第二十五話・7 : 神話終焉後のザッハトルテ騒動』
けれど、その温もりから一歩だけ外れて──黒リリアこと、ネイルは輪の外で固まっていた。
彼女は足元をふらつかせ、蒼白になりながらリリアに向かって膝を折る。
「……お、恐れ入ります……。先ほどの戦い……正直、直視できたものじゃ……。
俺は所詮、使い捨ての写し身。斬り捨てられても、文句など言えません……!」
声は震え、まるで死刑宣告を待つ罪人のようだった。
リリアは思わず苦笑し、首を横に振った。
「……いや、ネイル。あなたはわたしの“分身”なんだ。姉妹みたいなもんでしょ? 粛清なんてするわけないじゃない!」
(何で俺が女言葉で喋って、女のネイルが男言葉なんだよ!!)
(見た目どおり女の子っぽく喋ろうと、こっちは必死に頑張ってんのに……おかしいじゃねえか!! 俺の努力どこいった!?)
リリアの口調には柔らかな響きが混じっていた。
「王国の近衛として、これからも頑張ってよ。……頼りにしてるから」
ぱんっと新しいウィンドウが浮かんだ。
《ネイル・ノクターン》
種別:分身アバター/黒リリア
Lv:47
HP:324/324
攻撃:236(地味に強い)
防御:186(リリア本体より高い)
称号:姉妹
特技:黒歴史の朗読
弱点:おやつに弱い
備考:構成成分は、小指の爪
(……よりによって備考そこ!? 作者の悪ノリだろこれ!!)
(しかも攻撃も防御も俺よりバランスいいってどういうことだよ!?)
(つか鼻くそゴーレムもこのノリで作った気がするけど……あいつ今どうなってんだ!? 進化して“ウンコゴーレム”とかになってたら世界終わるぞ!!)
「リ、リリアさま……!」
ネイルの瞳が大きく見開かれる。やがて大きく息を吐き、胸に手を当てて深く頭を下げた。
「は、はいっ……! 必ず……!」
リリアは小さく笑みを浮かべ、柔らかに頷いた。
「……ここまでレベルを上げて、よく頑張ったね。ネイルの努力は本物だよ」
(……って、めっちゃ優しい言葉かけてるけど!! 中身は“爪”なんだぞ!? どうやって努力とか積むんだよ!! いや、積んでるっぽいのが余計に怖いんだけど!!)
(つーか冷静に考えてみろよ!? ただの小指の爪から別人格が生まれて、しかもちゃんと会話して成長してるってどういう理屈だよ!!)
(魂コピー? 魔力の残滓? いやいや、俺そんな大層な魔法かけた覚えねえぞ!? ……え、マジで自我芽生えたの……? だとしたら俺が一番ホラーだわ!!)
セラフィーはそんな内心など知る由もなく、静かに目を細めて微笑んだ。
「……リリア。あなたの分身も、やっぱり誇らしい戦士ね」
(ちょ、ちょっと待て!! 感動モードで片づけるな!! 俺の精神ホラー劇場が進行中なんだってば!!)
場の空気がようやく落ち着きを取り戻す──
だが、その直後。
「落ち着いたの、みんなだけやろ!? こんだけ恐ろしい思いして、ワイの頁まだガクガク震えとるんやけど!? 天使と悪魔いっぺんに見た感じやで?
……ほら見て! インクまでプルプルしてるやん!!」
(いや、知らんがな!! インクの震えとかどうやって判別すんだよ!!)
ブッくんがばさばさと羽ばたき、大げさに声を張り上げる。
「こんなん危険手当出るやろ!? ザッハトルテ払いでええから!!」
(出たなページ労災申請!! てかお菓子換算てなんだよ!? 甘味相場で世界回すな!!)
ネイルがもじもじと指を絡ませながら、恐る恐る口を開いた。
「……あ、あの……こ、こんな場面で申し訳ないのですが……も、もし余っていたら……わ、私にも……ザッハトルテを……」
(お前まで欲しがるんかぁぁぁ!! さっきまで粛清ガクブルしてたやつが、急にスイーツ乞食化すんな!!)
「わふっ♡」
ワン太はぽふんとリリアの胸元に頭を押しつけ、綿の詰まった腕で「ぎゅーっ」とする真似をした。
(……え、ワン太かわいいなオイ。完全にぬいぐるみ界のアイドルやん。
アニメ化されたら絶対グッズバカ売れだろ……抱き枕、キーホルダー、ぬいぐるみ……全部即完売コースじゃねえか! ポップアップショップ全国展開まで見えたわ!!)
(それに比べて俺は、さっきまで神話ラスボスやってたんだぞ!? この落差なんなんだよ!!
ドアから急に出てきた悪役ポジション扱いだろ!? 円盤特典にすら入れてもらえねえ!!)
セラフィーが小さく笑みを漏らし、柔らかく囁いた。
「緊張が解けていいじゃない」
「解けすぎなんだよ!! この温度差で風邪ひくって!!」
「いやぁ~。でもさぁ~」
ブッくんが懲りずにぺらりと頁をめくる。
「鼻くそゴーレムの話、めっちゃ気になるんやけど? 後日談スピンオフいけるんちゃう!?」
(出すなそんな外伝!! 出版社が泣くわ!!)
仲間たちの笑い声が、霧氷の谷にこだました。
ほんの数分前まで神話の終焉みたいな光景が広がっていたとは思えないほど──
今はただ、馬鹿馬鹿しくも愛しい笑いが、白い余韻となって谷の奥へと滲んでいった。
そしてリリアは、ふと声を張って宣言した。
「……でも、ザッハトルテはやらん!!」
(やっぱり甘味だけは命より大事なんだな……!)