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『第十話・6:存在を裂く声、泣き叫ぶ影』

空気を裂く甲高い音が広間に突き刺さり、温度が急激に下がった。

吐く息は白く凍り付き、肌に針を刺すような冷たさが骨の奥まで侵食していく。


神の使徒――アドラは形を持たぬまま、螺旋を描いて膨れあがっていった。

次の瞬間、まるで自分の姿を思い出せない夢の中の怪物みたいに、幾重にも折れ曲がった触手や脚を作っては崩し、また別の影を生み出す。

そのたび、濁った呻き声みたいな音が広間を震わせ、空間そのものがぐにゃっと波打った。


結晶の蒼い光が、まるで怯えるみたいに脈を早める。

影の中心からは、押し潰すような圧力と、耳の奥を直接叩く低い唸り声が放たれていた。


冷たい気配が肌を切り裂き──静寂。

音が死に、世界が“呼吸”を忘れた。

空気の密度だけが、刃のように張り詰めている。


リリアは息を呑み、一歩、後ずさる。

心臓が痛いほど脈打ち、視界の端がわずかに暗くなった。


(……これ、来る……!)


──爆ぜた。


破裂音と同時に、黒影の輪郭が歪み、異様な速さで空間を裂く。

光が後方に置き去りにされ、闇だけが前へ突き進む。

視界が引きちぎられるように揺れ、周囲の光景が一瞬で置き去りになる。


圧縮された冷気が衝撃波となって押し寄せ、肺の奥の空気までも凍りついた。

耳が詰まり、金属を削るような甲高い悲鳴が鼓膜を貫く。


影は、形の定まらぬ四肢をしならせ、獲物を狩る猛獣のしなやかさで迫る。

その動きには“重さ”という概念がなかった。質量を拒む速さ──まるで空間の法則そのものが獣に喰われていくようだった。

床石を掠めるたび、石片が粉雪みたいに散って──いや、粉雪なんて綺麗なもんじゃない、全部破片だ。


髪の毛の数本が宙を舞う。

頬を掠めただけで熱い血が滲み、匂いが空気を赤に染めた。


「くっ──!」

リリアは反射的に右腕を振り、魔力障壁を展開する。


「──《シールド・ブルーム》!」

淡い蒼光の盾が瞬時に形成され、迫る影を受け止めた──かに見えた。


衝突音が広間を揺らす。

だがアドラは盾の表面を滑るように形を変え、真横から喰らいつこうと回り込む。


(速い!)

(リリア、下がれ──ッ!!)


──ワン太の中で、颯太の声が弾けた。


リリアは反射的に膝を落とし、床を蹴る。

直後、影の突き抜けた軌跡が、さっきまでの位置を裂き、石床に深い亀裂を刻んだ。


破片が舞い上がるたび、リリアの瞳に火花みたいに映り込み、恐怖と覚悟の両方を焚きつける。


黒い霧のような残滓が広がり、空気がさらに重く冷たくなる。

アドラは形を再び失い、低い唸り声を響かせながら、次の一撃のために収束し始めた。


その中心から、やがて、ひとつの“声”が響いた。


《──名を騙るは、罪だ》


空気が震えた。


《お前ではない。“リリア”とは、お前のことではない》


声は凍りついた鐘の音のように広間を貫き、同時に土中から響く地鳴りのように胸郭を震わせる。

ただの音じゃない。存在そのものを否定する宣告。


リリアのこめかみがずきりと裂け、耳の奥から熱い血が一滴、流れ落ちた。

見ているだけで、存在の芯が削られる──そんな“視覚する呪い”だった。


リリアの心臓が、ひとつ跳ねた。


少女の肩には、小さなショルダーバッグ。

“それ”に気づいているかのように、黒い存在の視線が、ちらりとワン太の方へ流れた。


「……え?」


次の瞬間。

その“何か”が、光を引き裂く速度で迫った。


──カチリ。広間に、金属質の声が割り込む。

《レーヴァテイン・ゼロ ……起動》

《対存在障害コード:……XENO–TYPE?》

《防御展開──《盾・極式》》


少女の身体を守るように、光の膜が瞬時に弾ける。

六角形の結界構造が重なり合い、“正面”の衝撃を受け止めた──はずだった。


だが、“それ”は貫いた。

完全防御を謳う超古代遺産のシールドごと、空間そのものを裂いて──


──ズドオオオオンッ!!!


「──っ……! あっ……!」


時間が、止まったようだった。

衝撃も、痛みも、なかった。

けれど、身体は吹き飛び、石床に叩きつけられる。


(リリア──ッ!!!)


ワン太の心の叫びが、胸骨を内側から砕くように轟いた。

裂ける。魂が。

声にならない悲鳴が、布の身体の奥で炎のように暴れ出す。

少女の身体は、ぴくりとも動かなくなっていた。


次の瞬間──彼女の左腕が“透けた”。

皮膚も血もなく、光の粒となって剥がれ、宙へと散った。


(嘘だろ……今の、一撃で……!?)

(おい……リリア、お前……!)


ワン太の中で、颯太の魂が揺れた。


(……やめろ……! この子を削るくらいなら、俺を喰えッ!!)

布に詰まった手が、ちぎれるほど震える。

綿しかない体で、どうして掴める……?

それでも──心臓の奥から、叫びは勝手にあふれ出した。


リリアの輪郭が揺らぎ、足元から淡く影に溶け始める。

声に触れた部分が、現実から薄れていく。


──まるで、“存在そのもの”が神に触れられ、静かに削ぎ落とされていくかのように。


「……っ……あ……」

リリアの唇から、かすかな息が零れた。

その音は涙よりも脆く、触れた途端に砕けてしまいそうだった。

光が彼女の髪をなぞり、肌を透かし、指先を奪っていく。


ワン太の奥で、颯太の魂が必死に抗う。

(やめろ……消えるな! そいつに“お前の存在”を渡すな!)


だが、少女の視界はすでに白くかすみ、最後に浮かんだのは“終わり”の影ではなく、微かな笑みの残像だけだった。


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