『第九話・4:いのちの結晶石──陽だまりと神話の交差点』
買い物袋が一つ、また一つと膨らんでいく。
それを手に持ちながら、リリアは街のはずれの石階段へと自然に足を向けていた。
(なんで、こっちに来たくなったんだろ……)
セラフィーが後ろで少しだけ立ち止まる。
けれど、声はかけない。彼女の歩みに、任せていた。
風が吹く。石畳の上に、春先の花びらが一枚、舞い落ちた。
花弁は小さく回りながら石目に溶け、光を孕んだ雪片のように淡くほどけ、空気に溶けていく。
ふと、香りが変わった。
乾いた草の匂いにまじって、ほんのり甘い魔素の匂い──
視線の先、露店の一角で、虹色のきらめきが一瞬、世界の呼吸を止めた。
リリアはそっと足を止めた。
カゴの中には、春の雫を閉じ込めたような小瓶がいくつも並び、瓶の奥で魔晶石が微かに脈動していた。
「これ……なに?」
声をかけると、店主らしきおじさんが振り向いた。
「おっ、それは《いのちの結晶石》だな。ぬいぐるみやおもちゃに仕込むと、魔素の流れで動くようになるんだ。ちょっとした感情を受け取って、仕草に出すってやつさ」
おじさんは、瓶をひとつ指先で転がしながら、にやりと笑った。
「ほら、子どもが抱きしめたら耳がぴくっと動くとか──そういうかわいい反応ができるんだよ。うちじゃ昔から人気さ」
「ぬいぐるみに……?」
リリアは、肩に掛けたショルダーバッグに目を落とした。
中で丸まっているのは、ワン太──いつも一緒にいる、大切なぬいぐるみ。
「……この子に、使ったら……動いたり、するのかな」
リリアの声は、春の光をすくう風鈴のように、かすかで、それでいて胸の奥まで届くほど澄んでいた。
──その瞬間、バッグの中で眠っていた颯太の意識が、強烈に揺さぶられた。
(……動く……!? 俺が……?)
(今は声も届かねえ、手も足も動かねえ……ただ抱かれてるだけの“ぬいぐるみ”だ。
でも──もしこれを使えば、俺の意志で……リリアの隣を、一緒に歩ける……?)
想像は稲妻のように胸を走り、血肉の代わりに熱い魔素が脈打った。
その衝動は夢のように甘く、祈りのように切実で、息が詰まるほど鮮烈だった。
「お嬢ちゃん、それは……むちゃくちゃ、いいと思うよ!」
「……えっ」
「そういう、大事にされてるぬいぐるみにはな──特に効くんだ。長く一緒にいると持ち主の魔素が染み込んで、“魂の通り道”ができてるからな。そういうのにこの石を使うと……魂ごと動くみたいになるんだよ」
「た、魂ごと……!」
「おっと、怖い意味じゃないぞ? むしろなじみすぎて、ちょっと目を離すと自分から寄ってくるぐらいだ」
「……ぴょこぴょこ、動くワン太……」
想像しただけで、顔が綻ぶ。
ちょこんと座って、服の裾をくいくい引っ張って──
そんなワン太を思い浮かべただけで、胸があたたかくなる。
頬のゆるみは、春の蕾がほころぶ瞬間のように、静かでやさしかった。
(……かえ。ぜったい、かえ。)
心の中で、ワン太の“無言の念押し”がビリビリ響いた。
その瞬間、リリアの胸もふっと熱くなり、笑みが滲んだ。
魂と魂が呼応するような、その一体感は甘やかな痛みに似ていた。
それは、言葉よりも確かな「想いのかたち」。
「──ひとつくださいっ! いのちの結晶石!」
小瓶を受け取ったリリアは、胸にぎゅっと抱きしめて小さく跳ねた。
「ワン太と一緒に……今度こそ、ドーナツ食べに行けるかな♡」
その声は春風より軽く、未来の約束みたいに甘やかだった。
春光が髪を撫で、瞳の中で虹がひらく。
それは、遠い古代から繰り返されてきた“始まりの儀”の再演のように──時の頁をそっと震わせていった。
セラフィーは、黙ってそれを見守っていた。
その瞳はやがて、遠くの空へと向けられる。
風に舞う花びらが、彼女の視線の中で時計の針のように回った。
(……交差したわね、時間が)
(あの子がまだ“気づかない”うちに、たしかに何かが──重なった)
彼女の横顔は女神の微笑に似ていたが、まぶたの奥には、運命の糸を読む者だけが知る翳りが差していた。
祈りと不安が同時に宿るその眼差しは、未来の頁をそっとめくりかけていた。
(結晶石がもたらすのは“命の揺らぎ”。
それは祝福か、それとも新たな呪いか──)
セラフィーは、そっと目を閉じて風を聴いた。
──静かな息が胸の奥に沈む。
そのわずかな瞬間、世界は祈りの余韻に包まれていた。
けれど、その静寂の向こうでは──別の声が苦情を上げていた。
(……おい待て。今、さらっと「神話の再演」とか「未来を編み込む」とか思ったよな!?)
(俺、ただ“ぴょこん”って動きたいだけなんだが!?)
(……マジで作者!? 神話フラグなんて立てないでいいから! ほんとに次の章で動かしてくれよ!?)
──かくして、日常の陽だまりと神話の余韻が重なり合う中で、リリアはただ微笑み、石を抱えていた。
その微笑みは、春の陽だまりのように柔らかく──
けれど確かに、“まだ見ぬ明日”を呼び寄せる光を帯びていた。




