『第四話・2:呪いの祭壇と黒歴史スライド』
セラフィーは、ゆっくりと話し始めた。
「村の東に、“忘れられた祈りの祭壇”があるの。
かつて人々が願いを捧げていた場所……でも、今では誰も足を運ばなくなってしまったわ。」
リリアの瞳がわずかに揺れる。
セラフィーは杖の先で礼拝堂の床を軽く叩き、静かな音を響かせてから続けた。
「……もともとは“祈りを闇から守る”ための祭壇だったの。
でも、いまその封印がほころびかけている。……危うい、って言うべきかしらね。
祈りを失った空白に、いつしか魔の気配が棲みついたのよ。」
「……それって」
「簡単よ。──封印を再起動させればいい。ただ、それだけ。
そうすれば、世界は……ほんの少しだけ、希望の側に傾くわ。
その前に――祭壇を蝕んでいる魔物たちを、静かに眠らせてあげて。
彼らもまた、封印のほころびに囚われただけの存在だから。
昔、似たような場面を、私は何度も見てきたの。ずっと、ずっと前にね。」
そのとき、一瞬だけセラフィーの瞳に差した光は、“救済”ではなかった。
優しさの形をした探りの色がその奥に揺れ、
彼女は目の前の少女の中に、“もうひとつの影”を見つめていた。
「それくらい──リリア。あなたなら、余裕でできるでしょう? 勇者なんだから。」
リリアは背に負った大剣、レーバティン・ゼロへそっと指を添えた。
鞘越しに伝わる冷たさが、胸の奥で微かな熱へと変わっていく。
その熱は、迷いと覚悟のあいだで静かに揺れていた。
リリアは、ほんの一瞬、祈るようにまぶたを伏せ──
そして、小さく頷いた。
「……って、え? それだけで……解呪料をチャラにしてもらえるんですか?」
「もちろん。封印の再起動ができれば、今回の解呪はタダにしてあげるわ。
残りの報酬もちゃんと支払う。
ふふ、“お代がない”なら──身体で払うしかないでしょう? ……冗談よ、たぶん。」
セラフィーの微笑が、ほんの一瞬だけ止まる。
その沈黙に、ふと冷たい風が流れた。
その瞬間、胸の奥で何かがかすかに鳴った。
それは、まだ訪れていない時代の鐘の音のようだった。
誰の記憶でもないのに、懐かしい。
──まるで、遠い未来の自分に呼ばれたような感覚。
リリアはその微かな震えを抱いたまま、唇を開いた。
「……はい。」
(えええええっ!? ちょ、ちょっと待て待て待て!! なんで“はい”なんだよ!? 返事早すぎだろ!?)
(つか、これどこの奴隷制度だよ!!)
(てかそれもう、“選択肢:Yes or はい”ってやつじゃん!!)
(ちょっ……完全にクソゲー仕様!? 「No」が存在しないRPGとか、難易度バグってんだろ!! 強制イベント確定じゃねぇか!!)
セラフィーはほんの一瞬だけ、リリアの「はい」に何かを思い出したようにまばたきをした。
そして、わずかに唇を歪めた。
「じゃあ──話がまとまったところで、さっそく解呪しましょ。」
その笑みは、聖職者のように穏やかで、
けれど、その奥にある“張りつめた意図”は、氷の刃のように薄く光っていた。
それは、取引の裏に潜む“別の祈り”を、ほんの一瞬だけ覗かせた。
──祈りを守るための解呪か、それとも、祈りを試すための罠か。
答えは、まだ誰も知らなかった。
一瞬だけ、礼拝堂の光が揺れた。
けれどセラフィーは、まるで何事もなかったかのように口を開く。
「それと、報告があったのだけれど──」
セラフィーは何気ない口調で言った。
「さっきの街での“水着の聖女騒動”、ぜんぶ記録係の書記官が写本に残したらしいの。
吟遊詩人が即興で作った“予言めいた唄”まで添えられていたそうよ。
だから聖堂図書館に収められて、今後は教材として扱われるんですって♡
毎朝の礼拝で朗読される予定らしいわ。」
(やめろおおお!! 信徒全員がリリアの“水着黒歴史”を朗読するって、どんな地獄システムだよ!?)
(村の子どもたちが「水着の勇者さま〜♪」って輪になって歌って踊る未来が、もう見えるぅぅ!!)
セラフィーは薄く笑った。
「ええ、きっと後世の学者たちは、熱心に研究してくれるでしょうね。
“倫理学的羞恥の再構築”とか、“聖性と露出の相関”とか──立派な論文タイトルを並べて。」
その言葉が、静かに空気を凍らせた。
リリアは一瞬、何かを飲み込みかけたように唇を震わせ──そして、堰を切ったように叫ぶ。
「やめてぇぇぇ!! そんなの! 私が“水着の聖女”なんて後世に刻まれたら、死んでも死にきれないっ!!」
リリアの目尻が潤み、肩が小さく震える。
その小さな震えが、いまこの場のすべての軽やかさをさらっていった。
(黒歴史が千年スパンで残るとか、バグどころじゃねぇぞ!!)
(未来の学会発表スライドで『事例研究:黒歴史聖女事件(BC1003)』ってタイトルが出るんだぞ!?)
(教授が真顔で「ここ、注目してください」ってポインターで指すんだぞ!? ありえねーよ!!)
──颯太の脳裏に、悪夢のような“未来の光景”がフラッシュバックする。
白亜の聖堂。壇上の巨大スクリーンには、満面の笑みでピースする水着姿のリリア。
「♪み〜んな大好き〜 水着の勇者さ〜ん♪」
聖歌隊のような調子で繰り返されるフレーズ。
(終わったあああ!! 文明が滅んでも、この羞恥だけは化石になるッ!!)
(未来の発掘で発見されるんだ。遺跡の層から出てくるのは壺でもなく、色褪せた写本と、奇妙な絵で──中央にひとり、悲しげな水着の勇者が描かれているんだ!!)
リリアは目を閉じ、祈るようにそっと天を仰いだ。
その瞳には、勇者としての誇りと、ただの一人の女の子としての深い哀しみとが、静かに同居していた。
⸻【千年後・未来学会】
スクリーンに、古代の写本が映し出される。
描かれているのは──水着姿で涙するリリアと、その胸に埋もれるワン太の姿。
教授「はい……これが有名な“水着の聖女事件”。
勇者がぬいぐるみを抱いているという点が、宗教学的に大きな……まあ、当時のノリですね。」
学生A「先生、この“ぬいぐるみ”って、やっぱり……犬ですよね?」
教授「ええ。そこが重要なのです。」
学生B「SNSの資料に、“#水着の聖女”って……当時トレンド入りしてたって記録があります。」
教授「……ありますね。古代人の信仰とSNS文化が融合した、稀有な事例です。
真面目に言うのも馬鹿らしいが──史実ですからね。」
学生C「先生、この“紐を直す仕草”は、宗教儀式として解釈できるんですか?」
教授「解釈……できなくもないですね。
あれは“受難の象徴”と──」
学生D(寝ぼけながら)「……あの、これテストに出ますか?」
教室が少しざわつき、教授が咳払いで誤魔化す。
その背後のスクリーンには、“涙する水着の聖女”が静かに微笑んでいた。
──そして、その微笑の裏で、
千年前の少女の小さな声が、誰にも届かぬまま時の砂に溶けていった。
遠くで、白衣の聖女が静かに目を伏せる。
その瞳の奥に、一瞬だけ“かつての祈り”が滲んでいた。
照明が落ち、白亜のスクリーンだけが、静かに光を放っていた。




