『第ニ話・1:伝説の勇者、再起動リブート』
──その瞬間、世界が軋んだ。
空気が爆ぜ……いや、軋んだ音か。光は逆巻いて、音は粉々に砕け散ったような……そんな感覚。
鼓膜を打ったのは轟音じゃなく、“耳鳴りみたいな無音”。
風景がガラス片みたいにバラバラに砕けて、ひっくり返りながら足元に落ちていく。
それは気絶なんかじゃない。
意識が、リリアの身体に滑り込んでいくような感覚だった。
赤い閃光が地平を裂き、重力が逆さにねじれるような浮遊感。
畏怖と憧れがごちゃ混ぜになった、桁外れの存在感。
あの、積み上げすぎたステータスの圧。
(……やべ……これ、俺? いや、俺じゃない……でも──)
頬に髪が触れ、胸の奥で心臓が跳ねる。
腰のライン、指の感覚、視線の高さ。
間違いない──これはリリアの身体だ。
「……接続、問題なし。ステータス全展開──完了」
声が出た瞬間、自分で震えた。
澄んでいて、艶やかで、透明に響く。
──かつて全プレイヤーを震わせた“勇者リリア”の声。
(ちょ、待て……今の俺? それともリリア? 勝手に口が……!)
そして口が、自然に紡いでしまう。
──黒歴史の代名詞、“あの決め台詞”。
「魂は“999”で縫われてる。……なら、続きを紡いで──♡」
(うわああ……出たぁ! 俺が昔ノリで作ったやつ! 懐かしいけど今!?)
背後に光輪が幾重にも展開する。
光のコードが羽ばたくように旋回し、魔法陣がぶつかり合って耳にざらっとした音を立てる。
パッシブスキルのアイコンが、拍子木みたいに弾んで空を舞った。
《……ログイン確認》
《スキル:ハイ・ディスティンクション》
《領域制圧、完了》
次の瞬間、世界が“バグった”。
木々も大地もノイズを帯び、崩れては組み直される。
足元に広がる巨大な魔法陣から、金色の光が吹き上がり、戦場全域が包まれる。
リリアの瞳が、黄金に染まった。
「再起動、完了。……儀式は始まった。さあ、続きを見せて?」
(待て、まだ何も考えてないのに──勝手に喋ってる)
(体が、俺の意思より先に動いてる)
足元の魔法陣が、呼吸するみたいに明滅する。
光が、皮膚の下で鼓動を始めていた。
(おいおい……何だこの感覚。力が勝手に、底なしに上がってく……)
(リリアの身体、耐えられんのか……これ……)
止めようと、息を詰めた──けれど、次の瞬間、喉が裏切った
「出力、制限解除。《一兆分の一》から順に……上げていくよ」
……声が出た。けど、それは“俺”じゃなかった。
だが、その声が森に響いた瞬間、風が止んだ。
ワイルドウルフの群れが、人形みたいに固まる。
麻痺でもバグでもなく、生き物の本能が「勝てない」と悟った静止だった。
一体の狼だけが目に「逃げたい」と宿したが、脚は動かない。
恐怖は神を見るときの感覚。
《……スキル起動》
(……感じろ。考えるな。これは“俺の身体”だ)
息を吸う。肺がふくらみ、心臓が跳ねる。
指を動かす。血が流れ、筋肉が応える。
リリアの身体が、まるで最初から自分のものだったみたいに馴染んでいく。
皮膚の内側で、光が血管をなぞる。
骨の一本一本まで、命の音が響いていた。
“女の身体”なのに、違和感はなく、むしろ自分より自分だった。
──一瞬、世界が呼吸を止めた。
右腕を振り抜く。風を裂く感触、熱、重み、全部が“生”だった。
光の軌跡が空に刻まれ、遅れて音がついてくる。
(動ける……! これ、俺だ……!)
《……戦闘領域、制圧》
静寂の中、ただ心臓だけが鳴っていた。
その鼓動に合わせて、視界のすべてが研ぎ澄まされていく。
敵の呼吸、風のうねり、世界の重心──全部、掌の中にある。
リリア──いや、俺はゆっくりと笑った。
「絶望の順番? もう決めてある。」
その声にはもう迷いがなかった。
リリアの声帯を通って出ているのに、それは確かに“俺の声”だった。
一体目が飛びかかる──光が走り、消滅。
灰も残さず、ただ光の粒が風に逆らうように舞い上がる。
それは残骸ではなく、“祈りの残響”みたいに空へ溶けていった。
《ホーリー・ディストーション》
二体目が吠える──喉に触れただけで沈黙。
触れたというより、存在そのものが削り取られた。
《サイレンス・オーバーロード》
世界が祈りを止めたような静寂。
神の指先がページを閉じるみたいに、空気が凍る。
その凍結の中で、光だけがまだ生きていた。
ゆっくりと降る金の粒が、まるで時の名残を告げていた。
……森全体が息を止めた。
残ったのは、焦げ草の匂いと、不自然に凍った空気だけ。
(やべぇ……最高にカッコいい──!)
(……これが、俺が憧れた“勇者リリア”の力……なのか?)
(もう“体が勝手に動く”とかじゃない。──これは、俺の身体だ。)
(リリアの身体が、俺と一緒に呼吸してる。心臓が、同じリズムで打ってる。)
(誰のでもない。この鼓動、この熱、この命──すべてが一つになってる。)
(怖いのに……気持ちいい。血が光みたいに流れてる。生きてるって、こんなにも眩しいんだ──)
──その瞬間、胸の奥で、光の糸がぷつりと切れた気がした。
リリアの身体を通して、何かが軋むように悲鳴を上げる。
──黄金の瞳に、かすかな亀裂が走った。
誰も、その異変に気づいてはいなかった。
森は、淡い光を滲ませながら、ゆっくりと静寂へ溶けていく。
……世界の奥で、誰かの心音が、同じリズムで鳴っていた。
 




