『第二十一話 ・3 : 封印の間へ』
その時だった。
広間の扉が轟音を立てて開かれ、鎧の兵士が転げ込むように駆けてきた。
煤と汗でぐしゃぐしゃの顔、荒い息。声は震え、必死に叫ぶ。
「──け、け、け……〈砂糖細工の聖獣〉が……!
封印の間に……顕現しました!!」
広間の空気が一瞬で凍りついた。
兵士の肩が震えるたび、甲冑がぎしぎしと軋み、その響きが恐怖を伝染させる。
「甘い……匂いが……鼻腔を焼くんです……!
影が犬の形を取り……封印の扉を……舐め回すように……!」
──ざわっ。
兵士たちの背筋を冷気と甘気が同時に駆け抜ける。
音にならない悲鳴の奔流が広間を包み、炎の灯火すら怯えたように揺れた。
王の瞳が鋭さを増す。
「……来たか。やはり奴は“聖なるザッハトルテ”を狙っている」
セラフィーは即座に剣を握り直し、凛とした声で応じる。
「陛下、お任せください。必ず守り抜いてみせます」
ブッくんは涙目でばたばたと頁を振り乱した。
「ひえぇぇっ! 砂糖菓子に勝てるんか!?
焦げ砂糖で“ブックトースト”にされる未来しか見えんでぇぇ!!」
そして余計な一言を吐く。
「てか“封印の間”って……名前からして、甘味保存庫やないか!?
ワイ、ここで焼かれて“キャラメルブック”に加工されるんやぁぁ!!」
リリアの胸に、ざわめきが走る。
(……来やがった。ケーキの守護獣 vs ケーキに命かける俺。
犬とケーキの取り合いって……なんだよこの構図!? 脚本担当出てこい!!)
城を揺らす緊迫感の中、王は高らかに命じた。
「勇者たちよ──急げ! 封印の間が破られる前に!」
一同は石造りの廊下へと飛び出した。
夜気は冷たく、それ以上に甘い匂いが濃密に広がっていた。
焦げた砂糖を煮詰めたような重さが肺を満たし、
一歩ごとに“空気そのもの”が舌にざらりと積もっていく。
兵士たちも後ろから追いつきながら呻く。
「うっ……頭がくらくらする……! 甘さで意識が飛ぶ……!」
「嗅ぐだけで倒れる敵なんて……あり得ん……!」
セラフィーが低く吐息を洩らす。
「……これはただの匂いじゃない。“結界の侵食”……」
ブッくんは頁で顔を扇ぎながら叫んだ。
「匂いで殺されるとか、どんな敗北条件やねん!?
これもう“香水の暴力”やん! 資生堂のCMで死ぬ気分やぁぁ!!」
(……やべぇ。完全に“ケーキ屋の厨房地獄”だろ……!
奥に絶対いる、砂糖細工の犬……俺がガリッた戦犯……!
おい待て、俺、あいつに胃袋で責任取らされる流れじゃねぇか!?)
やがて、階下に辿り着いた。
封印の間を守る巨大な両扉──厚い鋼板にはびっしりと古代の糖文が刻まれ、
蜜蝋の灯火が琥珀色の光を揺らしていた。
だが今、その表面は白い結晶に覆われ、
まるで巨大な舌で舐め溶かされたかのように文様が崩れ、
飴の亀裂がじわじわと侵食していく。
「……扉が……飴色に……」
セラフィーの声はかすかに震えていた。
その時だった。
──カリッ。
扉の隙間から、小さな破砕音。
砂糖を噛み砕いたような乾いた音が、全員の耳奥を噛んだ。
「ひぃぃぃっ!? 今なんか噛んだ音したぁぁ!!
あれ絶対“試食タイム”始まっとるやろ!? ワイらメインディッシュやぁぁ!!」
ブッくんが裏返った悲鳴をあげる。
──影が滲み、床に滴る。
透き通る白。きらめく結晶。耳、尾──そして牙。
「……出たわね。」
セラフィーが剣を抜き、切っ先を構えた。
リリアは息を呑む。
そこに現れたのは、透き通る砂糖結晶で作られた犬のシルエット。
聖堂のステンドグラスが歩き出したかのように荘厳で、
牙はカラメルのように飴色に光り、
噛み砕いた床石をじゅうっと焦がしていた。
(おいおいおい……完全に“お菓子版ケルベロス”じゃん……!
間違いない、俺、こいつ一回食ったわ……!!
……っていうか、今度は俺が食われるターンとか、そんなオチいらねぇからな!?)
その瞬間──“ぽふっ”。
布の身体をしたワン太が、静かに前へ進み出る。
小さな前足で床を二度叩き、布の鼻先をぴくりと震わせた。
透き通る聖獣と、小さなぬいぐるみ。
犬と犬。守護者と代用品。
互いの瞳が光を映した瞬間──
広間全体を押し潰すような、甘く重たい沈黙が落ちた。
リリアは一歩前に進み、剣を掲げ、静かに名乗りを上げた。
「……わたしは勇者リリア。
女神の名を借りずとも、民を救うためにここに立つ。
たとえ相手が砂糖の獣でも、甘味の呪いでも──
この身で喰らい尽くし、封印を守ってみせる!!」
(いや! 結局“喰らい尽くす”言うとるやん俺ぇぇ!!
もう“甘味専用勇者”としてログ固定されとるやろこれ!!)
その言葉が広間に響いた時──
砂糖細工の獣の瞳が一瞬だけ揺れた。
ワン太もまた、布の耳を震わせ、同じく前を見据えていた。