『第二十話・2 : 女神の光、王都を裁く』
リリアは剣を掲げ、炎に照らされた瞳に祈りを宿す。
その声は、戦場の喧噪を断ち切るように澄み渡った。
「──闇に沈みし亡霊よ。
血と怨嗟に縛られし者よ。
その影はもはや人ならず、
その嘆きはもはや天に届かず。
ならば光に還れ。
穢れを焼き、魂を解き放つ。
星々の誓約に従い、
我が刃は清浄をもって汝らを裁く──!」
剣先がぱあっと白銀の輝きを帯び、炎の赤さえ呑み込むように街全体を光で満たしていく。
「《浄界照破》!!」
轟音とともに、閃光は奔流となって広場から四方へ駆け抜けた。
黒煙を裂き、瓦礫も炎も呑み込みながら押し広がる光の津波。
──だがその光は“選んでいた”。
逃げ惑う人々には触れても傷つけず、むしろ癒やしの温もりを残していく。
泣き叫んでいた子供は涙を乾かされ、老いた者の咳は光に包まれて静まった。
焼け爛れた皮膚には花弁のような柔らかい痕跡が灯り、鼓動さえ安らいでいく。
けれど魔に堕ちた兵は違った。
ひび割れた仮面は砕け、怨嗟の声は断末魔にさえならず、光に吸い込まれるように昇華されていく。
炎に歪んだ魔獣の影は、音もなく灰と化して弾け散った。
それはただの殲滅ではなく、罪を祓う審判の光だった。
数百、いや千を超える影の群れでさえ──ただ一撃で存在ごと消滅する。
空を覆っていた黒煙すら裂け、夜明けのような青空が一瞬だけ覗いた。
「おおっ……!」
炎の中で逃げ惑っていた人々が、思わず立ち止まり、震える声を上げる。
「……女神だ……!」
その呟きはやがて群衆全体へと伝播し、
ひざまずく者、天に祈る者、子を抱いて涙する者へと広がっていった。
「ぎゃぁぁぁぁっ!? ちょ、ちょっと待てぇぇ!!」
ブッくんの頁が透け、表紙がじりじりと光に溶けかける。
「や、やばいっ……! ワイまで浄化されるやんかぁぁ!! ケーキの神に誓って無害やのにぃぃ!!」
その瞬間──
ワン太が“ぽふん”と前に飛び出した。
ぬいぐるみの小さな体が、光の波とブッくんのあいだに立ちはだかる。
布の耳がふるりと揺れ、目の奥に炎を映す。
驚くことに、光はワン太の前で弾かれ、ブッくんを避けるように逸れていった。
まるで光そのものが、小さな守護者に頭を垂れたかのように。
「な、なんやこれ……! 犬形の加護……!? ワイを、守ってくれたんか……!」
ブッくんは震えながらワン太を見つめる。
(……ワン太。やっぱお前、ただのぬいぐるみじゃねぇ……!)
光が収束すると、広場には魔のものの影は一体も残っていなかった。
ただ──煤けた本と、無言で佇むぬいぐるみが残るだけだった。
風が吹き抜ける。灰が雪のように舞い、焼け落ちた街並みに積もっていく。
立ちすくむ人々は声を失い、ただその光景を見つめていた。
やがて誰かが、震える声で囁いた。
「……女神だ……」
膝を折り、額を床に押し当てる者。
泣きじゃくる子供を抱きしめる母親。
残った人々はひとりまたひとりとリリアに祈りの視線を向けた。
リリアが剣を下ろした直後──
灰の舞う静寂の中で、ひとりの老人が震える手を差し伸べる。
「どうか……どうか、この街を……」
その声に呼応するように、あちこちから切実な願いが溢れ出す。
「女神さま……!」「救いを……!」
兵士上がりの男は折れた剣を差し出し、子供は花を抱えて駆け寄る。
広場は祈りと願いで満ち、炎の中にもかかわらず荘厳な神殿と化していた。
セラフィーはその光景を見つめ、苦く笑う。
「……女神扱い、悪くないんじゃない? まさか本気で信仰を集めるとは思わなかったけど」
その声には皮肉と同時に、ほんの一滴の畏怖が混じっていた。
リリアは答えられなかった。
胸の奥で、二つの声がせめぎ合っていた。
(……俺はただ、ケーキが食いたいだけなんだよ……!)
(でも……この眼差しを前にして、背を向けられるか? “女神”なんて柄じゃない俺でも……)
祈りの視線は重く、炎より熱い。
「救い」と呼ばれる重さが、知らぬ間に肩にのしかかっていた。
焼け落ちた屋根、泣き叫ぶ子供、焦げた風に混じる鉄と血の匂い。
人々は救われた──だが、街はまだ炎に包まれ続けている。
そして、誰もが知っていた。
これが終わりではなく、戦いのほんの始まりにすぎないということを。