『第二十一話・4 : 甘き封印、犬とザッハと勇者の逆ギレ』
その刹那──
──バキィィィィン!!
封印の扉が悲鳴を上げ、結晶の侵食に耐えきれず崩れ落ちた。
砕け散る鉄片と光の破片が爆風のように吹き荒れ、廊下の空気ごと弾け飛ぶ。
「きゃ──っ!」
セラフィーがマントを翻し、ブッくんがばたばたと頁を振り乱す。
その衝撃に煽られ、小さな布の影が宙を舞った。
「わっ……!」
リリアは咄嗟に腕を差し伸べ、飛ばされてきたワン太を抱きとめる。
(……やば……! 抱き心地モフモフ……いや、今それ言う俺の神経どうかしてるだろ!!)
甘気は爆風のように廊下を吹き抜け、三人とワン太の視界を真白に染めた。
そして、視界が晴れた時──
そこには、黒曜石の艶を放ち、ただの菓子とは思えぬ威圧感を漂わせる 《聖なるザッハトルテ》 が鎮座していた。
その前に立ちはだかるのは、透き通る結晶の犬──いや、砂糖細工の聖獣。
牙をカラメル色に光らせ、床石を噛み砕きながらじりじりと進む。
「……っ! まさか……聖獣自身がザッハを……!」
セラフィーが蒼ざめ、剣を構える。
「ひえぇぇぇっ!? 犬やのに“ケーキ直食い”かいなぁぁ!!
誰が考えたこの構図!? スイーツ番組かRPGかハッキリせぇぇ!!」
ブッくんは絶叫し、頁をばたばたさせる。
リリアの喉がごくりと鳴った。
(……おいおいおい……! 守護者とかじゃなく、ただのケーキハンターじゃん!?
しかも相手はラスボス級“聖なるザッハ”……甘味欲で世界崩壊とか、ジャンル事故すぎるだろ!!)
「……リリア」
セラフィーが横目で問いかける。
「聖獣を止めなければ……! ザッハを食べられた瞬間、世界は──」
床石を砕く音は、もはや破滅のカウントダウンだった。
「──させない!」
リリアが一歩前に出る。
セラフィーの剣が青白い光を走らせ、砂糖の結晶を火花のように散らした。
「わ、ワイもやったるでぇぇ!!」
ブッくんが涙目で呪言を吐き出す。
「焦げよ! 滅びよ! 呪糖黒焔ぇぇ!!」
頁から立ち昇った黒炎が砂糖に触れるや否や──
──じゅぅぅぅ……!
甘い香りを焦がし、空気をビターな苦味で塗り替えた。
「うおっ!? 匂いだけで虫歯になりそうやぁぁ!!」
兵士たちが呻き、口を押えて崩れ落ちる。
それでも聖獣は止まらない。
牙を剥き、ザッハトルテへ迫る。
その瞬間、リリアの中で何かがぷつんと切れた。
「……ケーキを守る? 犬を止める? そんなややこしい話じゃない……!」
リリアは肩を震わせ、前へ進む。
「菓子は食べられてこそ完成する。なら──わたしが食べるのが、いちばんの守護でしょう?」
(俺、今めちゃくちゃ良い声でアホなこと言ったぞ!?)
リリアの声が廊下を震わせた。
セラフィーの目がかすかに見開かれる。
(……まただわ。信じられない理屈で突っ走って、誰も想像しない結末を引き寄せる。
けれど──だからこそ、この子は勇者なのよ)
「勇者がケーキ直食い!?
もう料理バトル漫画に出張ってけぇぇ!!」
セラフィーとブッくんが絶叫する中、リリアは豪快に── 《聖なるザッハトルテ》へかぶりついた。
──ガブリィィィィンッ!!!
黒曜石の表面が砕け、溢れ出したのは──
深淵のごとき漆黒チョコ。
灼けるように甘酸っぱい杏ジャム。
雲海のごとくほどけるスポンジ。
甘さ、苦味、酸味──三重奏が脳髄を直撃し、味覚の宇宙が炸裂する。
「……ッッッ!! うっっっまァァァァァ!!!!」
リリアは涙を滝のように流し、床を転げ回りながらなおも貪る。
勇者というより完全に“糖分ジャンキー”──その姿は殉教者にすら見えた。
(……やべぇ……これ完全にグルメ漫画やん……俺、勇者職から料理マンガ職に転職してない!?)
その瞬間、砂糖細工の犬の動きがぴたりと止まり、黒い靄が消えた。
瞳に宿ったのは、子どもたちの笑顔を映す懐かしい光。
「……そうだ……私は……食べられるために在った……」
犬は震える声で、誇らしげに告げる。
「削られ、口に運ばれ、“ありがとう”と呼ばれるたび──
その一瞬こそ、我が魂の完成。甘味は与えられて輝く……それが、私たち菓子の宿命……」
光を散らしながら犬はリリアを見た。
「勇者よ。お前に食べられたあの日すら……私は幸福だった。
甘味として終わりを迎えること──それこそが砂糖細工の誇りだから……」
(ちょ、待て……俺、コーヒーに砂糖入れただけでこんな尊い思い出背負ってたの!?)
──パリンッ。
砕けた結晶は虹色の飴片となり、粉雪のように舞い落ちる。
それは、祭りの夜に降る花火の残光のように美しかった。
セラフィーは剣を下ろし、胸の奥で小さく呟く。
(……やっぱりあなたは勇者よ、リリア。どんな形であれ──世界を救ってしまうんだから)
そして、わずかに口元を綻ばせた。
それは仲間にしか見せない、静かな誇りの笑みだった。
リリアの腕の中でワン太が小さな布の耳をぴくりと震わせる。
前足をふわりと伸ばし、散る光を掴もうとする。
音はない。ただその仕草だけで、別れの思いが伝わってきた。
砂糖細工の犬は光となり、最後に一閃の輝きを残して消える。
互いを見送る犬と犬──声なき儀式は、確かにそこにあった。
世界を救ったのは、勇者の剣ではなく──逆ギレで喰らった一口のケーキだった。
(……いや、こんなログ残したら、絶対ギルドに笑われるだろォォォ!!)