『第六話・2:封印再起動──帰還する影」』
──再起動の光が、石板を静かに包む。
その鼓動は、失われた願いの律動のように──静かで確かな再生の拍を刻んでいた。
糸が半ばまで編まれ、結界の織り目がゆるやかに蘇る。
リリアの掌から白い魔力の糸がほどけ、石板の紋と結び、空間全体にやさしく染み渡っていく。
「……もう少し……!」
天井から降りる光の線が、ひとすじ、リリアの足元に伸びた。
結界模様が静かに回転し、空間そのものが“記録”と“結界”を織り直していく。
残された糸はあとわずか──光の布は、ほとんど完成に近づいていた。
静寂の聖域に、封印の鼓動が響く。
石板はゆるやかに光を放ち、まるで何かを“思い出す”ように律動していた。
リリアは膝をついたまま、両手で結界の核を支える。
掌の中心から白く柔らかな魔力の糸が伸び、紋へと編み込まれていく。
「……あと少し……!」
──石板が、高く脈打つ。
その震えが全身に響いた直後──
糸は最後の一縷を待ち、結びの瞬間を震えていた。
「よし、いけそう! このまま──!」
(……おお、マジでいけるかも……! 頼む、止まるな……! ここで落ちたらセーブデータ消滅エンドだぞ!?)
(ここまで来たんだ……リリア、あとは任せた。俺も全力で支える!)
(……実際、何もできんけどな!!)
──その瞬間。
空間の奥で光が揺らぐ。脈打つはずの封印の輝きが、一瞬だけ乱れた。
聖域が深呼吸を忘れたように静止する。
直後、不意に――“風”が逆巻いた。
それは冷たくも熱くもない。
ただ“意味を持たない圧力”が、空間の継ぎ目をひしゃげさせた。
焦げた匂いが鼻を刺し、リリアは息を呑む。
「……!」
風ではない。──祭壇を通じて、世界そのものが反発している。
空気が軋み、空間の継ぎ目から黒い雷が滲み出す。
その雷は金属を焦がす音もなく、ただ視界をじわじわと侵食していった。
床を覆う紋様が黒く剥がれ、光が削がれ、世界そのものの彩が失われていく。
そこにあるのは“色”ではなく、“存在の空白”。
「……なに、これ……」
奥の結界ゲートの向こうで、影が動く。
一歩──また一歩。
光を遮るその歩みは緩やかでも、闇が広がる速さで迫ってきた。
足音はない。
それでも、地面だけがわずかに沈む気配がある。
沈むたび、石板の鼓動が不規則に跳ね、まるで見えない“侵入者”を警戒するように震えた。
「……誰……?」
その瞬間、空間の結界は悲鳴のように軋み、
石板の鼓動すら、怯えを露わにした。
そして──封印の再起動が呼び覚ました“一つの影”が、
いま門を越え、閃光の残滓の中から静かにその姿を現した。
黒と紫の礼装。
肩章に刻まれた漆黒の双頭竜。
背に漆黒の槍。
黄金色の右眼には、小さな黒雷が絶え間なく弾けていた。
視線を合わせた瞬間──心臓を握られるような痛み。
いや、氷水ぶっかけられたあと火箸で刺される、そんな無茶苦茶な感覚が同時に襲ってきた。
(……おいおい、開始直後にHP半分持ってかれるとか、難易度設定どうなってんだよ……!)
(イベントバトルの調整、もうちょっと優しくしてくれませんか運営さん!?)
その一瞥だけで、空気の温度が奪われ、肺の奥に氷の刃を突き立てられたようだった。
視線を合わせただけで魂を焼かれるような眼光が、迷いなくリリアを射抜く。
「……久しぶりだな、リリア・ノクターン」
その視線が、わずかに細まる。
リリアの身体がぴくりと揺れた。
名を呼ばれ、瞳がかすかに揺らぎ──答えを失う。
胸の奥が熱を帯び、奥底で眠っていた記憶が軋むように疼いた。
「……だれ……? 知らない……でも……なんで……私のこと、知ってるの……?」
次の瞬間、胸の奥から突き上げたのは──抗いがたい逃走の本能。
だがリリアは、震える膝を押さえ込み、目を逸らさずにいた。
逃げることが生き延びる唯一の道だと本能が叫ぶのに、魂の奥では──“この場で立ち向かえ! 倒せ!”と、まるで別の意志が吠えていた。
脈が速くなる。呼吸が荒い。
それでも、視線の奥が不思議と澄んでいく。
消えた記憶の底から、熱いものが込み上げた。
それは怒りでも恐怖でもない。
──だが確かに、かつて幾度も命を懸けた“戦場”の鼓動だった。
忘れたはずの血のリズムが、いま再び彼女の中で鳴り始める。
そして、その声を──颯太は知っていた。
ワン太の中で、鼓動が跳ねる。
(……あいつ……!)
黒槍を背負う、紫の礼装の男。
かつて剣を交えた、魔王軍最強の騎士──
(……“ゼル=ザカート”……!)
(あの戦いで、俺は確かに奴の心臓を貫いた。──だが、あの眼だけは今も焼き付いて離れない……!)
(ていうか復活イベント早すぎんだろ! 普通こういうの、終盤でやるやつだぞ!?)
その眼光は、生者ではなく、死者を見つめる者のそれだった。
だが今ここに立つ彼の瞳には、“死を超えてなお続く意志”が宿っている。──それは因縁そのもの。
決着は、確かに一度ついたはずだった。
それなのに──壊したはずの駒が、何事もなかったかのように盤上へ戻ってくる。
空間が静かに凍る。
再起動の光が脈を早め、聖域全体が息を殺すように震えた。
そして──視線が交わる。
その瞬間、過去と現在が重なり、
聖域は時の流れを忘れたように沈黙した。
次の瞬間を切り裂く衝撃を、
この世界のすべてが、凍りついたまま待ち構えていた。




