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『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)  作者: 一条陽菜子


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『第八話・3:沈黙のあとに訪れた問い』

街へと帰る馬車は、ゆるやかな傾斜をがたごとと登っていた。

車輪が踏む土の振動が、板張りの床を通じて足元から伝わる。

革の座席はじんわりと温く、木枠は小さく軋み、外からは馬の鼻息と蹄の音が重なって響いてきた。


窓の外では、燃え残った丘が少しずつ遠ざかっていく。

その向こうに沈みかけた陽が、やけに淡い橙色を残していた。

戦いの煙はもう消えている。けれど、ほんのり焦げた匂いがまだ風に混じっていて、それが胸を撫でるたび、戦場の残響が微かに疼く。

安堵と疲労がまだ抜けきっていないことを、いやでも思い知らされた。


しばらく、誰も言葉を発しなかった。

ただ車輪が土を噛む音と、互いの呼吸が重なるだけ。

けれどその沈黙は重苦しくはない。

静寂の中に、命がまだここにあるという確信が滲んでいた。

戦いを生き延びた者にしか持てない、やわらかで温い静けさだった。


ゆったりとした揺れは、どこか母に抱かれているような錯覚さえ呼び、気づけば指先や肩のこわばりまでほどけていく。

その解放感は、仕草や座り方までも柔らかく染め変えていた。


颯太──いや、リリアは、セラフィーの隣で膝の上に指を揃えて座っていた。

背筋は自然に伸び、膝も内側できちんと閉じている。

自分でも気づかぬうちに、呼吸に合わせて姿勢が磨かれ、視線や首の傾きさえも“女性”の所作に近づいていた。


──気づけば、声も、仕草も、瞬きの間合いすら、完全に“女の子”のものになっていた。

しかもそれは作った演技じゃない。反射に近い自然さだった。

まるで自分の中に眠っていた“誰か”の癖が、呼吸に混じって浮かび上がってきたみたいに。


甘美な自然さ。けれど同時に、背筋を冷やす怖さもある。

心地よさの裏で、気づけば戻れぬ川を渡ってしまったような──そんな予感が滲んでいた。


(……オレ、このまま女の子の体で生きてくことになるのか?)


冗談っぽく思おうとした。だが胸の奥はざわついていた。

焦りというより、得体の知れない温かさ。

まるで、この体が“借り物”じゃなく、最初から自分のものだったかのような錯覚。

その錯覚に身を委ねれば、男としての記憶すら少しずつ溶けていくんじゃないか──。

甘美と恐怖のはざまで、胸が震えた。


小さな吐息が窓ガラスを曇らせる。

曇りが消える前に、横から視線を感じた。


橙色の光が窓をすべり、影がセラフィーの横顔を撫でていく。

静かに揺れる睫毛、きゅっと結ばれた唇。

祈りの像のように沈黙していたが、その沈黙は問いを孕んでいた。

声にならぬ圧が頬を刺し、空気さえ呼吸を忘れるほど、彼女の気配が濃くなる。


──そして、次の瞬間。


「ねえ、リリア」


セラフィーの声はやわらかかった。けれど、真っ直ぐだった。

温もりの奥に鋭い芯が潜んでいる。

まるで、この一言を切り出すためにずっと隙をうかがっていたかのような──ためらいのない呼びかけだった。


車輪の音さえ遠のき、馬の吐息もかき消える。

世界に残ったのは、彼女の声と鼓動だけ。


「……教会で会った、あなた。“中身”は、別だったのよね?」


リリアの心臓が、一瞬だけ跳ねて止まった。

時間の継ぎ目が裂けるように、現実の幕が少しだけめくれた気がした。

言葉よりも先に、喉の奥で震えが広がっていった。


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