『第七話・2:9999時間目のラストステージ』
ゼルは笑っていた。
血に濡れた口元が、かすかに歪む。
「ふ……ふはは……これで、終わりだと……思うなよ」
ずぶずぶと──黒い瘴気が、地面から噴き出した。
それは生き物のようにゼルの身体へ絡みつき、肉を侵食し始める。
息が焼ける。骨まで振動が響く。
血の味まで、鉄じゃなく甘ったるく変わった。
重力さえ歪むかのように、膝が勝手に沈み込む。
視界はノイズに覆われ、色の全てが濁った。
耳鳴りは音じゃない。鼓膜の内側そのものから呻き声が這い出してくる。
空間そのものが泣き叫んでいる──そう錯覚させる異常。
「貴様ごときに……“敗北”など、俺が許すはずがないッ!!」
「なに……?」
ゼルの肉体が崩れ、骨が軋み、皮膚が焼ける。
耳障りなひび割れ音が、空間の全方向から鳴り響いた。
「我が魂よ……我が呪いよ……今ここに、“神の外殻”を捨て、魔性の核を曝け出せェェ!!」
瘴気が噴き上がり、雷鳴と共に天井を染め上げる。
呼吸ひとつが鉛のように重い。吐き出す息すら黒い霧となり、喉を裂いた。
匂いは血でも鉄でもない──金属を焼き潰した匂いと、熟れすぎた果実の甘ったるさが混じる、不快すぎる“腐臭の蜜”。
「俺の魂は、神の加護ではなく──魔に焼かれたッ!!」
「……まさか」
(え、ちょっと待て! やばくないか!? なんだそのフラグ──! 逃げた方がいいんじゃねーか!?)
「肉体など、もう要らぬ!!」
──ズズズズズ……!!
大地が裂け、黒雷が天を真っ二つに割いた。
ゼルの身体は崩壊し、血肉が潰れ、骨が砕け、ついに“禍々しい核”が露わになる。
鼓膜を爪で引き裂かれるような悲鳴が、時間そのものを逆撫でするかのように響いた。
「……神にも、魔にもなれず……」
「俺は、いったい……何を……護ろうとしていた……?」「……笑うなよ、リリア。俺はただ、“あの日の誓い”を果たしたかっただけなんだ……」
「……笑うなよ、リリア。俺はただ、“あの日の誓い”を果たしたかっただけなんだ……」
「……それでも、守りたかったものが、確かにあったんだ……」
──そして、“魔神ゼル=ザカート”、現界。
かつての騎士の面影など微塵もない。
触手を混じえた漆黒の巨躯。
右腕は邪悪な結晶で覆われた“瘴核の腕”。
背には瘴気を燻らせる“焼け落ちた翼”の残骸。
全身を締め上げる鎖の呪印は、裂け目から赤黒い炎を滲ませる。
顔の半分は崩れ、眼窩から溢れる瘴気は黒い涙となって頬を伝う。
鎖の隙間からは、低い呻き声のような魔力のノイズが途切れなく漏れ、ただ見ているだけで胃の奥が冷たくなる。
──それは絶望を喰らい、なお進化を選んだ呪いそのものだった。
「これが……貴様が斬り捨てた、“俺の覚悟”だッ!!」
「ふふ……忘れるな。俺は、“魔王軍最強の剣士”だ。
敗北しても、誇りは死なねぇ。俺の剣が折れるのは──この魂が尽きる時だけだッ!」
(……は、ははっ……おもしれーじゃねぇか……!)
(上等だ、ゼル──! 俺はこの世界で、“レベル999を手動で叩き出した”最強プレイヤーだッ!!)
(舐めんなよ、NPC上がりのザコがァッ!!)
その瞬間、再び視界にふわりとウィンドウが立ち上がった。
《対象エネミー》
名称:魔神ゼル=ザカート
レベル:BOSS/EXランク
種別 :堕天型魔神種(災厄憑依型)
HP :?????/?????
攻撃力:?????/?????
防御力:?????/?????
外殻障壁:六層同調型(呪鎖干渉)
武装 :瘴核の右腕+崩壊槍の残骸
弱点 :心核周辺(※発熱時に顕現)
備考 :旧型ナイトボーンAIの断片を保持
※特定ワード(「誓い」「未練」)に強反応
《……一部情報は破損しています》
《警告:データ表示を継続すると“逆侵食”の危険あり》
(?????だらけじゃねーか!! 桁だけは合ってんのかよ!? ……フルスペック、出やがったな……!)
空気が、一拍、沈黙した。
その沈黙は、決戦前の吸気のように重く、長く、鋭かった。
──そして次の瞬間、リリアの心から、迷いが消えた。
「……そう。なら──私も、全部を出すだけ」
周囲の魔力が、一瞬、静止した。
「ただ、運命を断つ者として──私はここに立つ」
ステータスウィンドウが微かに震え、光を落とす。
「……もう迷わない。終わらせる、あなたと──この世界を」
(セリフ、噛まなくてよかった──!)
(……てか今の完全にラスボス前ムービーの主人公セリフじゃね!? これ死亡フラグじゃねぇだろな!!)
(おい頼むぞ、脚本! 俺まだ死ぬ気ないからな!?)
──空気が震えた。
(……いくぞ!
“9999時間”の俺──ラストステージだ!)




