表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/131

『第三話・5: 羞恥の聖女、扉の前で止まる』

挿絵(By みてみん)

街の中は、商人たちの威勢のいい声と、子どもたちのはしゃぐ笑い声、焼きたてのパンや香辛料の匂いが入り混じり、石畳の路地ごとに違う彩りを放っていた。

色鮮やかな布は陽光を反射して眩しく、軒先で吊るされた金属器具がきらりと光を散らす。石畳には昼の熱気がこもり、立ちのぼる埃の匂いが鼻を刺す。鐘楼の影が街並みを区切り、翻る旗が夏空に鮮烈な模様を描いていた。


──けれど、馬車から降り立ったリリアにとっては、その光景はまるで磨りガラスの向こうの絵巻物のようだった。

音も匂いも確かにそこにあるのに、遠い世界の出来事のようにぼやけて胸に届かない。

笑い声も鐘の音も祝祭の喧噪にしか聞こえない。自分だけが異物で、裸のまま処刑台に立たされているような錯覚だった。


リリアは、はだけた水着姿のまま、そっとワン太を胸に抱きしめた。

ぬいぐるみの丸い輪郭だけが、唯一の盾であり、心の支えだった。

背を丸め、足先から慎重に石畳へ降り立つ。熱の残る石がじり、と素足に伝わり、「現実」という名の烙印を押すようだった。


「……ひっ……」


たった一歩。

その瞬間、背筋に電流のような緊張が走った。


足音。視線。ざわめき。

──空気が、変わった。


振り返らなくてもわかる。

今、確実に何十もの視線が自分を追っている。

それは好奇心とも嘲笑ともつかない、しかし確かに形を持つ「人の意識の重み」だった。

冷たい指先のように、その重みは形なきままリリアの肌を這い、心臓を直接つかんでくる。


「なにあれ、あんな格好で……」

「え、昼間からビキニ? まさか……」

「宣伝用の子か?」「いや、罰ゲームだろあれ」

「……おい、子どもが指差して笑ってるぞ」


(いや当然だよ! 馬車からビキニで降りたら、そっち系の仕事に見られるって!!)


息を詰め、視線を足元に落とす。

陽光が肩をなぞり、白地にピンクのリボンが踊るフリルだらけの水着を、まるで「見世物」のように照らし出す。


胸元のギャザーは“見せるため”に谷間を寄せ、その奥に汗の粒が一粒、また一粒と光を反射する。

──宝石を埋め込まれた谷間。本人の意志など一切関係なく、人目を吸い寄せていく罠。


肩紐がずり落ちかけるたび、リリアは震える指で直そうとする。

だが、その仕草すら視線を呼び込み、羞恥を増幅させる罠に変わっていく。


「こ、教会……教会は……」


リリアは視線を逸らし、足早に石畳を踏みしめる。

歩くたびにリボンが暴れ、太ももをぴしぴしと打つ。

その乾いた音は、周囲のざわめきに混じり、羞恥心の火に油を注ぐ。


(てか石畳の反響でパンパン音するの、羞恥効果ブーストすんな!!)

(お願いだから! 俺だけ転送してくれませんか!? 神様ァ!!)

(これ配信されてたらBAN確定だからな!? 運営ォ!! モザイク機能実装しろォ!!)


通りすがる人々が、必ず一度は振り返る。

声を潜めた囁き、笑いを噛み殺した息、わずかなため息。

それらが渦を巻き、押し寄せる波のようにリリアの背を包囲していく。


老婆は青ざめた顔で胸の前に十字を切り、まるで「悪魔の顕現」でも見たかのように祈りを捧げる。

若い青年は顔を真っ赤にして鼻を押さえ、鼻血を垂らしながら慌てて背を向ける──が、ちらちらと振り返らずにはいられない。


「……あった……!」


視線の先に、灰色の石で組まれた礼拝堂が現れた。

尖塔は青空を突き、古びた木の扉は外界を拒絶するように固く閉ざされている。

ここが唯一の救い──呪いを解く扉。


だが──


リリアは胸元を覆うように布をつかみ、小さく震える指先で扉を見上げる。

足は、扉の手前で止まってしまった。


「だ、だめ……入れない……こんな格好じゃ……!」


(いや、それは来る前に気づこ!?)

(てかもう十人以上に見られてたから、今さら清純ぶっても遅いから!!)

(しかもここ教会だぞ!? 神官に見せたら“異端審問コース”確定だからな!!)


リリアは、ワン太をぎゅうっと胸に抱き寄せた。

その瞬間──ぬいぐるみの顔が、完全に谷間へ沈み込んだ。


(……不本意すぎるぬくもり……ッ!!)


「……お願い、ワン太……こんなの、もういや……」


その声は、ひび割れた陶器のようにかすかに震え、風よりも弱く、そして何より儚かった。


そして、そのか細い声が路地のざわめきに溶ける刹那──また、あの冷たい視線が背を射抜いた。

群衆の笑いでも祈りでもない、氷のような一点。

リリアは思わず胸の奥を押さえる。心臓が、見えない針で縫いつけられたように動けなくなっていた。

誰かが確実に──この恥辱を狙って見ている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ