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『第二十四話・7 : 女神なき王都、祈りと怒号』

その頃王都は大変な騒ぎになっていた。


最初に異変に気づいたのは医療塔の医師団だった。

深い眠りに沈んでいたはずのリリアの胸に宿っていた魂脈が、突如として計測符から消え去ったのだ。


「……反応が途絶えた!? まさか計測器の故障か!」

「ちょ、ちょっと待て! もう一度だ、もう一度計れ!」

「だめだ……何度やっても……消えてる……魂が、もう……」


ざわめきが塔の一室を駆け抜け、十数人の医師が一斉に詰め寄った。

「急げ、蘇生符を!」

「薬液は!? いや違う、脈そのものが……!」


声が重なり、手元の器具は次々に落ち、ガラス管が床で砕け散った。

誰もが信じられず、震える手で測定を繰り返すが、刻印板は沈黙したままだった。


そして次の瞬間――。

ベッドに横たわっていたリリアの肉体が淡い光を帯び、花弁が散るように透けていき、音もなく消えていった。


「に、肉体まで……!」

「うそ……目の前で……」

「勇者殿が……忽然と……!」


白衣の群れは総立ちになり、悲鳴と怒号で室内は地鳴りのように震えた。

「記録にねえぞ、こんなの……!」

「伝承にも……こんな話は……!」

誰もが診断具を取り落とし、足元を見失ったかのように廊下へ飛び出した。


「リリア様がいない! 勇者様が消えたぁ!」


その叫びは塔を揺らし、外へ、そして王都の隅々へと風よりも速く広がっていった。


──そこから先は、噂が噂を呼んで、雪崩のように街を覆った。


「魔王軍にさらわれたんだろ!」

「いや、神殿が……勝手に天へ……!」

「城が隠してるんだ、そうに決まってる!」

「……死んだんだよ、もう戻らねぇ……!」


誰ひとり真実を知らない。だが「死んだ」という最悪の言葉だけが、人々の心に突き刺さった。


「女神様が……死んだ……?」

「やだ……やだよそんなの……」

「あり得ねぇ……あり得ちゃ……ならねぇ……!」


市場の中央で老女が地面に崩れ落ち、胸を叩いて泣き叫ぶ。

「女神様ぁ……どうか……戻ってきてぇ……! あのお方がいなけりゃ、この王都は闇に沈む……!」

子どもたちは怯えて母親に縋り、母は震える声で「きっと帰ってくる、絶対に」と繰り返した。

だがその言葉は、自分自身を必死にだます祈りにすぎなかった。


そして恐怖を倍加させたのは、さらに広がる新たな噂だった。

「ザッハトルテの封印……解けるぞ!」

「勇者様がいなきゃ……甘き封印は続かねえ!」

「魔王軍が来たら……もう……もう持たねぇ!」


その声は瞬く間に王都を覆い、人々の胸を冷たく締め付けた。

「二度と勝てるもんかよ……あの黒鎧の軍勢に……」

「前の戦で、どんだけ死んだと思ってんだ……」

「次に攻められたら……もう終わりだ……!」


嗚咽と恐怖は広場を震わせ、祈りと絶望がないまぜになって街を呑み込んでいった。


──まずは静かな祈りがあった。

街角の教会に駆け込んだ人々が蝋燭の灯にひざまずき、涙で頬を濡らしながら震える声を重ねる。

「女神様……お願いだ、守って……」

「リリア様……一度でいい、笑ってくれ……」

その声は嗚咽の合唱となり、壁を震わせて夜にこだました。


──だが、神殿の大広間では反発が始まっていた。

壇上の神官と巫女たちは必死に説く。

「試練だ! これは天の試練なんだ!」

「勇者を信じろ、信じるしか……!」

だが民衆は叫んだ。

「試練だぁ? ふざけんなよ!」

「なんで女神様を奪ったんだ!」

「見捨てられたってのか、俺たちは!」

祈りは怒りに転じ、説教の声は嗚咽と叫びにかき消されていった。


──やがて熱狂が街を覆った。

広場には祈りの行列が生まれ、松明を掲げた群衆が「リリア様!」と声を合わせて夜を巡った。

その光景は荘厳でありながら、葬列のように痛ましく、王都全体が少女ひとりを悼む儀式と化していた。


──そして怒号が王城を揺るがした。

「死んだんだろ! そうなんだろ!」

「ごまかすなよ、城は何を隠してんだ!」

「リリア様を返せぇ!」

「生きてんのか死んでんのか、はっきりしろってんだ!」


城門を揺らす群衆。

誰かが泣き叫び、誰かが拳を突き上げ、誰かが喉を裂くように怒鳴る。

衛兵は槍を構え必死に押し返すが、その叫びは夜空に突き刺さった。

暴徒化は時間の問題だった。


一方そのころ、城内では緊急対策会議が開かれていた。

「死んだって噂が……もう広まってます!」

「封印が……ザッハトルテの封印が揺らいでおります!」

「魔王軍が来れば……王都は持ちませぬ!」

声が飛び交い、広間は嵐のように荒れ狂った。


王は玉座で蒼白な顔を上げ、呻くように命じた。

「……死んだなどという言葉、余が認めてなるものか。

いいか、探せ。必ず生きているはずだ。

この王都の隅々まで、石の裏に潜む鼠一匹逃さず探し出せ!

女神を失えば、この国は終わるのだ!」


その命が下された瞬間、王都は戦時さながらの厳重警戒体制に入った。

城門はすべて封鎖され、出入りの商人は一人残らず調べられる。

城壁の上には弓兵が倍増し、松明が夜を真昼のように染めた。

街路では巡回兵が二重三重に走り、鐘楼は休みなく警鐘を鳴らし続けた。


夜警に立つ兵士たちも、不安を抑えきれなかった。

「なぁ……次に魔王軍が来たら……」

「終わりだろ……リリア様なしで勝てるもんか……」

「……でもよ、言ったら……終わりだ……今は槍を握るしか……」

暗がりで交わされるその囁きは、街灯より寒々しく響いた。


そして王都の外でも波紋は広がっていた。

隣国の使者が慌ただしく城門へ駆け込み、息を荒らしながら怒鳴った。

「勇者は! 本当にいないのか! 隠してるんじゃないのか!」

「戦が……戦が来るだろうが! こっちだって巻き込まれるんだぞ!」

周辺の都市国家もざわつき、「封印が揺らいだなら……戦火は我らにも及ぶ……!」と恐怖を募らせていた。

外交の場は混乱し、友国ですら疑念と焦りの声を隠せなくなっていた。


──勇者リリアは、女神そのものだった。

その不在はただの空席ではない。

「死んだのではないか」という噂、封印崩壊の恐怖、次の戦に耐えられぬという諦念──

それらが折り重なり、祈りと嘆きと怒号の渦となって王都を呑み込み、やがて世界全体を揺るがす災厄の兆しへと変わっていった。


そして夜空には、王都を照らす無数の松明が揺れ、

それはまるで、女神を失った世界そのものが葬列を組んで進んでいるかのように見えた。


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