『第一話・3:実況席から応援するしかない俺と、剣が光った件』
──その瞬間だった。
視界の端に、青い枠で囲まれた文字がにじむように浮かび上がった。
【NAME:ワイルドウルフ】
【Lv:4】
【属性:獣/地】
【耐性:火△/氷◎/雷×】
【攻撃:二連爪(クリ率20%)/突進(スタン効果アリ)】
【弱点:左肩の下あたり】
【ドロップ:牙/獣皮/……運がよけりゃ《鋭爪の指輪》】
(……! これ……ステータスウィンドウ! しかも俺、普通に読めてる!?)
数字も特性も、意識する前に脳みそへ直通で滑り込んでくる。
頭じゃなく体が覚えてる、“ログイン勢”の反射だ。
(なるほど……突進にはスタン効果。食らったらリリア、一発で動けなくなる……!)
リリアは静かに息を整え、両手を胸の前で組んだ。
指先から淡い光が滲み、掌の間に小さな輪が生まれ、そこへ魔力が糸のように巻き取られていく。
空気の密度が変わり、鼓膜の奥で微かな低音が鳴る。
木漏れ日の中で髪が柔らかく揺れ、張り詰めた緊張が走る。森の音が遠のき、彼女の周囲だけが別の時間に包まれたようだった。
だが呼吸は浅く、足元はぶれ気味。完全に新米の構えだ。
それでも──膝を震わせながら、視線だけは一歩先を射抜き、前へ出る覚悟だけは崩れない。
(詠唱モードか……なるほど、そっちで来るか。頼むから途中で噛むなよ! 深呼吸、二拍──そう、それでいい。)
リリアは息を呑み、掌を前へ突き出す。
淡い光が一瞬だけ強く瞬き、獣の足が止まった。
「ワン太、ちょっと見ててね──!」
(いや、見てるしかできねぇけどな! 完全に実況席の観客だぞ俺は!!)
次の瞬間。
リリアは胸の前に手を掲げ、小さく息を吸い込んだ。
唇がわずかに震え、呟く。
「──光よ、形を成せ……《セレスティアル・レイ》!!」
(詠唱ずれてる! 踏み込み甘い! しかも“当たれ”って顔してる! まずい!!)
掌に魔法陣が浮かび上がり、幾何学の紋様が淡く回転する。
次の瞬間、リリアの掌から細い閃光がほとばしった。
光弾は空気を裂いて奔り、まるで森の呼吸そのものを奪うように周囲を照らす。
木々の影が波打ち、葉の露が一斉に煌めいた。
だが、その一撃はわずかに逸れた。
光弾はワイルドウルフの肩をかすめただけで、狙いを外す。
獣の脇を焼くように熱風が走り、木の皮が焦げる匂いが一瞬で森を満たした。
閃光の余韻の中で、ワイルドウルフが低く唸った。
逆立つ毛並みが光を弾き、赤く光る瞳がリリアを正確に捉える。
次の瞬間、獣は迷いなく地を蹴った。
地面の苔が弾け、土が飛び散る。──一直線に、リリアへ。
牙が閃き、裂けた空気の悲鳴が鼓膜を刺した。
あっという間に間合いが詰まる。光弾の熱気がまだ残る前で、もう獣の影が迫っていた。
(そのモーションは知ってる! 右から来るやつだ、カウンター合わせろ!!)
「えっ、わ、うそ──!」
「キャッ!」
爪が掠め、リリアの腕に浅い線を刻む。
肌の表面が薄く切れ、ひりりとした痛みが走った。
赤がじわりと滲み、森の匂いに鉄が混ざる。
風がその血の香りを運び、戦場の静寂が、ほんの一瞬だけ森を支配した。
颯太の胸の奥が熱く脈打つ。
(くそ……! なんでこんなときに俺ぬいぐるみなんだよ……! “ぬいぐるみ反撃スキル”とか追加しとけよ運営!!)
リリアは苦しげに息を吐き、背の剣に手を伸ばした。
「……剣、使うよ!」
抜き放たれたのは、一見ただの“古びた鉄剣”。
だが──それは、かつて魔王をも一閃した伝説の魔剣、《レーヴァテイン・ゼロ》だった。
その瞬間、森の空気がわずかに震える。
まるで世界そのものが、その名を思い出したかのようだった。
木々がざわめき、霧が光を孕む。
刃先にともった青白い光が、森の陰影を裂くように揺れた。
その光と同時に、颯太の胸の奥がどくん、と跳ねた。
縫い目の奥で、心臓を縫い付けられたみたいな鼓動が鳴り、熱がゆっくりと全身に滲んでいく。
そのたびに、刃の光と鼓動が共鳴し、青白い閃光が呼吸をするように明滅した。
──《レーヴァテイン・ゼロ》が、俺を覚えている。いや、“俺たち”を……。
あの頃、無数の戦場で共に剣を振るった記憶が、灰の底から蘇る。
そのすべてが、今この世界で再び繋がっていく。
細いが確かな“意識の糸”が結ばれ、まるで剣と魂が同じ鼓動を刻み始めたかのようだった。
刃の光が脈打ち、森の静寂に一瞬だけ“呼吸”が生まれる。
リリアの瞳にも、その光が宿った。──もう、恐れの色はない。
ワイルドウルフが再び跳びかかる。
リリアは一歩踏み込み、剣を低く構える。
(下段構え──悪くない! ……でも俺が褒めても補正ゼロなんだよな!?)
獣の爪が振り下ろされる、その瞬間──
キィンッ!!
火花が閃光のように弾け、金属と爪が擦れ合う甲高い音が森を裂いた。
衝撃波が空気を押し広げ、地面がびりびりと震える。
樹上の鳥たちが一斉に羽ばたき、光の粒を散らす。
リリアの両腕が痺れながらも、剣は確かにその一撃を受け止めていた。
刃の奥で、青白い光が一瞬強く脈打つ。──共鳴している。
「くっ……おもっ……でもっ──!」
声は苦しげでも、リリアの瞳は折れていない。
反動を殺し、剣を引き抜いて脇に回る。よろめきながらも反撃の一閃──
ザシュッ!!
獣の肩口を浅く裂く。そこから黒い煙がぶわっと立ち上った。
裂かれた空気が低く唸り、刃の余熱が肌に残る。
焦げた呪詛のような匂いが、湿った空気の中で揺らめいた。
リリアは驚いたように目を見開く。
「……今、勝手に……剣が……!」
剣身が微かに震え、光が呼吸するように脈打つ。
その青白い輝きが、リリアの頬を淡く照らした。
その視線の先で、俺の胸の鼓動と刃の輝きが重なっていた。
(……うわ、やっぱレーヴァテイン・ゼロ、俺とちゃんとリンクしてるじゃん。
ぬいぐるみと武器がシンクロって……どう考えてもバグだろ、運営さん。)
(もしこのまま“ぬいぐるみ伝説”とか残されたら──笑うしかねぇけどな。)
(でも、俺とこの剣は……まだ、終わってなかったんだな。)
(こうなったら、ワイルドウルフなんて秒殺だぞ。)
──その瞬間、リリアがわずかに息を吐いた。
剣を握る手が、確かに強くなるのが見えた。
胸の奥で、俺と剣と彼女の鼓動がひとつに重なる。
そして──その光の中で立つ彼女の背中は、もはや頼りない少女のそれではなかった。




