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『第三話・6:黒歴史は祈りと共に』

膝をつき、扉の前でへたり込む。

石畳の冷たさが、膝から太ももへ、さらに背筋までじわじわと染み渡っていく。

肌にまとわりつく水着は、もはや“布”ではなく、“羞恥そのもの”だった。


壁の向こうには、涼やかな空気と祈りの静寂があるはずだ。

──わずかに香る、聖油と古い木の匂いが風に乗って流れてくる。

その境界を越えれば救いがあると知っていても、一歩が、あまりにも遠い。


「誰か、開けて……お願い……」


その声は扉に吸い込まれ、丸みを失った風のように消えていく。

リリアはそっと扉に手を伸ばす──が、あと一歩のところで力が抜け、膝が崩れた。


祈るように、ワン太を胸に抱きしめる。

鼓動とぬいぐるみの丸みが、互いの輪郭を重ね合わせながら震えた。


風が吹き、胸の布がふわりと持ち上がる。


(やめて風さん……もう、この子のHPは限界だよ)


──その時だった。


扉の向こうから、規則正しい足音が響く。

重い木の床を踏む音が、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。

その一歩ごとに、礼拝堂の空気がこちらへと押し寄せてくるのを感じた。


リリアは顔を上げた。

羞恥、安堵、期待、不安──すべてがないまぜになった感情が、瞳の奥で渦巻いていた。

まぶたの端に、涙がきらめく。

耳の奥で自分の鼓動が高鳴り、指先がわずかに痙攣する。


……街の喧騒は遠のき、笑い声さえ掻き消すように、礼拝堂の中から流れ込むひんやりとした空気だけが残った。


ギィ……

古びた扉が、ほんの少しだけ開く。

差し込んだ光がリリアの肩を照らし、その輪郭を金色に縁取った。

同時に、礼拝堂特有の冷たく澄んだ香りが頬を撫でる。


「……リリア?」


その声は、確かに救いを知る者の声だった。

空気を震わせた瞬間、リリアの肩がかすかに跳ね、胸の奥で詰まった息が解き放たれる。


この瞬間──“嘲笑”と“救済”の狭間で、彼女の物語は次の段階へと進もうとしていた。


「……神暦一二三年、盛夏の午後。

水着姿の乙女、礼拝堂の前にて天を仰ぎ、涙は真珠のごとく石畳を濡らす。

その胸元にきらめく汗は七色の宝石を思わせ、

白きリボンは烈日の中にあってもなお希望の旗のように翻った。

そして彼女が抱くぬいぐるみは──勇者の面影を秘めた神秘の守護像であった……!」


書記官は無表情のまま、しかし朗々と読み上げていた。

瞳に光はなく、まるで神の意志をそのまま書き写す機械のように、羊皮紙にペンを走らせる。

インク壺の黒は奈落のように揺れ、リリアの羞恥を永久保存する冷たい液体へと変わっていった。

カリカリ……カリ……と羊皮紙を削る筆音が、黒歴史を確定させる音のように刻まれていく。


「おお……!」

老婆は震える手で涙を拭いながら十字を切り、青年は鼻血を垂らしたまま天を仰ぐ。

商人は「水着の聖女ステッカー! 一枚一枚手描きだよ!」と勝手に叫び、吟遊詩人はもうリュートを弾き始めていた。

……なぜか鍋を叩いてリズムを取る子どもまでいる。

絵師はスケッチを掲げ、「限定一点! 今だけ五銀貨!」と競りを始めるし、他の連中も勝手に便乗して屋台みたいな空気になっていた。


やがて拍手がわっと広がり、誰かが「詩だ……神の啓示だ……!」と感極まった声を上げる。


「やめてえええええ!!」

リリアは顔を覆って絶叫した。

「これ、私の人生の黒歴史ランキング一位確定じゃん!! お願いだから未来に残さないでぇぇぇ!!」


だが、その叫びも熱狂の渦に飲まれる。

書記官のペンは止まらない。

……それは記録された。ただ、中身は盛大な誤解のまま。


笑いと賛美と商売の渦のなか、リリアは扉の前で震えていた。

救済を願った祈りは、別の形で勝手に“祭り”へと変えられてしまったのだ。


──そして、群衆の背後。

誰も気づかない。だがひとつだけ、冷たい視線が残っていた。

笑いも祈りも消えたあと、そこにあったのは──ただ狙いを持った眼差しだけ。


それは氷刃のように、リリアの心臓を静かに縫いつけていた。

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