『プロローグ 2: 俺、マヨネーズじゃねえ!!』
……なんだこれ。
つぶらな瞳。ふにっとした手触り。白くて丸っこいシルエット。
耳がぴょこんと揺れ、縫い目がやけに間抜けに見えた。
どう見ても、“ただのぬいぐるみ”。
しかもだ。よりによって、世界的に有名なビーグル犬のぬいぐるみを、さらにコロコロにデフォルメしたやつ。
(……まあ、確かに可愛いけどな。見た目だけは)
(って、誰が観賞用マスコットだ! 俺は勇者だぞ!?)
だが、しゃべれない。動けない。
それでも意識はある。俺は確かに、このゲーム世界のどこかに“転がって”いた。
(……終わった、ってことか?)
(レベル999の最強の勇者が、ただの飾り物……?)
ふわふわの四肢を見下ろし、俺は深いため息をつく。
体重は羽毛枕より軽く、転がろうとしてもコロコロ……で、すぐ止まる。
段差三センチはまさかの登山扱い。
ドアノブには届かず、宝箱のフタは重すぎてびくともしない──完全に観賞用マスコット。
どんなクエストも、物理的に無理ゲー。
(ていうか、動けないのに“登山”ってなんだよ!? 三センチで遭難とか聞いたことねえぞ!)
(いやほんと、伝説の勇者が“段差バリア”で敗北って……はい、伝説終了〜!)
……このまま誰にも見つからず、部屋の隅でホコリをかぶるのか。
“伝説の勇者(置物)”として展示コーナー行きか?
そんな絶望と自虐に転がっていた、そのとき──。
冷たい静寂を打ち破る足音が、確かに響いた。
ギシ、と床板が鳴る。
──そして、彼女が現れた。
「……わ、なにこのぬいぐるみ。めっちゃ可愛い!」
(……は?)
その顔。その声。その仕草。
間違いようがない。俺が作った理想のアバター──リリア、そのままだ。
運命めいた再会に、思わず息が詰まる。
胸の奥にこびりついていた孤独と絶望が、じわりと溶けていく。
(……助かった。やっと……やっと俺を見つけてくれた……!)
──静かな感動に胸を震わせた、その直後。
「へへ、ちょっと汚れてるけど……ぎゅってしたくなる感じ♡」
(やめろやめろ抱くな! なんだその天然ムーブ!?)
「……なんか、ちょっとだけ……うちの冷蔵庫のマヨネーズと似てる気がする」
(えっ!? 俺、マヨネーズ枠!? どんな扱いだよ!!)
リリアは楽しげに笑いながら、ぬいぐるみの俺を抱きしめた。
その仕草があまりにも自然で、温かくて──悔しいけど、ちょっと泣きそうになる。
「わたしの名前は……たぶん、リリア。そう書かれた紙がポケットに入ってたの」
「でも、それ以外はなんでか……ほとんど思い出せなくて」
その声は明るいのに、言葉の端に影が滲んでいた。
まるで“思い出したら泣いてしまう記憶”を、必死に隠そうとしているみたいで──俺の胸に、かすかな痛みが走った。
(……記憶がない? いや、その名前は俺が──)
「えへへ。だから、君にも名前がないって思ったら……ちょっと親近感わいちゃって♡」
「うーん……じゃあ、わたしがつけてあげよっか!」
(ちょ、待っ──!)
「……“ワン”って感じだけど……なんか、この子……“ワン太”って呼びたくなっちゃった♡」
(はああああぁ!?!?
それ、現実で俺が部活仲間に呼ばれてた“クソ恥ずかしいあだ名”じゃん!!
なんでド直球でそこ引き当ててくんの!?
いやいやいや、マジで意味わからん!!
これ絶対バグだろ!? フラグだろ!? 伏線だろ!?
俺の青春に追い討ちかけるなよーー!!)
「よし、決定♡ これからよろしくね、ワン太♪」
「……なんか、冒険の始まりって感じだね。ふたりでがんばろっか、ワン太♪」
(……はあ。マジかよ)
(いや、がんばるのはいいけど……俺、手足が布だぞ? どうすんだよこれ)
(たぶんこの旅、“転がされ系RPG”だわ……)
──そう軽口を叩きながらも、胸の奥にかすかなざわめきが残っていた。
もしリリアが本当に記憶を失っているのなら……俺は、ぬいぐるみの姿で、どうやって彼女を守れる?
笑い飛ばす声の裏に、不安が静かに根を張っていく。
──こうして、ぬいぐるみと少女の奇妙な冒険が幕を開けた。
けれど、まだ誰も知らない。
この“ワン太”が、かつて世界を制した“レベル999の勇者”であることを。
そしてリリアは──自分が、その勇者だったことすら、忘れている。
だが、そのころ。
蔦に覆われた神殿の奥、封印の間。
静寂の中で、ひとつの“石板”がひそかに光を帯びていた。
淡く、凜と浮かびあがる──勇者リリアの真名。
その光を、闇の奥から誰かが見下ろしていた。
気配はなく、ただ無音の笑みだけが世界を震わせる。
次に幕が上がるとき、その笑みは確かにふたりの前に現れるだろう。
それは、運命がふたりを再び大きな物語へと導こうとしている兆しだった。