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シルルス


 鬱蒼とした森林の中を、リベルティナの装甲をきちんと着けなおしたニナが、歩いていく。

 肩には、しっかりとした金属製の座席が取り付けられていて、そこには翔が座っていた。カプセル状のガードに覆われた座席は、旧時代に衛星軌道にあったステーションからの、帰還システムについていたものらしく、ニナの歩行でかなり揺れているはずなのに、座席自体にはあまり振動がない。

 『中』の技術は、決して低いものではないが、こうした旧時代の設備の応用や流用が多いようであった。

 座席は快適、といえばそうなのだが、翔の表情は芳しくなかった。


「翔……なんか機嫌悪そうだね……?」


 おずおずとニナが話しかける。


「当たり前だ。本当なら、男の俺がおまえを運ばなきゃならねえのに……」


 どうやら翔は、自分がニナに運んでもらっているのが気に入らないらしい。


「あはは。べつにそんなのいいよ」


「よかねえ。俺には好きながいるんだ。その娘のためにも、情けねえ男になりたくねえんだよ」


 身長二十五メートルの女性に運んでもらっている、という状況が情けないかどうかは、意見が分かれるところであろうが、翔にとってはそういうことのようだ。

 だがそれよりも、ニナにとっては、別のことが気になった。


「ね……ねえ? 好きな娘って……どんな娘?」


「ん?……まあ、スージーにだけ特別に教えてやるよ。めちゃくちゃ可愛くて、無邪気で、明るくて、死ぬほど優しくて、その娘と話すと、すげえあったかい気持ちになる……そんな娘だ」


「ふうん……し……仕事の仲間? とか?」


「いや。ネットで知り合った娘だよ。まあ……実際に会ったことはねえんだけどよ……」


 照れくさそうに翔が言う。

 それを聞いたニナの顔が、一気に紅潮した。

 頭部装甲のおかげで、それは翔に気づかれることはなかったが、心臓の鼓動音が聞こえやしないかと、ひやひやしながらニナは歩を進めた。

 急にニナが黙りこんだことで、翔はあわてて言葉を継いだ。


「言っとくが、絶対AIなんかじゃねえからな。俺にはわかるんだ。まあ、画面はCGの可能性はあるかもしれねえ……けど、あの娘の心の純粋さだけは本物なんだ。」


「だ……大丈夫だよ。疑ってなんかないし……にしても、リュウさんの言ってた湖ってのは、まだなのかな?」


 声がわずかに震えるのを、抑えることはできなかったが、幸いにも翔はそれに気づくことはなかった。


「ああ。この森を越えた向こうに見えるらしい。GPSが使えないってのは不便だな」


 正確にいえば、使えないのはマップである。

 バイオーム内の地形は公表されておらず、リベルティナのGPSが示す現在地はただの真っ白な画面であった。


「そうだね……って、えええええ⁉ これかな? 大きすぎない?」


 ニナが大声を上げた。急に森が開け、水平線が現れたのだ。

向こう岸が見えないほどの巨大な湖。

 それは、古代日本で「霞ヶ浦」と呼ばれていた湖の姿であった。当時でも国内二番目の面積を誇る湖であったが、温暖化によって上昇した海面に押し上げられ、隣の北浦とつながって、二倍近くになっていた。


「これで海じゃないってのか? すげえな」


「あっ……翔、気を付けて。ここもう水の中だ」


 森が切れるとすぐ広がっていた草原。

 そこに足を踏み入れた途端、ニナの足はくるぶしまで沈んだ。緑のじゅうたんがちぎれ、泥水がニナの足にまとわりつく。どうやら草原ではなく、浮標性の水草が茂っていただけらしい。


「ああ。水中性の巨獣……『シルルス』っつってたか……」


「うん……」


 この作戦ミッションの目的は、水中型の巨獣『シルルス』を捕らえることであった。

 ニナの一日における必要カロリーは、普通人の五千倍ほどになる。体重で言えば、常人の三万倍近くあるが、大きな風呂が冷めにくいように、巨大であるほど省エネルギー効果があるようだ。

 とはいえ、五千人分もの食料を毎日消費されては、たまったものではない。

 リュウたちの住む「サクラ村」の人口は、約三千人。一か月寝込んだニナのせいで、すでに備蓄食料さえも底をつきかけていた。救護してもらった御礼を兼ねて、それを補充するのが目的だ。


「でも……巨獣なんて食べて大丈夫なのかな?」


「ん……こっちじゃ巨獣を食うのは珍しくないらしいぜ。まあ、カニスルプスは感染症に冒されてたから、食えなかったらしいけど」


「でも、シルルスって、このへん最大の巨獣って言ってたから、すぐ見つかると思ってたんだけど……どこにもいないよ?」


「バカだな。こんだけでかい湖だ。水中に隠れりゃ分からねえよ。釣り具、作ってもらったんだろ?」


「あ、うん」


 ニナは、肩に下げて持って来ていたコンテナから、折り畳み式の竿と、巨大なリール、そして木で作られたルアーを取り出した。

 竿、といってもそれだけで二十メートル以上ある。リールはドラム缶を利用して作られ、道糸ラインはワイヤー製。銀色に塗られた木製のルアーも、長さ3メートル以上あった。


「こんなので釣れるのかな?」


 ニナはそう言うと、二トンはある巻きワイヤーのリール竿を、軽々と振った。

 巨大な木製ルアーは、楽々と二百メートルは飛ぶ。

 しかし、コントロールがいまいちで、ルアーが落ちるのは、緑に覆われた水面にばかり。植物が生えているだけに浅いようであるが、水深のある場所でないとシルルスは誘い出せないと思われた。


「足場が欲しいな。あそこの島まで行って、そこから投げてみよう」


 翔が指さす。

 少し沖へ向かったあたり。たしかに、緑のじゅうたんが途切れる水面に、こんもりと盛り上がった場所があり、そこからなら沖の方を探れそうであった。

 だが、島に近づいたニナは、妙な声を上げた。


「ひゃあ⁉ 何この島。すごくヌルヌルしてる。バイオーム内の泥ってこんななの?」


「さあ?……でもたしかに変……ッ?……違うぞ‼ 退れ‼ スージー‼」


 突然。

 島だと思っていたものが、激しく動いた。

 巨大な飛沫があがり、白い亀裂のような口がニナに襲い掛かってきたのだ。

 ニナは、後ろに倒れこんで、寸前でその牙を交わす。


「コイツがシルルス⁉」


「間違いない‼ 『ナマズ』っていう魚類が巨獣化したものだ‼」


 それにしても大きい。

 水面上に出ている部分だけでも高さ5メートルはある。

 その倍が水中にあるとして、厚みだけで10メートル。全長は100メートルを越えるかも知れなかった。


「これだけ大きけりゃ……しばらくは食べ物に困らないよね‼」


 巨大な相手に、ニナはまったく怯んでいない。

 釣り具を投げ捨て、腰の装甲から棒状の武器を取り出した。軽い金属音がして、すぐにそれは数倍に伸びる。

 これは、この「漁」のために、リュウたちがあつらえてくれた電気銛でんきもりである。槍状になった武器の切っ先は、ギザギザの返しがついていて抜けにくくなっている。

 本来は、釣った獲物に止めを刺すための武器だが、こうなったら直接刺すしかない。

 的は大きい。

 刺さりさえすれば、リベルティナの装甲から引いた数万ボルトの電流で、どんな巨獣でも昏倒するはずであった。

 だが。


「何コレ⁉ モリが滑るよ⁉」


 ニナの言う通りであった。

 ナマズの巨獣・シルルスの体表は分厚い粘膜に覆われている上に、皮膚そのものも柔軟性と弾力性に富んでいて分厚い。回り込んだり、体重を乗せたりして何度も試してみたが、刃はどうしても通らなかった。

 足元が、泥で動きにくいのも大きい。

 十数回目の横跳びをしようとして、ニナは足をもつれさせた。


「うあっ⁉」


「どうしたスージー⁉」


 翔が声をかける。

 間一髪でシルルスの牙を避けることができたが、立ち上がったニナの足はまだふらついている。


「なんでもない‼ ちょっと……疲れただけ‼」


「なんでもないことあるか‼ まずいぞ……」


 ただでさえ、泥と水草に足を取られて戦いにくいのだ。そのうえ、リベルティナの装甲まで身に着けていては、疲労は一気に蓄積する。

 翔は、必死で頭を巡らせた。


「スージー‼ 目を狙え‼ それかエラだ‼ 頭の横……いや、人間でいえば耳にあたる場所に、穴が開いていないか⁉ そこにぶっ刺せば……」


「見えないよそんなの‼」


 ニナの言う通り、シルルスは泥と水草でぐちゃぐちゃになっていて、どこが頭部かすらわからない。翔の言う「眼球」や「鰓穴」など、簡単に見つかるものではなかった。

 それなのに、まるで見えているかのようにシルルスは、執拗に襲いかかってくる。


(くそッ‼ どうする? どうする? このままじゃ、スージーがやられちまう)


 翔は必死で頭を巡らせた。


「も……もうダメっ……‼」


 ついに足が止まったニナの正面に、泥と水草をまとった巨大な水塊が盛り上がり、その奥に三日月型の裂け目が迫ってきた。


「跳べッ‼ スージー‼」


 裂け目は一瞬で数倍に広がると、周囲の水ごとすべてを吸い込んだ。

 だが、翔の叫びを聞いて一瞬早く、ニナは水底を蹴ってジャンプしていた。

 偶然。足元に岩状のものがあり、踏ん張れたのが僥倖であった。普通人ならば数十センチのジャンプ力。身長比で考えるなら、十メートルそこそこであるはずだが、ニナのジャンプ力は、二十メートル以上ある。さらに、多少なりとも電力をチャージできたリベルティナの装甲の倍力機構が働いたのもよかった。

 水面を割って追いすがるシルルスのあぎとも、ギリギリ届かない。


「脳天だ‼ ヤツの脳天を狙え‼」


 対ショック機構が働いていてさえ襲ってくる、すさまじい慣性反動に弾き飛ばされそうになりながら、翔は叫んだ。

 座席を守っていたカプセル状のカバーが、衝撃に耐えきれず吹き飛ぶ。柔軟性の高いシートと、樹脂製の強力なシートベルトがなかったら、振り落とされて死んでいただろう。

 ニナが下を見ると、シルルスの巨大な頭部が水面に接触し、盛大に水しぶきをあげている。今なら、むき出しの頭頂部を狙うことはたやすい。

 空中で体勢を変え、手に持った電気銛に全体重を乗せて落下していく。尖った切っ先が、今度は見事にシルルスの頭頂部に突き刺さった。

 一瞬、シルルスは全身を真っすぐにして痙攣し、そのまま横倒しになった。



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