『第二十五話・3 : 勇者と魔王のフィアンセ♡ネイル編』
一拍置き、黒リリアの口元が歪んだ。
「名前も変えた。リリアなんて物騒な名前、名乗ってりゃ命がいくつあっても足りねえからな。
だから、自分で選んだんだ。――今の俺は、“ネイル”だ!」
(やべー! 小指の爪カスが“ネイル”って名乗ってる!? ラスボス口上に爪のネーミングって!)
(……ダメだ、笑うな俺!笑ったら絶対殺される!! いや、もう口の中で笑いが暴れてる!お願いだから今だけ真顔でいさせてくれぇぇ!!)
ブッくんはページをガタガタ震わせながら、かすれ声でつぶやいた。
「……いや、“ネイル”て……おしゃれサロンかいな……」
セラフィーは思わず息を震わせ、小さく呟いた。
「……お願いだから、今は黙ってて……真剣勝負の場で、冗談なんて聞きたくない……」
ワン太は、小さく身をすくめ、尻尾を丸めていた。
谷を満たす冷気が、その毛並みさえ逆立たせていた。それは二人の異常な気配を感じ取った、本能の震えだった。
黄金と黒――二つの瞳が火花を散らし、谷の空気は一層凍りついていた。
そして、その瞬間、大地ごと裂けるような緊張が走り、谷全体が静かに息を止めた。
──(……おいワン太、怯えてんじゃねえ!俺なんか、実は今、笑い堪えすぎて横隔膜つりそうなんだぞ!)
(ちょ、みんな殺気ビリビリ張りつめてんのに、俺だけ腹筋ピクピクってどういう状況だよ!?)
(深爪リソースから生まれた分身がラスボス感全開って何のギャグ!?格好良すぎて俺がただのネイルサロンの予約客じゃん!!)
(おいレオ!お前魔族の王子だろ!?なんで分身くんに存在感で完敗してんだよ!?お前の席もうないぞ!?)
(……主人公俺だよな!?ここで格下げ食らったら“ただの深爪製造機”兼“腹筋痙攣マン”だぞ!?)
(編集さんマジでやめてくれよ!?次回予告で「新章突入!主人公はネイル!」とか出したら俺ほんと泣くからな!?)
(くそぉ……この作品だけは……頼むから……『深爪物語 ~ネイル・オブ・ザ・デスティニー~』に改題されませんようにぃぃぃ!!)
そのやり取りを、レオと側に控える敵将はじっと見ていた。
黒と金、二人のリリアを見比べるレオの瞳が、かすかに笑みを帯びる。
「……面白い。……混乱の中こそ、魂は牙を剥き、真実をさらすものだ」
その声は愉悦を含みつつも、谷の空気をさらに凍りつかせた。
敵将は息を呑み、思わず半歩退いた。冷気よりも鋭い圧に晒され、視線を逸らすしかなかった。
レオの瞳が細められ、冷ややかに告げる。
「……どちらが“本物の勇者”か。強い方だけが、俺の婚約者を名乗る資格を持つ。弱い方は、ここで斬り捨てるまでだ。」
(……おいおいおい!?なんで俺、婚約者トーナメントの決勝に勝手にエントリーされてんの!?)
(この試合、優勝賞品=フィアンセってシステム、誰が許可出したんだよ!?)
(てか黒リリアまで参加してんの反則だろ!俺が負けたら“婚約者はネイル”ってことになるのか!?)
(……最悪の未来タイトル『勇者と魔王のフィアンセ♡ネイル編』とかやめろよ!?)
セラフィーは耳まで真っ赤に染め、剣を握りしめたまま声を震わせた。
「……リリア……わ、私じゃ……なかったの……?」
(ちょ、待てぇぇぇ!! 意味わからん!セラフィーまで誤解して参戦してきたら修羅場が四角関係に進化すんだろ!?そもそも、この世界、同性婚アリなのか?)
(このままじゃ、冒険譚どころか“勇者リリアのド修羅場ラブコメ編”スタートじゃねえか!!)
仲間の一人は動揺のあまり足をもつれさせ、陣形がガタガタと崩れた。
「ど、どうするんだよ!? 俺ら今まで“勇者さま”に命預けてたけど……まさか魔王のフィアンセ決定戦に巻き込まれるなんて聞いてねぇぞ!」
ブッくんはページをばさばさ振り乱し、絶叫する。
「修羅場イベントやないかい!! 戦場BGMどころか恋愛ドラマの主題歌流れそうやぞぉぉ!!」
(やめろやめろやめろ!! 今この谷のBGM、完全に“オーケストラ大合唱”から“昼ドラ愛憎メロディ”に差し替わってんじゃねーか!!)
(効果音も“斬撃”じゃなくて“心臓ドキュン♡”に聞こえてきたぞ!?)
(次回予告で「勇者リリア、愛と修羅場の三角関係に挑む!」とか言われたら俺、冒険譚じゃなくて昼ドラ主演だぞ!!)
──その瞬間、谷の空気が凍りついたまま、颯太の腹筋だけが震えていた。