『第八話・7:踊り子の呪衣と、二重の鼓動』
次の瞬間──
空気がふっと張りつめたように震えた。
柔らかな光がリリアの全身を包み、その輪郭がゆらゆらと揺らぐ。
その光はすぐに温度を帯び、肌の上をすべるように流れた。
まるで見えない糸が彼女の身体をなぞりながら、形を織り上げていく。
胸元には絹の光沢が咲き、腰には薄布が波のように重なり、
足元では鎖飾りがひとりでに結ばれていく。
聖なる光のようでいて、どこか艶めいた気配が混ざる。
その温度が収まったとき──
艶やかなサテン生地の衣装が、リリアの身をすっぽりと覆っていた。
「え……な、にこれ……?」
胸元は大きく開き、
腰には煌びやかな飾り布が垂れている。
脚を覗かせるスリットの奥では、鈴のついたガーターが光を返し、
その一振りごとに、ちりん……と微かな音が揺れた。
それはどう見ても、戦場に立つ者の装いではなかった。
舞台に立つ踊り子のようで──
いや、あまりに眩く、嘲笑うように光っていた。
リリアは胸元に触れた瞬間、はっと顔を赤らめる。
肌の下をぞくりと走る熱。
指先が、まるで見えない糸で引かれるように動けなくなる。
「……っ、ちょ、ちょっと待ってっ、なにこのカッコ──!」
セラフィーは、彼女の手首にそっと指先を添えた。
荒い呼吸が落ち着くまでのあいだ、静かにその体温を確かめ、
やがて、息を整えるように視線を伏せる。
ほんの一瞬、その頬にも紅が差した。
「……これは、“戦闘不能の呪い”ね」
その声は静かだった。
けれど、その静けさの奥で──微かな震えが、確かに混ざっていた。
「相手を無力化するための、いやらしい呪い。
踊り子の衣装を強制的に纏わせ、武器も防具も扱えなくする……。
心まで舞台に引きずり出されるように揺さぶられて、
戦う気力ごと、少しずつ削がれていくの。」
リリアはかすかに唇を震わせる。
「……わたし……また負けたの?」
セラフィーはきょとんとした顔で、それから小さく笑った。
「いいえ──勝ったのよ。
あの相手、もう二度と立ち上がることはできないじゃない。」
その声には、安堵の色がにじんでいた。
けれどその奥では──
二度と同じことを繰り返させまいという決意と、
消えきらない恐れの影が、静かに揺れていた。
ふと、セラフィーの視線がリリアの胸元へと落ちる。
──さっきまでそこに宿っていた“古い魂”の気配が、きれいに消えていた。
あの瞬間、彼女の内側で“何か”が静かにほどけていったのだ。
その変化を感じ取ったとき、セラフィーは息をのんだ。
颯太の魂が抜けたことで、リリアの内にあった“対呪力”の均衡が崩れたのだ。
その一瞬の隙を突くように、封じられていた呪いが反応した──
そう、セラフィーは直感していた
リリアは胸に手を当ててほっとしたものの、
すぐに衣装の露出度に気づいて再び真っ赤になる。
スリットから覗く鈴が、小さく、無邪気に鳴った。
セラフィーが小さく笑う。
その様子を、“ぬいぐるみ”の中から颯太は静かに見つめていた。
(……おいおい、なんだよこれ……呪い耐性ゼロか?)
(胸元開きすぎ、スリット深すぎ、鈴までついてるとか悪ふざけにもほどがある……)
(誰が得するんだよこんな呪い……! ……でも──生きて笑ってるなら、今回はそれで充分だ。)
リリアは真っ赤になったまま、スカートの端を必死に押さえる。
セラフィーは堪えるように視線を逸らし、肩をわずかに震わせた。
「セラフィーさん、この呪い……ほんとに解けますよね!?」
「……ええ。解けるわ。大丈夫」
そう答えながら、セラフィーは思わず口元を手で押さえ、ふっと小さく笑った。
馬車の中には、揺れるランタンの光と──
ふたりの穏やかな声が、やさしく溶け合っていた。
リリアはそっと、ワン太を膝の上に乗せた。
両腕でその小さな身体を抱きしめる。
まるで、自分の一部を確かめるように──静かに、優しく。
その瞬間、ワン太の奥で、かすかな温もりが脈打つように返った。
それは気のせいではなく、確かにそこにある“もうひとつの鼓動”。
意識の深いところで、颯太の中の想いが、静かに囁く。
(……よかった……お前が無事で)
(今日はもう疲れた……ちょっとだけ、このままそばで眠らせてくれ)
リリアはその微かな想いを感じ取ったように、
ワン太をそっと抱きしめ直した。
胸元に伝わる温もりが、ゆっくりと呼吸を刻み、
彼女の心をやさしく包んでいく。
ぬいぐるみの奥で──
颯太の意識が、静かに波の底へと沈んでいった。
それは、深く安らかな眠りの中でしか得られない、満たされた静寂だった。
外では、馬車の車輪が規則正しく坂道を登っていく。
ランタンの光がゆらりと揺れ、木壁にふたりの影を映す。
その影は、馬車の揺れに合わせてのび縮みし、
まるで、ひとつの心臓がふたりで呼吸しているように揺れていた。
──二重の鼓動は、やさしく、確かにそこにあった。
そしてその響きは……うまく言えないけれど、
遠くで鐘が鳴ったみたいで。
未来が、ほんの少しだけ近づいてきたような気がした。
救いかもしれないし、ただの夢かもしれない。
でも──今はただ、夜に抱かれながら聞こえてくる子守唄のような鼓動が、世界を、静かに優しく包みこんでいた。




