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『第十三話・6 : 師の影、北の霧の中に』

不意に、心臓がひとつ跳ねた。

呼吸が浅くなり、空気が胸の奥でかすかに止まる。


「……師匠?」


「剣も、魔法も、戦場での生き方も──すべてあの人から学んだの。」


セラフィーのその一言に、颯太の胸の奥がざわめいた。

ゲームで幾度も見た灰色の鎧の姿を思い浮かべる。


「最初に剣を握ったとき、震える私の手を、上から包んで“迷うな”って囁いてくれた。

あの温かさを、私は今も覚えている。」


語り終えたセラフィーの横顔は、淡い光に包まれていた。

そのときの指の重みが、まだ胸の奥に残っている気がした。


その声は淡々としていた。

けれど、その奥に滲むものが──痛みか、祈りか。

言葉にはならない何かが、静かに空気を震わせていた。


「彼は、千の軍勢を束ねる英雄だった。」


(英雄か……)

その響きが、画面の向こうで“ただの敵”として斬り伏せてきた存在と、どうしても結びつかない。


「でも、魔王との戦で……仲間を守るために、呪いを受け入れた。

 あれが、今の“灰鎧の将”よ。」


(……ゲームでボス戦やってるとき、そんな設定ひと言も出なかったんだけど!? 説明不足すぎるだろ……)


乾いた息が漏れる。

セラフィーの声は静かなのに、その沈黙の底には確かな“喪失”の温度があった。


胸が詰まる。

颯太の中で、ゲームの中で何度も見た“灰鎧の将ガルヴェイン”の姿と、セラフィーが語る“英雄”の影が一瞬、重なり──そしてすぐに離れていった。

画面の向こうでただの敵だったその男が、“誰かの記憶”の中で生きている。

HPバーの向こうに確かに心がある──その事実だけが、痛いほど胸に刺さった。


「……それで、記憶まで奪われたの?」


「ええ。私の顔も、自分の名前さえも覚えていないはず。

 砦を覆う霧は、ただの結界じゃない。あの人の砕けた記憶が漂っているの。

 それが近づく者の記憶を絡め取り、形を失わせていく……」


(うわ……ラスボス級ギミックじゃん。サブイベントで出す敵の設定じゃないだろこれ)


重いものが、胸の底に沈んでいく。


毛布の中で拳を握ると、指先に柔らかい感触が触れた。

ショルダーバッグからそっと取り出す──ワンタ。


ここに来る前、自分の魂があった場所。

丸い瞳が、何も変わらない表情でこちらを見返す。

ゲームでは“ただのぬいぐるみアイテム”だったその瞳が、今は魔剣よりも確かな現実を繋ぎとめていた。


ぬいぐるみの中に宿るのは、命ではなく“記憶の熱”。

それでも、冷たい剣よりずっとあたたかかった。


その視線に、ほんの少しだけ呼吸が楽になる。


(……なんでお前はそんなに冷静なんだよ。絶対、俺よりヒーローしてんだろ)


「……じゃあ、封印を壊すだけじゃない。セラフィーの師匠を、解放するのも目的だ。」


「……ありがとう、リリア。けれど──情けは命を奪う。」


「うん、わかってる。」


そのやり取りのあと、言葉が落ちた場所に、静かな決意だけが残った。

ワン太の丸い瞳が、それを見届けるように、月明かりを受けて光っていた。


「……大丈夫。行ける。」

(怖さはある。でも、それ以上に──行かなきゃならない理由がある。)


声にならない言葉が、喉の奥で小さく溶けた。

胸の奥で脈打つ鼓動が、恐怖ではなく静かな炎となって広がっていく。


青白い魔灯の光がすっと薄れ、現実の天井が視界に戻る。

窓の外──北の空だけが月を拒むように暗く沈み、その奥に、鎧の影が立っている気がした。

その影は、敵であり、同時に救うべき人でもある。


リリアは視線を逸らさず、ワンタを胸に抱き寄せ、もう片方の手で剣の柄を強く握りしめた。


(冷たい魔剣と、温かいぬいぐるみ──このギャップで旅してる勇者、他にいないだろ……)


窓の外の闇を、もう一度だけ見つめる。

霧が、鼓動に合わせてわずかに膨らみ、まるでこちらの息遣いを数えているかのように脈打っていた。

北の空は動かず、ただ静かに、彼女の覚悟を試している。


──明日、自分の手でその扉を開けるために。

その向こうで待つのが、“師”か、“怪物”か──それはまだ誰にもわからない。


……そして、夜の静寂の中で、ひとつの音だけが生きていた。

それは、リリアの胸の奥で響く決意のカウントダウン。


鼓動が、霧を揺らし、夜の底へ溶けていく。──その音を、彼方の“師”も確かに聞いていた。

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