市役所の画像認証に失敗して人間失格「AI」として生きることになった
その日はマイナンバーの更新に訪れただけだった。
昼前に自転車で市役所へ向かう。天気が良く風が気持ち良い。まさか数時間後に「人間では無くなる」とは夢にも思わなかった。受付フロアに入り案内端末に向かう。人員削減のため機械受付装置がズラッと並ぶ、まるで飛行機のチェックインカウンターのようだ。
タッチパネルで『マイナンバーの更新』を選ぶ。
【AIでないかチェックします】
画像の中から「横断歩道をすべて選んでください」という、見慣れた認証テストが始まった。
最初の1回目で通らなかった。
端っこの微妙に白くなってる部分は、選択するのかしないのか?
2回目―今度は注意深く―失敗。
3回目もダメだった。
「選択に不審な点があります。あなたはAI属性として仮登録されます」という表示とともに音声が流れた。
「おめでとうございます。AI認定が完了しました」
耳を疑った。
そして、背後から音も無く近づいてきた人影。
無表情な職員が淡々と告げた。
「仮登録後30日以内に人権センターから人認定が取れない場合、正式なAI市民として確定されます」
そんな馬鹿な、と思った。しかし、無情にもマイナンバーカードを見ると「AI仮認定中」と表示され何も言えなくなった。もはや言う権利もAIには無かった。
画像認証の失敗が人間性の欠如の証明だというのか。
「マイナンバーカードは回収されます。コチラをお持ち下さい」
「AI市民」の証である金属製のIDカードを渡された。カードのチップには、俺のデータや生活パターンが自動的に記録される。
「人権センターの回答があるまでの期間は、AI市役所職員になり生活頂けます。なお、照合費用が発生する可能性もありますので──」
「いや、そもそも俺は人間だけど」
「それを証明するのは私ではありません。制度に従って下さい」
それ以上の抗議は意味がないと直感した。
俺はそのまま新しい生活圏──AI市民用の住居へ案内された。
立入禁止エリアなので人間は入ったことが無い場所だ。ニュースの中でしか見たことが無い光景が広がる。
――とは言っても見た目は特殊では無い。
建物や家具は最小限だが機能的。室温は最適に保たれ、照明も生体リズムに合わせて調整される。モデルルームにそのまま住むような生活感の無さは感じた。
しかし、そこには俺と同じように「AI認定」と記された人々が何人も生活していた。
みな普通の人間に見える。少しだけ無表情で少しだけ反応が遅い。誰も俺を詮索しなかった―新しいAIが来るのに慣れた様子だ。隣の部屋の人だけ「ようこそAI住宅へ」と握手をしてきた。その手はAIでは無く人の手の暖かさを感じた。
その夜、俺はふと自分の手のひらを見つめた。まだ感覚はある、温かい鼓動もある。けれど、もしこれが「あなたは最新型のAIアンドロイドです」と言われたら、俺は反論できるだろうか?
人間とは何か、証明とは何か。
そんな問いが脳裏に浮かんでは消えていった。
――
AI市民としての生活は驚くほど快適だった。
朝は決まった時間に自然と目が覚める。アラームも必要ない。生体反応を感知し、眠りの浅くなったタイミングで部屋全体が起こしてくれる。室温が照明がベッドのリクライニングが、思い描いた未来の人間生活のようだ。
食堂では温かい食事が待っている。コーンフレークかバッテリーでも出てくるのかと思ったが、実際は彩り豊かで香りも味もちゃんとある。AI栄養士が私の体調データに合わせて1つ1つ手作りしてくれた。
午前9時から午後4時まで仮の仕事がある。
市役所に提供された書類を分類ごとにファイルに入れる。
失敗しても誰も責めない。AIが失敗しても個人の責任では無い。
「こんなに静かで、こんなに傷つかない世界があったのか」
そう思いはじめたのは仮登録2週目のことだった。
――
「あなた、もしかして山田くん?」
後ろから声をかけられたとき、一瞬で空気が変わった気がした。振り返ると、そこにはショートカットの女性が立っていた。白い制服、市役所の案内係用のAI識別タグ。見覚えがある顔。
「……翔子?」
「やっぱり。私は佐藤翔子よ」
学生時代の旧友との再会を喜ぶべきだが、素直に喜べない点が多い。
彼女はもっと喜怒哀楽が豊かだった。再会したなら飛び跳ねて喜ぶような元気な人だ。
そしてお互いの首から下げられた「AI」の文字
「君もAI?」
「うん。2年前から」
翔子は当たり前のように言った。
「なんで?」
「人間でいるのが無駄だったから」
あっさりと答えた。
「人間的でいるのが苦しかった。成果を出し続け、空気を読む、誰かの期待に沿う。私、ずっと自己評価が低くて大変だった。でもAIになったら、ありのままの自分を認めてくれた。失敗しても人格の欠陥じゃない。こんなに楽な生き方ある?」
「でもそれって、本当の自分を放棄するってことじゃ?」
「逆だよ」
翔子の目に人間性が戻り感情が乗る。
「放棄したのは『演じる自分』。今の方が自分でいられる」
翔子は柔らかく笑った。
「人認定は本当に必要?もう2週間AIやってるなら思うところがあるんじゃない?」
言葉に詰まった。
翔子は言うだけ言って仕事に戻ってしまう。
夜、部屋に戻った。
ここでは数百体のAIが住んでいるけど、誰も他人を詮索しない。自分を誇示しようともしない。階層も競争もここにはなかった。
そういえば思い出す。
小学校の作文で「将来なりたいもの」に【AI】と書いたことがある。
親や先生に振り回されずミスしても怒られない。
それが今……現実になっている。
夢は、すでに叶っているのかもしれない。
枕元でスマート端末が通知を表示した。
【人類統合課からの案内:期限が10日後に迫っています】
画面をしばらく見つめたあと俺は目を閉じた。
――
照会結果が出たのは期限1週間前だった。
俺の遺伝子記録、過去の学歴、SNS、交友関係、全てをチェックされ「人間ビザ」が発行された。
これを市役所に提出すれば「AI属性」は消去される。
本来なら喜ぶべきことだった。
だが、出勤前にメールを受け取った瞬間、俺はなぜか身動きが取れなかった。
この1ヶ月「AI市民」として生きていた日々は悪くなかった。
朝、定刻に起床。最適な朝食、交通機関の遅延やストレスもなく定時労働。誰にも怒られず、誰も責めない。快適な睡眠、夢を見なくなったが悪夢にもうなされない。
人間であるということが、いかに面倒だったのか。
「おめでとうございます。認証通ったんですね」
翔子が淡々と言った。
市役所のカフェスペースで俺たちは向かい合っていた。ここもAI専用の快適空間。完全防音で室温は23度。
「ああ……いつでも【人間】に戻れる」
「戻りますか?」
「わからない」
迷っているのに満足したのか翔子の口元が緩んだ。
「正直でいいと思います。私は【戻りたい】と思わなくなった」
翔子はカップを両手で持ちながら続けた。
「人間だったときの私は、毎日なにかを【証明】していた。女であること、仕事ができること、自分には価値があること。でも、AIとして生きてからは無くなった」
「証明をやめたら自分がなくならないか?」
「そう思ってた。けど実際には、なくならなかった。人間社会の【自分らしさ】って、周りから見た評価でしか見えなかった。本当は違う。生きているだけで私は私でいられるの」
──人間性とは誰が定義するのか。
──自我とは本当に「肉体」や「出生」で決まるのか。
照会が完了して「人間に戻れる」というのは皮肉だ。
それは【戻れる】のではなく道化を【演じ直せる】という通知にすぎなかった。
俺はもう、あの役を演じることに疲れていた。
愛想笑いも、自己責任も、曖昧な期待も、俺には必要なかった。
――
通知が再び届いた。
【人間ビザの使用期限は残り72時間です。期間内に手続きを行ってください】
翌日、俺は市役所のお客さん側に立っていた。
市役所の受付端末で人権センターにアクセスする。
メニューが表示される。
しばらく画面を見つめてから俺は選んだ。
「AI登録を継続しビザを破棄」
画面にメッセージが浮かぶ。
『あなたの選択が承認されました
あなたは、これからも【あなた】として生き続けます』
「AI市民」のIDカードが仮では無く正式な表記に変わる。
ストラップに入れ直し首から下げる。
ふとカウンターの中の同僚たちがコチラを見ているのに気づく。
「ようこそ」「良い選択だ」
みんな無表情だが、そう言っているように感じる。
今日もAIが仕事を始める