祈りの記録がひとつ、またひとつと失われていく。」


「このままでは、世界そのものが“忘却”に沈むだろう。

だが――人の心が祈りを繋ぐ限り、闇はすべてを奪えはしない。

それだけが、まだ残された灯だ。」


「……ガルヴェイン……」


ガルヴェインは、ふと空を見上げた。


「……もう一度だけ、この手で剣を握りたかった。

だが、今はそれすら祈りの形でしか残せぬ。

――だからこそ、託せる。お前たちに。」


「セラフィーを導け。

あの子の中には、私が果たせなかった“終焉への鍵”がある。」


「だが、それを開くのは剣ではなく、お前たちの絆だ。」


「闇を斬り裂け、リリア。祈りの剣で、世界を取り戻せ。」


光が彼の輪郭を包む。

指先からほどけるように、世界が淡く揺れる。

それは消滅ではなく、再び“祈り”へ還るような気配だった。


「行け、リリア。剣はもはや、血を断つための刃ではない。命を繋ぐための灯りだ。」


「……その意味を、お前なら知っているはずだ。

ならば――わしを斬れ。」


「今のわしは既に魔王の傀儡と化し、意志も光もよどんでいる。

この身を残せば、わしはお前たちの祈りを喰らいつくすだろう。」


「だから、お前の刃で、わしを解き放て。

それが、わしが最後にお前へ託す“覚悟”だ、リリア。」


光が収束し、霧が閉じる。

残ったのは、ただひとつ――

その声が、胸の奥でまだ“生きている”という確信だった。


静寂が戻った──はずだった。

だが次の瞬間、空気の奥で“何か”が脈動した。

それは、もう優しい光ではない。

黒く濁った波が、霊核の欠片から滲み出していた。


「ぐあっ」と喉を裂くような叫び。

それがガルヴェインの声だと気づくまで、ほんの刹那。


(……これは……違う……!)


リリアが踏み出すより早く、光は裂けた。

白と黒がせめぎ合い、火花のように弾ける。

ガルヴェインの姿が一瞬だけ苦痛に歪み、

その眼の奥に、かつての温もりとは違う“何か”が宿る。


「ダメだ、抵抗して!」


リリアの叫びに、ガルヴェインの唇がかすかに震える。


「リ……リリア……逃げ……」


その言葉は、黒い靄に呑まれた。


一瞬で身体が崩れ、霧と鉄の混じった“影”に変わっていく。

鎧が軋み、地面を砕いた。

さっきまでの静寂が嘘のように、空気が悲鳴を上げる。


霊核の中心に走った裂け目から、黒い炎が噴き出した。

その炎は燃えるのではなく、周囲の光を喰らいながら広がっていく。


リリアは後退せず、ただ剣を構えた。


「……ガルヴェインの魂を、穢させはしない。」


世界が一瞬、息を止めた。

そして――黒炎の中から異形の鎧が立ち上がる。

かつて“誇り”と呼ばれたその姿は、

今や世界律の外で“呪いの器”として再生していた。


霊核の奥で、わずかに声がした。


『……誇りを……守れ……守れ……守れ……』

その繰り返しが、やがて獣の咆哮に変わる。


「ガルヴェイン……!」


名を呼ぶ声が、戦場に溶けた。

もう、応答はない。


ただ――“英雄の形をした魔王の傀儡”が、剣を抜く音だけが響いた。


それでも、霧の底で――彼の祈りは、まだ息をしていた。


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