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『第一話・2:チュートリアルの森で、勇者の剣が呼ぶとき』

森は深い緑と湿った大地の匂いに満ち、

風に乗って葉が擦れ合う音や、遠くで一度だけ響く聞き慣れない獣の鳴き声が混ざっていた。

現実では聞いたことのない、不安と魅力を同時に孕んだ音。


木漏れ日が斑に揺れる中を、俺たちは今日も歩き続ける。


(というか、旅の目的なんなんだっけな……)


リリア曰く──「なんとなく、歩かなきゃいけない気がする」。

記憶がなくても、それだけは不思議と胸に残っていたらしい。


(……ま、そういうの、嫌いじゃねえけどな)


──彼女の背には、一本の剣があった。

鞘に納められたロングソードは、古びた鉄剣のようでいて、刃元から微かな燐光が漏れ、陽を拒むように輝きを閉じ込めている。


「これだけはね、目覚めたときから握ってたの。名前も分からないけど、なんとなく“だいじなもの”って気がして……」

「手を離すと……すごく寂しくなりそうで」

「変だよね。ぜんぜん覚えてないのに、手のひらだけが“懐かしい”って言ってるの。まるで……大切な誰かと一緒に戦った気がする、みたいな」


その笑みの奥に、言葉にならない揺らぎがあった。

まるで忘却の海の底から“記憶の残滓”が呼び戻そうとしているかのように。

微かに風が頬を撫で、剣の刃がかすかに鳴った。――その響きに、彼女の胸がほんの少し震えた気がした。


(──お、おい……それってまさか……)


“あの剣”だった。

俺がゲーム内で愛用していた、究極の魔法大剣。

魔力と意思を宿し、数百のクエストと何千の戦闘をくぐり抜けた、唯一無二の武器。

魔王をも一閃した──“レーヴァテイン・ゼロ”。


(やばい、やばい、ホンモノじゃねぇか!)

(俺がラスボス前の強化イベで300時間費やして、素材ドロップ1%を数十周狩って、やっと完成させた……あの剣だぞ!?)

(ってことは……これ、まじで俺がいた“あの世界”なのか……?)


──と、そのときだった。


地の底が軋むような唸りとともに、「ズシン……!」と爆ぜる音が森の奥から響いた。

瞬間、地面が低く唸り、頭上の露がぱらぱらと落ち、空気が冷たく張り詰める。

木々がざわめき、鳥が一斉に飛び立ち、耳鳴りがするほどの静寂が訪れた。


風が止まり、森の呼吸がひとつ止まった。まるで、見えない“視線”がどこかからこちらを覗き込んでいるように。


リリアが足を止め、剣の柄をきゅっと握りしめる。

鼓動がひとつ、ふたつと速まり、胸の奥で熱が弾ける。

怯えと昂揚の境界が溶け、思わず口元に微かな笑みが浮かんでいた。

肩で息をする彼女の横顔には、怯えよりもむしろ「待っていた」ような影が差す。

胸の奥から湧き上がるものに、自分でも戸惑いながら──それでも剣を求める指先は震えない。

その瞳には怯えではなく──奇妙な高揚の光が揺れていた。


「……怖いはずなのに、なぜか……懐かしい」

「この音……この空気……戦う前って、こんな感じだった気がするの。」

まるで血が、彼女の意思より先に「戦え」と叫び、封じられた勇者の記憶が目覚めようとしているみたいに。


進行方向の茂みが、揺れた。

森そのものが敵意を帯び、枝葉ひとつひとつが牙を剥くような気配が走る。


「……ワン太、今の音……」


(ああ、間違いねぇ。……モンスターだ)


次の瞬間──茂みの奥から、異形の影が数体現れた。

木肌のような外殻、息のたびに瘴気を吐き、節くれだった四肢が木の根を軋ませる。

背中からは無数の枝のような突起が伸び、そこに鳥の死骸がひっかかったまま揺れている。

何より不気味だったのは、その眼。樹液のように濁った液が滲み、まるで森そのものが怨嗟の形をとったように光っていた。


その眼光は真っ直ぐにこちらを射抜き、空気をひりつかせた。


(……血が騒ぐ。リリアを守らなきゃって──!)

(……いや、待て。俺ぬいぐるみだからな? 足は短いわ、綿は詰まってるわで握力ゼロだぞ)

(剣? 無理無理。木の枝すら持てないんだって……)

(でも……それでも、彼女が傷つくのだけは嫌だ。何もできないのが、こんなに悔しいなんて……)


(……はぁ。これ、ほんとに“森の入口で伝説終了”あるぞ。笑えねぇ……)

(……ていうか誰だよ。“ぬいぐるみ縛りプレイ”なんて悪趣味な縛り仕込んだやつ……)

(俺のスキル欄どこだよ……『転がるLv.∞』って表示されたら、もう泣くからな……)


──その戦いを、森のさらに奥でひとつの影が静かに見つめていた。

その顔は闇に溶け、眼だけが赤い燐光を帯びて森を射抜いていた。

まるで運命そのものが、こちらを値踏みしているかのように。

憎悪か、期待か、あるいはもっと別の──人ならざる意思。

その赤い光は、まるで“封印された神の瞳”のように、夜の底でかすかに瞬いた。


ただ確かなのは、この遭遇が“ただのチュートリアル”で終わらないということだけだった。

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