『第二話・4:逆侵食の森』
融合体が奇声とも獣声ともつかない音を上げ、四肢をバラバラに動かして突進してくる。
正面からではない。右上から。……いや、左下か?
動きが不規則すぎて、軌道がブレる。
右腕が振り下ろされたかと思えば、その瞬間に左足から“同じ腕”が生えて殴りかかってくる。
避けても別の結果が追いかけてくるように、時間が二重に走っていた。
土がえぐれる。黒い煙が舞う。……森が、敵の呼吸に合わせてざわめいた。
光は枝葉の隙間でねじれ、影が逆方向に流れる。
一瞬ごとに、時間の流れすら捻じ曲げられているようだった。
(フェイント混じりか……いや、“身体が複数”みたいな挙動だな)
剣を逆手に構え、一歩だけ横に滑る。
空を切った黒炎が背後の木を抉り、灰と化す。
灰は風に乗らず、宙を漂ったまま形を保ち……ふっと消えた。
肌を撫でる空気が熱くなり、すぐに氷のように冷たくなる。
皮膚の下の血まで、ぎしりと固まる。
(ヤベ……かすっただけでコレかよ)
二撃目、三撃目。融合体の腕や牙が、時間差で襲いかかる。
普通の相手なら間合い管理で避けられるが、こいつの攻撃は“タイミングそのもの”が狂っていた。
しかも一撃ごとに形が変わる。腕だった部位が牙になり、背から羽が突き出る。
形態は安定せず、攻撃ごとに“存在の法則”が書き換わっていく。
視覚は追いつかない。脳のリズムが敵の呼吸に侵され、心臓の鼓動まで乱されていく。
一瞬、鼓動がふたつに分裂し、片方が敵のテンポで打ち鳴らされた。
(……動きが読みにくい。でも──)
颯太は口元をわずかに歪める。
まとわりついていたぎこちなさが、戦闘本能に塗りつぶされていく。
心拍が上がるたび視界は濃く、耳は不要な音を切り捨てた。
残ったのは、敵の呼吸と心音だけ。
──胸の奥で、かつての“ゲームのプレイ感覚”が甦る。
(慣れてきた……この体、思った以上に“勝手に”動く)
呼吸が噛み合うほどに、筋肉が“人間じゃない使い方”をしている。
怖いのに、動きは正確だ。剣が、勝手に正しい角度で振られている。
その快感が恐怖と背中合わせで体を震わせる。
ステップ。ステップ。スウェー。
足捌きと腰のひねりで剣を振り抜く。
刃が融合体の外殻を掠め、黒い血のようなデータが飛び散った。
ギィイイ……と、エラー音じみた悲鳴。
そこには苦痛だけじゃない──“怒り”と“助けを求める響き”が混じっていた。
ほんの刹那、胸がざらりと疼く。
けれどその一瞬の情けは死に直結する。直感が突き刺す。
(効いてる。でも、キリがねぇな……)
融合体は煙を上げながらも、逆に速くなる。
切った部位が別の部位に融合して再生する。
目の位置まで変わり、視線を読むことすら困難だった。
(……このペースじゃ押し切れねぇ)
──そのとき。
融合体の全身が一瞬だけ膨らみ、四肢が裏返るようにねじれる。
空気が吸い込まれ、周囲の音が消えた。
世界が一秒だけ凍りつく。敵と自分だけが取り残される。
森の色が抜け、光と影の境界も消える。
“読み込み中”の画面みたいに、全部が宙ぶらりんになった。
そして──頭蓋の奥に囁きが流れ込む。
【観測者ヲ認識──同調開始】
(ッ……!? 今の声、敵の……? いや、違う……!)
思考が侵食される。
“次の一撃で決まる”──そんな確信が骨まで突き刺さった。
(……やべぇ、このままじゃ……)
一瞬だけ深く息を吐き、剣先を下げる。
掌の奥で熱が膨らむ。
同時に心臓に刻まれた封印が軋み、背中の奥で羽根の幻痛が疼く。
鼓動が世界と噛み合い、瞬きごとに視界が金と黒で裂けた。
(しゃーねぇ……使うか)
右手の指先が“数字の羽根”みたいに剥がれ落ちていく。
世界のコードが皮膚から零れ落ちる感覚。
勇者リリアではなく──“バグの王”としての自分が目を覚ます。
リリアの瞳が、金とも黒ともつかない光で揺れる。
指先は見えない何かをなぞるように震えた。
次の瞬間──彼女は静かに右手を掲げる。
空気が震え、森がざわめく。
融合体の呻き声はノイズ混じりの咆哮へと変わった。
それは獣の声ではなく。……世界そのものが拒絶の声を上げているようだった。
木々の葉が一斉に裏返り、影が地面から剥がれて宙に浮かぶ。
風は吹いていないのに、森全体が巨大な心臓のように脈打った。
──止まらない。
リリアは、自分の意志でその力を解放した。
森を救うのか、壊すのか。わからないまま。
光だけが、爆ぜた。